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「おはようございます、姫様」
起床の時刻になったので、有無を言わさず寝室のドアが開けられた。中に入った侍女たちが、それぞれに与えられた仕事に移る。ある者はカーテンを引いてまとめ、ある者は窓を開放し、ある者はベッドの掛け布団を剥ぎ取っていく。こうなると、とてもではないが、まだ寝ていたい、などとわがままを貫き通すことなどできない。
朝の光にきつく目を閉じ、顔を大仰にしかめながら、部屋の主、アンジェリカ・シャルル・チチェスターはベッドから動かず、無言の抗議をした。
「さあ、姫様、起きてくださいませ。朝でございますよ」
一番年嵩の侍女オルガがアンジェリカに声をかけた。彼女はアンジェリカの乳母として、王女が小さかったときから、ずっと面倒を見てくれている。じゃじゃ馬で知られるさすがのアンジェリカも、オルガにだけは頭が上がらなかった。
「はいはい、起きていますよ。まったく、オルガはいつまで経っても、私を子供扱いなんだから」
「当然でございましょう。姫様は、いつまで経っても手のかかる子供でいらっしゃる。少しは聞きわけがよろしいと、このオルガも大助かりなのですが」
朝から小言は聞きたくないと、アンジェリカは観念してベッドから下りた。たちまち、他の侍女がアンジェリカの着替えを手伝い始める。見事な連携とスピードだった。
落ち着いた紫のドレスに着替えたアンジェリカは、今度はドレッサーの前に座らされ、ヘアスタイルを直された。元々、ショートヘアにしているので、こちらもあっという間に終わってしまう。あとは軽いメイクが施され、これで朝食前の支度が完了だ。
「さあ、シルヴィア様たちがお待ちです。参りましょう」
シルヴィアは一番上の姉である。アンジェリカは五人姉妹の真ん中だ。カリーン王国国王ファリス・パースヴェル・ド・チチェスターは子宝に恵まれたものの、世継ぎになる王子は一人もいない。
「その前に、誰か、お茶を持ってきて。それから、ヴァイオレット以外の者は外に出てちょうだい」
アンジェリカは侍女の中でも、まだ宮中に入って一カ月にも満たない新人の名前を口にした。
「姫様」
オルガが少し不快な表情を見せた。ヴァイオレットは、オルガからしてみると、特にこれといった美徳もないのだが、どういうわけか、最近なにかとアンジェリカに目をかけられている侍女だ。他の侍女の中には、それを快く思っていない者もいる。そのことについては、これまでにも折に触れてオルガが注意してきたつもりだ。にもかかわらず、アンジェリカはそれを改めようとはしなかった。
「さあ、聞こえたでしょ。早くしないと、朝食が遅くなってしまうわよ」
アンジェリカは侍女たちを促した。主人の命には逆らえない。寝室にヴァイオレット一人を残し、オルガたち侍女は、一旦、退いた。
ドアが閉められると、アンジェリカは大きく息を吐き出した。
そんなアンジェリカを見て、残るように言われた新人のヴァイオレットはクスッと笑った。
「知りませんわよ、姫様。あとでお説教されても」
いくら新人で、王女に気に入られた侍女とはいえ、ヴァイオレットの態度は主人であるアンジェリカに対して不遜であっただろう。この場にオルガがいれば、まず間違いなく目くじらを立てて、説教していたに違いない。しかし、アンジェリカはヴァイオレットの態度を咎めはしなかった。
「構わないわ。いつものことだもの」
そう言うと、アンジェリカは王女にあるまじき大きな欠伸をした。こちらも二人だけだからこそ出来る行為だ。
「眠そうですわね。夜更かしが過ぎましたか?」
「ちょっとね。大丈夫、午前中は歴史の勉強のはずだから、そのときにでも隠し部屋で寝るから」
「それはロマン先生が気の毒ですこと」
いつもアンジェリカに振り回されている家庭教師に、ヴァイオレットは同情した。
「それよりも“ヴァルキリー”、あれから何か分かった?」
アンジェリカが訊ねるや否や、新米侍女ヴァイオレットは、いつの間にか仮面の魔女ヴァルキリーに姿を変じていた。
ヴァルキリーは、一か月ほど前から新米侍女のヴァイオレットとして、アンジェリカのお付きになっていた。このことを知っているのは、アンジェリカだけだ。国王のファリス五世にも言っていない。
「はい。連中は人身売買を生業にするケチな悪党でした。裏には盗賊ギルドの人間が絡んでいるようですが、姫様が追っているヤツらと直接の繋がりはないようです」
「そうか……」
アンジェリカは落胆の表情を見せた。
昨夜、人身売買組織のアジトに踏み込んだ二刀流の女剣士こそ、誰あろう、このアンジェリカであった。彼女は、ある事件を追う中、この人身売買組織を突きとめたのである。
巷では、カリーン王国の王女アンジェリカが城を抜け出し、お忍びで王都ラーズに出没していると噂されている。それは王女のじゃじゃ馬ぶりから庶民の間で想像された作り話であったが、事実は小説より奇なり、まさか、それが現実にあろうとは夢にも思うまい。
ヴァルキリーは王女と知り合って以来、毎夜、そのお供を務めていた。
「ガッカリされるのはまだでしてよ、王女。昨夜、助けた少女。ゼルダ修道院の修道女<シスター>見習いということでしたが――」
「うん。送り届けてくれたか」
「はい。――で、その少女の話によると、彼女が連れ去られた場所は、修道院の礼拝堂の地下とのこと。ゼルダ修道院のシスター・マチルダにも話を聞いたところ、どうやら少女をさらった賊の本当の目的は、その修道院におられるフォレスター家のケイト様にあったようです」
「フォレスター家のケイト!?」
その名はアンジェリカにも聞きおぼえがあった。フォレスター家はチチェスター王家の遠縁にあたる。今は王位継承権を返上しているが、歴とした王家の血筋だ。
「ケイト様もさらわれかけたそうですが、それはシスター・マチルダたちによって阻止されたそうです。今は修道院の中で保護されているという話でした」
「そうか……フォレスター家のケイトが……それは私もうっかりと失念していた」
「ようやく本命に辿り着いたようですね」
その言葉を聞いて、俄然、アンジェリカは力が出た。眠気も吹っ飛ぶ。
「正体を見られたために連れ去ることにしたシスター・メリーは、とりあえず人身売買組織に売ってしまおうと考えたのでしょう。なぜ、ひと思いに殺さなかったのかは謎ですが、ようやく糸口が見えてきました」
「そうね。これでヤツを追い詰められる」
アンジェリカは今すぐにでも城の外へ飛び出したい気分だった。早く公務から解放される夜にならないかと思う。
しかし、あくまでもヴァルキリーは冷静だった。激しやすく、猪突猛進な王女をなだめる役回りでもある。
「まだ、お耳に入れておきたいことは他にも」
「何?」
「ラディウスが見つかったそうでございます」
「ホントに!?」
修道院から来て欲しいとの手紙を受け取ったアンは、シスター・マチルダから話を聞いて驚きと喜びの声をあげた。
たしなみのないアンの大声に、シスター・マチルダはこめかみをピクリとさせたが、すでに彼女は修道院の人間ではないのだと自分に言い聞かせ、とりあえず小言を言うのは踏み止まった。そんなシスター・マチルダの様子に、アンは自重しようと椅子に腰かけ直す。
シスター・マチルダは咳払いした。
「本当です。明け方、衛兵の方がシスター・メリーを送り届けてくださいました。どうやら、行方知れずになってから今まで、人身売買の組織に囚われていたようです。少し衰弱していますが、大きなケガもなく、しばらく休めば元気になるでしょう」
「よかった! ホントによかった!」
アンは諸手をあげてバンザイしたいくらいだったが、シスター・マチルダに睨まれて、中途半端な位置で手を止めた。やっぱり、この人は苦手だ、とアンは心の中で毒づく。
「シスター・メリーを人身売買組織に引き渡したのは、多分、マザー・ジャクリーンでしょう」
シスター・マチルダの言葉に、アンは沈痛な面持ちになった。
マザー・ジャクリーンは、このゼルダ修道院の最高指導者であり、修道女<シスター>たちの親代わりとも言える存在であった。その彼女が信仰を捨て、邪神の手先になろうとは。昨夜、その真実をこの目で見届けたにもかかわらず、アンは未だに信じられなかった。
「なぜ、マザー・ジャクリーンは何の罪もないシスター・メリーをそんな目に……」
「ひょっとすると、それがマザーなりの慈悲だったのかもしれません」
「慈悲?」
勝手に売り飛ばされかけて、慈悲もあったものじゃないだろう、とアンは憤った。マザー・ジャクリーンがやったことは、やはり許されるものではない。いくら、最後に死を賭してアンたちを守ってくれたとしても。
やるせないアンの気持ちをシスター・マチルダは察していた。
「ミス・アン。礼拝堂の秘密――すなわち、礼拝堂の地下が下水道に繋がり、そこから外へ出られるということですが――を知ったシスター・メリーは、口封じに殺されても不思議はありませんでした。ですが、マザー・ジャクリーンはそうせず、彼女を街から遠ざけようとしたのです。そう考えれば、これはマザー・ジャクリーンなりの慈悲だったとは思えませんか」
「それは……」
アンは反論の言葉を呑み込んだ。マザー・ジャクリーンの慈悲。それでシスター・メリーを救ったつもりだったのだろうか。だが、こうして助け出されたからいいものの、このままどこかへ売り飛ばされていれば、十二歳の少女には過酷な運命が待ち受けていたはずだ。やはりアンには、どこかマザー・ジャクリーンを責める気持ちが拭えない。親友のケイトを魔法で操り、無理矢理にアンと戦わせ、しかも最後には彼女を邪神の生け贄にしようとしたのだ。数十年前に亡くなった自分の娘を生き返らせる、という身勝手な理由で。
「やはり、あなたは聖職者<クレリック>には向いていなかったようね」
シスター・マチルダは嘆息した。これには少しカチンと来たアンは、
「そうやって何でもかんでも寛容になれるはずがありません! それともシスター・マチルダは邪神をも肯定するおつもりですか!」
と噛みついた。シスター・マチルダは、昔と同じ冷たい眼差しをアンに向ける。
「やれやれ、直情的なのは相変わらずですね。もう少し物事を広く見る目を養ってみなさい――と言っても、あなたには無理ですか。いいでしょう。もう、あなたは私の教え子ではありませんし、修道女<シスター>ですらないのですから。自分の信じた道をお行きなさい」
シスター・マチルダは席を立った。これで話は終わりか、とアンは拍子抜けする。
「ケイトはどうしていますか?」
立ち去ろうとする背中に、アンは訊ねた。こうして修道院まで来たのも、ケイトの様子が気になっていたからだ。
「今は部屋で休んでいます。しばらくは、こちらで警護をつけますし、礼拝堂の床も塞いでおきます。多分、再び賊がシスター・ケイトを狙うようなことはないと思いますが、私も目を光らせておくことにします。心配はいりません」
聖魔術<ホーリー・マジック>と護身用の武術をマスターした修道院の面々ならば、魔術師ジャロームとその一味が襲撃して来ても大丈夫だろう。その点ではシスター・マチルダを信頼していた。
「分かりました。ケイトのこと、よろしくお願いします」
アンはシスター・マチルダに一礼すると、帰ろうとした。
「そうそう」
帰り際、今度はシスター・マチルダが声をかけた。アンは振り返る。
「シスター・メリーを送り届けてくれた衛兵が、昨夜の事情を聞きに訪れるかもしれません。どうやらあなたたちは、あの魔術師と因縁があるようですし。彼らの力が借りられるなら、それに越したことはないでしょう」
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