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勇者ラディウスの墓標

−11−

「ハァァッ!」
 気合とともに身を屈めているケインの頭の上を跳び越えるようにして、アンが先頭に躍り出た。襲いかかって来るインプに素早くパンチの連打を浴びせる。それを受けたインプの小さな体は呆気ないくらいに吹き飛ばされた。
「何してんのよ!?」
 モタモタとしたケインに罵声を発しながら、アンは次の襲撃に備えた。インプそのものは手強いというほどではなく、野良犬を相手にしているのと変わらない。問題は、それを使役している誘拐犯の魔法だ。
「どうやら剣に呪いをかけられたようだ。ちっとも持ちあがらねえ!」
「はぁ!?」
 アンにはケインの言っている意味が分からなかった。
 いくら試しても、ケインの剣は床に貼りついたようになっていた。仮に持ち上げられても、これでは剣を振るうことなど出来やしない。
 一応、ブーツの中にナイフを仕込んではあるが、その程度の得物でどこまで戦い切れるだろうか。剣がなければ、さすがの名剣士も形なしである。
「だったら、そこで私の戦いぶりを見物していることね!」
 並の男などよりも数倍勇ましく、アンは突進して行った。相手から魔法が飛ばないうちに距離を詰める。これしか戦法はなかった。
「ディロ!」
 光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>が光の矢と化した。マジック・ミサイルだ。アンは眼前で腕を交差し、衝撃に備える。一発くらい抵抗<レジスト>してみせるつもりだった。
 思った通り、ビリっとした衝撃が全身を貫いた。しかし、歯を食いしばって耐えられぬほどの威力ではない。一瞬、スピードが落ちたが、アンは突進を止めなかった。
 ――と。
 アンの左手で水柱があがった。下水の中に身を潜めていたインプが飛び出したのだ。マジック・ミサイルを受けたばかりのアンには、完全なる不意討ちとなった。
「ラッカー!」
 アンの顔のすぐ横で空気がたわんだ。それと同時にインプが弾き飛ばされる。後方で戦況を冷静に見極めているシスター・マチルダの援護魔法、《気弾》だった。
「気をつけなさい」
 シスター・マチルダの小言が耳に痛かった。何もこんなときにまで、と思う。この借りはケイトをさらった犯人に償わせてやるつもりだった。
「レツェンド・ア・ハーナス!」
 新たな呪文が聞こえた。どんな魔法かと、アンは警戒する。それでもスピードを緩めはしなかった。むしろ、上げて行く。
 真っ暗な前方に、いきなり犯人とは別の気配が立ちはだかった。アンは反射的に殴りかかろうとする。しかし、第六感のようなものが働き、その場で身を逸らした。
 次の刹那、アンの顎先を何かが掠めた。格闘センスに長けたアンには、それが鋭く振りあげられた蹴りだと分かる。あのまま突っ込んでいたら、一発でノックアウトだったかもしれない。
 犯人が修道院の人間だとすれば、当然、魔法だけでなく、体術も取得した者である可能性をついつい失念していたアンであった。肝を冷やしつつも、身体の緊張をほぐしながら軽くステップを踏む。魔法に関しては落ちこぼれだったから、お手上げだが、殴り合いなら、いささかの自信があるつもりだった。
 アンの頭上に光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>が飛んできた。シスター・マチルダが呼び出したものだろう。光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>は下水道の天井近くで静止すると、周囲を照らし出す。決着をつける上では有り難いことであったが、それと同時に相手の正体がさらされることとなった。
「ウソ……」
 アンは愕然とした。彼女の目の前に立っていたのが、見知った人物であったからに他ならない。それはあまりにも予想外だった。
「ケイト……」
 それは誘拐された当人であるはずのシスター・ケイトであった。アンはこの一件が自作自演だったのかと、驚きに頭の中が真っ白になりかける。
 目の前にケイトの拳が突き出され、アンは我に返った。左腕でブロック。続く打撃も躱す。動きは肉体が覚えていた。
 かつて修道院時代、こうしてケイトと組んで稽古を行ったものだった。技量ではアンが勝っていたが、ケイトは頭脳的な組み立てをしてきて、結構、苦戦させられた記憶がある。修道院でアンと五分以上に戦えるのは、師範であるシスター・マチルダは別格として、あとはケイトくらいのものだろう。
 まさか、そのケイトと再び戦うことにあろうとは。しかも実戦で。
「どうして!? 何でなの、ケイト!?」
 アンは親友と戦うことになり、泣きたい気分だった。
「しっかりなさい、ミス・アン。シスター・ケイトは操られているのですよ」
「えっ!?」
 シスター・マチルダの声に、アンはハッとした。よく見ると、ケイトの目は眠っているようにつむられたままである。手足だけが華麗に動いていた。
「ど、どういうこと!?」
 アンは何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。
 再びシスター・マチルダの声が飛ぶ。
「黒魔術<ダーク・ロアー>です。魔法が気を失ったシスター・ケイトの肉体を操っているのです」
「さすがはシスター・マチルダ。よくぞ、見破りました」
 賛嘆の言葉をかけたのは、まったく別の人間だった。ケイトの背後から姿を現す。
 その人物の顔を見たアンは、またしてもショックを受けることとなった。
「ま、マザー……ジャクリーン……」
 それはゼルダ修道院の最高責任者たるマザー・ジャクリーン、その人であった。
 一旦、ケイトの攻撃を避けるべく、後ろに飛び退いたアンは、現れた黒幕の正体に膝から力が抜けそうだった。
「う、ウソでしょ……!?」
 マザー・ジャクリーンは悲しみの表情を浮かべていた。自分の正体を知られたことを恥じ入るかのように。
「そんな……マザーがこんなことをするなんて……いえ、きっとこれも何かの間違いなんだわ! 魔法でマザーの姿をしているだけで、中身は別人なんでしょ!」
「いいえ、その人はマザー・ジャクリーンです」
 アンの後ろまでやって来たシスター・マチルダが断言した。ちっとも驚いてなどいないかのように、いつもの冷静な口調で。
「やはり、あなたには分かっていたのですね?」
 と尋ねたのはマザー・ジャクリーン。シスター・マチルダはうなずいた。
「薄々とは。それでも間違いであってほしいと願っておりました」
「あなたたちを裏切ってしまい、申し訳ないと思っているわ」
 それは本心なのだろう。マザー・ジャクリーンの面持ちは沈痛だった。
「謝るくらいなら、ケイトを元に戻してください! そして、罪を償ってください!」
 アンは涙を流しながら訴えた。尊敬するマザー・ジャクリーンがこんなことをするなんて、本人の告白を聞いても信じられない。
 だが、マザー・ジャクリーンはかぶりを振った。
「あなたたちやシスター・ケイトには悪いけど、もう後戻りはできないのよ。私の余命はあとわずかでしょう。死ぬ前にしておかなくてはいけないの」
「何を!? 何をしなくちゃいけないって言うんですか!?」
 マザー・ジャクリーンは、叫ぶアンから、シスター・マチルダへと視線を移した。
「シスター・マチルダ、あなたなら見当がつくでしょう」
「はい」
 アンは後ろのシスター・マチルダを振り返った。どうして、この人たちはこんな風に穏やかに会話をしていられるのだろう。そのことが不思議でならなかった。
「聖職者<クレリック>であるマザーが悪の御技、黒魔術<ダーク・ロアー>を修得することは神へ背くこと。邪教徒の目的はただひとつ――」
「邪神の復活……」
 我知らず、アンは呟いていた。
 マザー・ジャクリーンもまた静かにうなずいていた。
「その通りです。それには聖王家の血が必要でした」
 シスター・マチルダの話によれば、ケイトはカリーン王国を統治するチチェスター王家の末席に名を連ねる者。いかにも邪神が欲しそうな血筋だ。
 世界は守り手である王家によって、邪神の魔の手から護られていると多くの人々に信じられていた。それが真実か否かは分からない。しかし、その信仰を破ることは、世界への干渉を容易くするものであることは確かだ。世が乱れれば、聖なる護りにほころびが生じる。それこそ、邪神が求めるものだ。
「私には娘がいた。でも、生まれつき体が弱く、どのような賢者からも長くは生きられないと言われていたわ。誰もがあの娘を見限り、そして、その通りに死んでいった。私が修道女<シスター>になったのはそれからのこと。あなたたちを自分の娘のように育てていったつもりよ。私もそれで救われたと思った。でも……自分の死期を悟り、改めて人生を振り返ってみると、私が失ったものも大きかったと思い知ったのよ。成長していくあなたたち同様に、もしもあの娘が生きていたら……そう思わずにはいられなくなったのよ。そんな私に、これまで仕えてきた創造母神アイリスは何も答えをくれない。まるで、諦めろ、それが運命なのだ、とでも言うように。だからなの。だから私は自分の魂を売ってでも、失った娘を取り戻したいのよ!」
 マザー・ジャクリーンはずっと胸の内に秘めていたものを吐き出した。そこにいるのは一人の老いた女。“マザー”と多くの修道女<シスター>たちから慕われてきても、空虚な喪失感を埋めることのできなかった無力な人間。
「だからって……だからってケイトを生け贄に選ぶなんて……」
 アンは納得できなかった。マザー・ジャクリーンの言っていることなど世迷い言にしか聞こえない。失われたものを取り戻すために、犠牲にしていい生命などありはしないのだと、マザー・ジャクリーンは自ら説いていたはずなのに。
「私も後戻りはできません。私の邪魔をするというのなら、たとえあなたたちでも力ずくで排除します」
 マザー・ジャクリーンは、そう宣言した。その前に操られたシスター・ケイトが立つ。戦いは不可避だった。


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