玄関を勢いよく開けると、理佳は一目散に自分の部屋に駆け込んだ。勉強机の脇にかけられた学生鞄を取り上げると、中身を机上にぶちまけてみる。それよりやや遅れて、二人の刑事──杉浦と神戸が入ってきた。
「どうです、ありましたか?」
「ない! ないわ! 確かに鞄の中に入れておいたと思ったのに!」
乱暴に教科書やノートをかきわけ、鞄のあらゆるポケットを探るが、由紀夫から渡された『緋色の夢』は出てこなかった。
何事かと母が部屋を覗きに来る。
「落ち着いて、よく思い出してみてください」
神戸が優しく言ってくれる。しかし、理佳はパニックだ。
「えーと、えーと……あの日は、あそこでハンバーガーを食べて……んーと、それから……」
テストでもこれほど懸命に記憶を総動員させることはないであろうというほどに、理佳は必死に思い出そうとした。
「! そうだ! あの日は朋美と陽子が家に来てたんだ!」
二人のうちのどちらかが理佳に黙って持っていった? 親友に断りもなくか? いや、確か最初に飛田龍之介を薦めてくれたのは朋美だ。朋美も理佳と同じく読書好きで、どちらかというとその影響を受けているのが理佳の方である。朋美も飛田龍之介の『緋色の夢』を読みたいと、常々、言っていたのを思い出す。ならば、理佳が席を外した隙に鞄から『緋色の夢』を見つけ、ちょっと魔が刺したというのは考えられまいか。
理佳は携帯電話で朋美にかけてみた。すぐにつながる。
「もしもし、朋美?」
「あ、理佳? なに?」
勢い込んだ理佳の様子に朋美は面食らったような反応だったが、構っていられなかった。
「アンタ、『緋色の夢』を持って行った?」
「ごめん、持ってった」
あっさりと朋美は認めた。
理佳は怒るよりも呆れた。
「何で人のモン、黙って持ってっちゃうのよ!」
「だって、すっごく読みたかったんだもん! 二、三日したら読んで返そうとは思ってたんだけど……もうすぐ読み終わるから、明日、学校ででも返すよ」
理佳は頭痛がしてきた。
由紀夫は『緋色の夢』を松村から借りたばっかりに殺されたらしいのだ。その本を持っていたらどうなるか!
「いい? 朋美、よく聞いて! その本、すっごくヤバいのよ!」
「え? まさか盗品とか?」
「違うわよ! いや、ある意味そんなようなもんだけど……とにかく、今から取りに行くから、そこから動かないで!」
「分かったわよ……」
「朋美、家にいるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、すぐ行くから、絶対に外出しないで! それから私が行くまで、家には誰も入れないように!」
「なにそれ? 新しいギャグ?」
「バカッ! じゃあ、待ってなさいよ!」
理佳が電話を切ると、そばにいた二人の刑事がうなずいて見せた。
「場所は分かるね?」
「はい」
「行こう!」
何が何やら分からない母を残し、理佳たち三人は覆面パトカーで朋美の家へ向かった。
車を飛ばして二十分、目的地である児島朋美の家についた。朋美の家は閑静な住宅地にあり、日曜日ということもあって、道路でキャッチボールをしている小学生や洗車をしているお父さんなどの姿が目につく。
理佳は車から降りるや、インターフォンを押した。刑事たちは周囲の警戒の目を走らせる。
ほどなくして、玄関のドアが開いた。
「あ、理佳」
「朋美ーっ! まったく世話、焼かすんだから!」
のほほんとした朋美の表情を見て、理佳は脱力した。
「後ろの人たちは?」
朋美が理佳の後ろにいた刑事たちに気がついて尋ねる。
「あ、この人たちは──」
そのときだった。朋美の家の前に止めた覆面パトカーのすぐ後ろにタクシーが止まり、中から四十代くらいの婦人が降りた。どこにでもいそうな主婦といった感じだ。だが、その婦人はタクシーの代金を払わず、さっさと降りてしまったらしく、運転手の「お客さん!」という呼び止める声が聞こえる。その声で、理佳たちも気がついて振り返った。
婦人の手が持っていたバッグの中に伸びる。
一瞬にして、二人の刑事たちに緊張が走った。
「南早智子!」
その名前に、理佳は心臓が飛び出しそうだった。
南早智子。
松村勲、水木由紀夫殺害の容疑者。
早智子はバッグの中から刃渡り二十センチくらいの文化包丁を取りだした。
「!」
理佳は恐怖に目を見開いた。
その前に神戸が立ち塞がるようにした。さらにその前に杉浦が。
早智子は文化包丁を握ったまま突進した。
早智子の身体は杉浦にぶつかり、その勢いを殺せず、神戸、理佳と衝撃が貫いた。理佳はよろめいて、玄関のドアに背中を打ちつけた。
「うっ!」
それは誰が漏らした呻き声だったか。理佳自身であったかも知れないし、他の者だったかも知れない。
痛みでつむっていた目を開けた理佳の前で、杉浦が崩れるようにして倒れた。
「杉さん!」
悲痛な神戸の声。
杉浦刑事は南早智子に刺されたのだ。地面にとめどなく血があふれだす。