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勇者ラディウスの墓標

−7−

 元から暗かった礼拝堂ではあるが、祭壇には一晩の間、ずっと灯され続けている百本近いロウソクの炎があり、目が慣れれば見通すことはそれほど難しくない。ところが、そのロウソクの炎すべてが掻き消されでもしてしまったかのように、今、アンは漆黒の闇の中に捉われていた。
「ケイト!」
 親友のことが気にかかり、アンは自分が隠れていることも忘れて呼んでいた。礼拝堂に入って来たのがシスター・マチルダなら、アンがここにいることを自ら明かしたようなものだ。しかし、そんなことよりも、いきなり暗闇に閉ざされてしまったただならぬ周囲の異変に対し、ケイトの身を案じずにはいられなかった。
 悪いことに、ケイトからの返事はなかった。代わりに聞こえたのは、微かにくぐもったような声。ケイトに何かあったのか。アンは起きあがると、ケイトが立っていたはずのところへ、勘だけを頼りに駆けつけようとした。
 途中、長椅子に足のあちこちをぶつけ、歯を食いしばって、痛みに堪えねばならなかった。何しろ、一寸先も見えない状況なのだ。それでも構わず前に進む。一刻も早くケイトのところまで辿り着こうと。
 だが、暗闇が距離感を惑わせたのか、いくら進んでもアンの伸ばした手はケイトに触れることは出来なかった。おかしい、とアンの勘が告げる。この暗闇の中、ケイトが素早く移動するはずがない。普通の人間なら、いきなりこんな状況に陥れば立ちすくむはずだ。
 そもそも、この暗闇はいかにして生じたのだろうか。百本ものロウソクが風か何かで一斉に吹き消されたとでもいうのか。いや、仮にそうだとしても、ロウソクの芯に消えかかろうとする残り火くらいはあるはずだ。ところがそれすらも普段から視力に自信のあるアンの目には届かなかった。それにロウソクが消されたにしても、礼拝堂にはステンドグラスがはめられている。いかな真夜中でも外から星明かり等が射し込んでもいいはずではないか。
「ケイト、どこ!?」
 もう一度、アンはケイトの名を呼んだ。しかし、暗闇の中はしんと静まっているばかり。いや――
 アンがいる場所から左――祭壇がある方角で、何かが動くような気配が感じ取れた。ケイトか、と思うが、足音は極力、ひそめられている。意図的に誰かがアンに気づかれないよう移動しているのだ。
 それに奇妙な鳴き声も聞こえた。ネズミともコウモリともつかぬ、キィキィ、という甲高い鳴き声だ。それはアンが感じる気配と一緒に動いている。
 相手が何者なのかアンには分からなかったが、この異常事態から脱するためにも、そちらへ向かおうとした。あえて声はかけないでおく。まだ、敵なのか味方なのか分からないからだ。むしろ、隠密に行動しようとしていることから考えれば、アンの敵である可能性の方が高いだろう。
 とはいえ、何も見えない中を移動することは困難だった。長椅子に手を触れながら、礼拝堂の内部を頭に思い描いてみるが、方向感覚だけを頼りに自分の位置を把握するのは不可能だ。ところが相手は、どのような術を持っているのか、ゆっくりとではあるが着実に移動しているのが伝わってくる気配で分かる。
 そこでアンは思い当った。この暗闇は魔法による仕業ではないかと。
 白魔術<サモン・エレメンタル>には、闇の精霊<シェイド>を使った周囲を暗黒に閉ざす魔法があったはずだ。また、黒魔術<ダーク・ロアー>には、相手の視力を奪う呪いがあったように記憶している。アンはそのどちらかをかけられたのではないだろうか。
 不意に、にせラディウス事件に絡んでいるジャロームという魔術師のことが頭に浮かんだ。あの男ならばこのようなことなど容易いだろう。だが、ここは外界から隔絶された修道院だ。忍び込んだアンとケインを別にすれば、敬虔な修道女<シスター>たちしかいないはずである。その彼女たちが使う魔法は聖魔術<ホーリー・マジック>のはず。白魔術<サモン・エレメンタル>とも、黒魔術<ダーク・ロアー>とも違う。
 益々、このような現象を起こした人物の正体がアンには分からなくなってしまった。知る方法はただ一つ。相手を捕まえればいい。どうにか、この暗闇の中を移動して。
 しかし、アンがモタモタしているうちに、追いかけていた気配は忽然と消えてしまった。あの甲高い鳴き声も聞こえない。そんなはずはない、とアンは戦慄を覚える。礼拝堂の出入口を使ったのならばともかく、相手の気配は確かに祭壇の方――つまり出入口とは反対の方へ動いていたのだ。逃げられるわけがない。
 アンは、自分がしてやられたことを悟った。
「ケイト! ケイト! いたら返事をして! お願い!」
 一縷の望みを託して、アンはケイトに呼びかけた。しかし、やはり返事はない。ケイトはもうここにいない。多分、何者かに連れ去られたのだ。
 敗北を喫したアンが、しばらくどうしようかと考えていると、また礼拝堂の扉が開く音がした。
 誰が来たのだろうか。アンはとっさに身を守れるように構えを取ったが、目が見えないのではどこまで戦えるか怪しいものだ。
「何してんだ?」
 それは男の声だった。あまり会いたいという相手ではないが、少なくとも味方ではあることは確かだ。囮になっていたケインである。アンは全身から力が抜け、構えを解いた。
「アンタ、私の姿が見えるの?」
 自分でもバカみたいな質問だと思った。こちらに声をかけてきたのなら、向こうは見える道理ではないか。
 アンはケインがこちらに近づいてくるのを感じた。
「何言ってんだ、お前?」
 予想した通り、ケインの口調は呆れ気味だった。
「目が見えないのよ。どうやら魔法をかけられたみたい」
「魔法だって?」
 その言葉に反応し、ケインはすぐに剣を抜いたようだった。魔法の使い手が潜んでいないか警戒したのだろう。だが、それらしき魔術師の姿は認められず、ほどなくして剣は収められたようだった。
「誰もいないぜ」
「ケイトは? 誰かが来て、私の目が見えなくなる前、ここでケイトと会っていたんだけど」
「お前の親友っていう修道女<シスター>か。いや、ここにはオレとお前しかいねえぞ」
「そう……」
 アンは落胆し、手探りで、そばにあった長椅子に腰を下ろした。そして、頭を抱え込む。
「ここから誰かが出て行ったのを見てないでしょ?」
「ああ。あのしつこいバアさんを巻いて、ここへ来たときには誰も」
 ケインがシスター・マチルダのことを「バアさん」と呼んで、自然に口許がほころんだ。かなり追い回されたのだろう。見物としては面白かったかもしれない。そんなことを呑気に考えている場合ではないのに。
「じゃあ、今度はケイトが連れ去られたんだわ」
「何だって!? 一体、誰に!?」
「それが分かれば苦労しないわよ。こちらが相手の顔を確かめる前に魔法をかけられちゃったんだから――あっ」
 アンは自分の視力が徐々に戻っていることに気がついた。どうやら強力な呪いの類ではなく、魔法の持続時間が切れたらしい。一時はこのまま失明かと覚悟していただけに、アンは見えるようになってホッとした。
 相変わらず薄暗かったが、元通りに礼拝堂の中が見えるようになった。心配そうなケインの顔も見える。視線が合うと、ケインもアンの視力が戻ったことを察したのか、安心したようだった。
「どうやら見えるようになったらしいな」
 心配してくれたことに対してお礼を言おうかと思ったが、根が素直ではないアンはその言葉を呑み込んだ。
「ええ。こうなったら、早速、ケイトを救い出さないと」
 アンは気持ちを切り替えるようにして立ちあがった。そして、真っ直ぐに創造母神アイリスの像が祀られた祭壇へ向かう。
「目は見えなかったけれど、その何者かの気配は出入口ではなく、こっちに移動していたのは確かだわ」
 アンの後ろからケインもくっついて来る。
「何のために?」
「ここから抜け出すためでしょ? 他に理由がある? 実際、姿も消えているんだし」
 頭の回転が悪いケインに苛つきながらも、アンは祭壇の周辺を調べ始めた。ここに何らかの手がかりが残されているはずだ。
「まさか、秘密の抜け穴が隠されているとでも?」
「そのまさかよ」
 ケインが言いたいことも分かる。修道院の礼拝堂にそんなものがあること自体、非常識なことだとアンだって思う。しかし、貴族の屋敷などには、万が一のときに逃げのびるため、秘密の抜け穴が用意されているという話は聞いたことがある。だったら、そういうものが礼拝堂にあっても不思議ではないだろう。
 真剣なアンの姿に、ケインも黙って立っているわけにはいかなくなった。ロウソクを一本拝借し、アンとは反対周りに祭壇を調べていく。二人とも地道な作業を苦手とするタイプだが、このときばかりは違った。
 アンが祭壇の後ろに回り込んだところで、足下の異変に気づいた。神経を研ぎ澄ましていないと分からない程度だが、ここの床板だけ踏むと妙に沈み込み、浮いたような感じがする。床板の下に空間があるのだ。
「ケイン、ここ」
 アンはケインを呼び、床板を示した。巧妙にカモフラージュされているが、蓋のようになっている。ケインは隙間にナイフを差し込み、床板を外した。
 思った通り、その下は深い縦穴になっていた。縄梯子まである。これで下まで降りられるようになっていた。
「本当にあったな」
 抜け穴を発見したアンの顔をケインはまじまじと見つめた。
「行くわよ」
 アンは賛同も得ずに縄梯子を降り始めた。もちろん、ケインにも否はない。アンの親友が連れ去られたのなら、それを助けるのが先決だ。
 二人は行く手に何が待つか分からない暗闇の底へ降りて行った。


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