「理佳ーっ! 理佳ーっ? お客さんよ!」
日曜日の朝、夜更かししての長電話も手伝って、いつもよりも寝過ごしていた理佳は、母の声に起こされた。寝ぼけ眼をこすっていると、部屋へ母が入ってくる。
「だーれ?」
「警察の人よ。あなたに聞きたいことがあるんですって」
「警察? 私に何を?」
何がなんだかさっぱり分からず、理佳は着替えて洗面を済ますと、リビングに通された二人の刑事と面通りした。
「坂下理佳さんですね? 私はM署の杉浦、こっちは神戸と言います。できれば、これから署の方で事情聴取を行いたいのですが」
年輩の刑事──杉浦がそろりと打診した。話し方は極めて穏やかである。隣の若い刑事──神戸もなかなかの好青年に見え、初対面の印象は悪くない。
「この娘が何かしたんですか?」
むしろ不安そうなのは母の方で、つい横から口を挟んだ。
「いえ、そういうわけではありません。型通りの事情聴取です。ただ、ここでは話しづらいこともあると思いますので」
杉浦はやんわりと説明した。それでも母は納得できないようだ。
「分かりました。お伺いします」
理佳は思い切って承諾した。
心配げな母を説き伏せ、理佳は二人の刑事に伴われて、M署へ向かった。
警察署では取調室ではなく、応接室へと通され、おまけに缶ジュースとお菓子まで振る舞われる待遇に、理佳はいささか拍子抜けした。刑事ドラマなんて当てにならない。
「さて、ご足労願ったのは他でもない。水木由紀夫さんのことなんです」
杉浦はそう切り出してきた。
「由紀夫?」
あのハンバーガー・ショップでのケンカ以来、由紀夫とは口もきいていない理佳だった。ただ、昨日の土曜日まではちゃんと学校に来ていたし、変わった様子も見られなかったと思うが。
「あなたと水木さんは親しかったと聞いています。間違いありませんか?」
「はい」
「では、残念なことをお伝えしなければなりません。水木さんが夕べ、亡くなりました」
「え?」
杉浦の言葉に、理佳は頭の中が真っ白になった。由紀夫が死んだ?
「我々、警察は殺人事件として調査を始めました」
「殺人……」
さらに衝撃的な言葉。話が出来るまで、しばらく時間を要した。
「ど、どうしてそんなことに……」
「松村勲という人は知っていますか?」
理佳は少し考えてから、首を横に振った。
「いえ、初めて聞きます」
「水木さんとは中学時代の同級生だった人です。先日、この人も亡くなりまして──」
「……電車の事故……」
ぽつりと理佳が呟いた。
杉浦と神戸の両刑事が顔を見合わせた。
「ご存じでしたか?」
「いえ、由紀夫からその同級生の話は聞きましたけど、名前までは……」
「松村さんは十二日の朝、登校途中に、駅のホームから転落し、ちょうど入ってきた下り電車に轢かれました。初めは事故だと思われていたのですが、どうも複数の目撃者証言を聞くと、誰かに意図的に押されたらしい、と」
理佳は身震いした。そのシーンがイメージとなって浮かぶ。
「そこで松村さんの周囲を調べていたのです。怨恨の線で容疑者が浮かばないかと思いまして。すると一ヶ月前、松村さんの高校の同級生、南晋一さんが自殺をしていることが判明しました」
なにやら事態は混迷の度合いを深めてきた。理佳は頭の中を整理して、続きを聞く。
「この南さんという子は、校内でも有名なイジメられっ子だったようです。自殺はそれを苦にしたものようで、遺書も発見されています。そして、彼をイジメていたのが──」
「松村勲……」
「そうです。学校でも問題になったのですが、一ヶ月の自宅謹慎処分を受けただけで、あとはお咎めなし。自殺した南くんの母親は学校や警察に抗議しましたが、それを聞き遂げるまでには至りませんでした。以後、母親の早智子は引きこもり気味になり、事件はうやむやになったのです」
「そんなことが……」
「知らないのは無理もありません。水木さんもそこまでのことを知っていたのかは疑問ですし」
杉浦は胸ポケットからタバコを取り出したが、理佳の顔をチラっと見て、元の場所にねじ込んだ。女子高生の面前でタバコを吸うことに遠慮したのだろう。理佳自身は嫌煙家ではなかったので、別に構わなかったのだが、それよりも今ひとつ杉浦の話に釈然としないものがあった。
「でも、それが松村さんていう友人の死と、どういう関係が? それに、どうしてそこから由紀夫の死にまでつながってくるんです?」
「どうやら松村さんをホームで突き落とした人物というのが、南くんの母親、早智子らしいのです」
理佳は言葉を失った。イジメを苦に自殺した息子の仇を討つ。考えられないことではないが、現実であり得るのか。事実だとしたら、それは痛ましい悲劇でしかない。
「松村さんは南くんに対し、度々、金銭を要求していたようです。初めは自分の小遣いから出していた南くんでしたが、イジメがエスカレートするに従って、親の財布から盗んだり、自分の持ち物である本やCD、ゲーム・ソフトを渡していたと、本人の日記にありました。それを知った母親の早智子は、再三、松村さんに返却を求めたそうです。しかし、半分はすでに中古のショップに売り飛ばされ、他も松村さんの友人に譲ったり、貸したりしたとの証言が交友関係から取れています」
「母親はせめて息子の遺品である本やCDを回収したかったらしいですね。それが亡き息子を取り戻すことに思えたのかも知れません」
杉浦に続いて、神戸が視線を落としながら話すのを理佳は痛ましく聞いていた。よく不慮の事故や殺人により子を失った親が、その子供の部屋を生前と同じように保存しておくというのを聞く。南晋一の母である早智子も、きっとそれと同じ様に、未だ息子の死を受け入れられないのだろう。だから息子がいつ帰ってきてもいいよう、その遺品を取り戻したかったのに違いない。
そこまで考えて、理佳は思い当たった。
「まさか、由紀夫が殺されたのって……」
「そうです。水木さんは松村さんから、南くんの遺品である本『緋色の夢』を借りていたのです」