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修道院の抜け穴を進む三人は、やがて異臭に顔をしかめることになった。
「こいつは……」
ケインもアンも、まだ一カ月も経っていない記憶を呼び覚ます。それは臭いももちろんのこと、記憶そのものも思い出していいものではなかった。
「やっぱり」
抜け穴は広大な地下下水道につながっていた。王都ラーズの真下に張り巡らされた水路。それは複雑な迷宮<ラビリンス>に等しい。三人が嗅いだのは、鼻が痺れるような下水の臭いだった。
ここから賊がどちらへ向かったのか、手掛かりとなるようなものは何一つなかった。ここまでは一本道だったから、ただ辿れば済んだ。しかし、もうそういうわけにはいかない。ケイトはどこへ連れ去られてしまったのか。アンの焦燥が募った。
「手傷にひとつも負わせておけば、血痕から跡を辿れたかもしれないのに!」
傷をつけるどころか、逆に相手の魔法にやられる寸前だったケインに、アンの怒りの矛先は向かった。
「おやめなさい、ミス・アン」
今、そんなことをしている場合ではないと、シスター・マチルダがアンをたしなめた。アンも分かっているつもりだ。しかし、自分たちが無力だと思い知らされることほど屈辱的なことはない。特に親友に対しては。
「とにかく、ここは二手に分かれて追跡を――」
「いや」
シスター・マチルダの提案をケインは拒否した。いつになく真顔で、探るような目をし、下水道の中を見渡す。
「ここが地上だとどの辺りか、分からないか?」
ケインはアンたちの顔を見て尋ねた。まだラーズに来てから、そんなに経っていないケインには土地勘が乏しい。しかし、アンもすぐに肩をすくめた。
「そんなの分かりっこないでしょ」
アンの投げやりな言葉。何しろ、ここは見慣れた地上ではなく、地下の下水道なのだから無理もない。それに引き換え、
「ええ、分かるわ」
何の抑揚もなく、シスター・マチルダは、至極、当然のことだと言わんばかりにうなずいた。これには、シスター・マチルダを知るアンも目を剥く。そんなことが可能なのか、と。
「この上は《水瓶通り》。街の中心から、やや北寄りのところです」
この街で生まれ育ったアンも、《水瓶通り》と言われればどこのことかは分かる。だが、目印となるもののない地下にいて、今、自分たちが立っているところが街のどの辺かなど、さっぱり見当もつかない。
「じゃあ、下水道の出口が外の川へ出ている場所は?」
「向こうです」
シスター・マチルダは躊躇なく方向を示した。それを聞いて、ケインの顔つきに生気がみなぎる。
「よし。じゃあ、そちらに案内してもらえませんか」
ケインの依頼に対し、シスター・マチルダは何の疑問も挟まずに二人の先頭に立って歩き始めた。ケインはそれについていく。ただ一人、アンは首をひねるしかなかった。
「何で、そっちがそうだって分かるのよ?」
アンは、極々、小さな独り言のつもりだったが、地獄耳を持つシスター・マチルダには聞こえたらしい。チラッと後ろを振り返ると、冷たい一瞥がアンに向けられる。
「礼拝堂からここまで、歩いてきた方向、それに距離さえ頭に入れてあれば簡単なことです、ミス・アン。あなたはこの街の出身なのですから、なおのこと分かって当然だと思いますが」
言われるまでもなく、ラーズの街のことは隅から隅まで知り尽くしているという自負がアンにはある。シスター・マチルダよりも、だ。だが、それは地上での話。こんな行けども行けども同じようなトンネルと水路ばかりがあるところで、そこまでのイマジネーションは働かない。
そう自虐気味に思うものの、それを難なくやってのけるシスター・マチルダには脱帽ものだ。アンには、シスター・マチルダが自分と同じ人間だとは思えなくなってくる。
「どうせ、途中で修業をほっぽり投げた身ですから」
アンはひがんで見せた。しかし、シスター・マチルダは、
「こういうことは、あなたの仕事にも役立つことだと、私には思えますが」
と、嘆息するように呟く。それきり後ろは振り返らなかった。
確かにそうかもしれない。自分が今どこにいるかを把握すること。その感覚に優れていれば、目が見えなくなった礼拝堂でも動くことができただろうし、迷宮<ラビリンス>に迷い込んでも出口が分からなくなるようなことはないだろう。アンは容易に反発せず、それはアドバイスとして聞いておくことにした。
「それより、川への出口で外へ出るって、その根拠は確かなの?」
今度はケインに対し、アンは疑問を呈した。すると、
「半分はオレの勘だ」
とケインは言ってのけた。アンは、ずるっと足を滑らせそうになる。
「勘!? 勘ですって!?」
そして、ヒステリックな声をあげた。
するとまたしても、シスター・マチルダが騒がしい子供を注意するように釘を刺した。
「ミス・アン、いい加減になさい。私たちはシスター・ケイトをさらった犯人を追っているのですよ。そのように大きな声をあげたら、相手に気づかれるではありませんか」
「うっ」
それはもっともな指摘だった。アンは口を両手で塞ぐ。しかし、そのまま黙ってはいられなかった。すぐにケインへ質問し直す。
「私たちはあんたの勘だけで動かされているわけ?」
アンからしてみれば、ケインの勘など信用できない。だが、ケインにはそれなりの確信があるようだった。
「まあ、な。しかし、少しは根拠があるぜ。前にローラが監禁されていたらしい場所を地下下水道で見つけたって話しただろ?」
それはアンも親友のローラのことだから憶えていた。
アンと出会う以前のことを忘れているローラであるが、微かな記憶の断片にあるのは下水道の中の景色だったという。彼女はそこで何者かに追われるようにして逃げていた、というのだ。
ケインと探索をしてみると、海へと通じている下水道の下流で隠し部屋を見つけた。そこは床に描かれた六芒星や古い断頭台がある部屋で、どうしてそのようなものがラーズの地下に隠されているのかは分からない。ただ、ローラは自分がその部屋にいたということを薄らと思い出したのだった。
「今回の一件とローラのことがつながっているかどうかは分からないが、どちらも犯人は街の下水道を利用する人間だ。外へ出るならマンホールを使わず、川へ出た方が楽なはずだぜ。特に誘拐した人間が一緒の場合はな」
「根拠って、たったそれだけ?」
アンは呆れた。しかし、ケインはそれで充分らしい。
「じゃあ、他に当て所もなく歩き回って犯人を捜すのか? そっちの方が確率的に低そうだが」
「私は五十歩百歩だと思うけど」
「それでも少しは高い方に賭けるに限るさ」
ケインほどの確信を持てないアンは半信半疑だったが、それでも異を唱えるようなことはしなかった。多分、理に適っていなければ、シスター・マチルダが口を挟んだであろう。それをしなかったということは、ケインの行動を黙認したという証拠だった。
その結果は果たして――
不意にシスター・マチルダが右手を挙げて立ち止った。ケインたちも止まる。下水が流れる音の他に、微かにインプの発する鳴き声が聞こえた。
「追いついたの?」
アンは逸る気持ちを抑えられなかった。今、すぐにでも飛び出したい。
「待ちなさい」
シスター・マチルダは慎重に相手の方を窺った。それに従い、二人も息を殺すことになる。一ブロック先に漂う光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>が見えた。
「どうやらビンゴだったようだな」
ケインは剣の柄に手をかけながら、ギャンブルに成功したことを喜んだ。
「まだ、こっちには気づいてないようね」
「よし! じゃあ、急襲する!」
「他に手はなさそうね」
「シスターは魔法で援護を。オレたちは突っ込むぞ!」
「あんたが命令しないでよ!」
「お前も自分の手で親友を助けたいんだろ?」
「当り前でしょ!」
「じゃあ、決まりだ。行くぞ!」
ケインは剣を抜くと、有無を言わせず走り出した。アンも追走する。シスター・マチルダは援護に備えた。
なるべくなら、相手にこちらのことを気づかれたくない。足音を殺すように、忍び足で駆けた。光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>がいい目標になる。
ところが明かりなしの突進は、やはり危険だった。先頭を走っていたケインが何かつまずく。その途端、ガシャンという派手な音が下水道内に響いた。
「このドジ!」
アンは失策を犯したケインをののしった。これで不意討ちはおじゃんだ。
「デフリート!」
ケインたちに気づいた犯人は呪文を唱えた。どんな魔法か身構えたケインであったが、いきなり持っていた長剣<ロング・ソード>が重くなり、身体をよろめかせる。とても両手で持ち上げられる重さではなくなった。
「な、何だ、こりゃ!?」
さすがのケインも堪りかね、剣を落とした。これがまた大きな音を立てる。すぐさまケインは拾い上げようとしたが、剣はびくともしなかった。
キィキィ!
その隙にインプが襲いかかって来ていた。ケインは丸腰。絶体絶命であった。
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