土地のものをふんだんに使った夕食をいただき、久紀は食後の散歩としゃれこんだ。
空には満天の星空が広がっている。夜になって気温も下がり、Tシャツ姿では肌寒いほどだ。
それでも星を眺めるチャンスなんて東京にいる限りあまりないので、牧草地にゴロリと横になり、全身に降りかかりそうな星空を見上げた。
聞こえてくるのは虫の音くらいで、火照った身体を涼風が撫でていく。このまま寝たら風邪を引くのは確実だが、それでもこのまま身を委ねていたい誘惑に駆られた。
そんな耳元に牧草を踏みしめる音が聞こえた。音の方向に顔を傾けると、恭子だった。
「ここにいたんだ」
「ああ」
恭子も隣に腰を下ろした。そして久紀と同じように大の字になる。
「私も好きよ、こうして星を見上げるの」
「オレ、初めてかも。こうして星を見るのって」
「きれいでしょ?」
「きれいだ」
しばらく二人は無言で星を眺めた。短い時間であったような気もすれば、長い時間であったような気もする。いずれにしろ、それは星々の栄枯盛衰に比べれば、ほんの瞬きの一瞬に過ぎない。
やがて久紀の方が動いた。
「佐々木、オレ、明日帰るよ」
「え?」
久紀の言葉に恭子も動いた。
「なんか突然来て、突然帰るみたいで、自分でもワケ分かんないんだけど、佐々木のご両親や牧場の人たちだって仕事があるわけだし、佐々木だってそうだろ? オレ一人、遊んでいるわけにはいかないよ。それにウチの親にも黙って来ちまったしさ」
「………」
「悪かったな、あんなハガキを真に受けて」
「ううん。ちょっと嬉しかった」
「そうか?」
「うん。懐かしかったよ」
「オレも」
「まだ四ヶ月くらいなのにね……」
「ああ」
「遠いんだなって思った。東京と岩手って」
「そうだな」
「そう簡単には会えない距離なんだよね」
「まあ、同じ東京にいても卒業してから会ってないヤツなんて、いっぱいいるけどな」
「それは近くにいるから会う必要がないんだよ」
「そうかな?」
「会おうと思えば、すぐに会えるじゃない? 岩手じゃ簡単には会えないよ」
「でも、オレ、来たぜ」
「だから嬉しいの」
「………」
二人はそのまま黙り込んだ。
星だけがひっそりと二人を見守っていた。
翌朝、駅近くの業者へ朝一番に絞ったミルクを運ぶ車に、久紀は乗せてもらうことにした。恭子の父が運転するトラックの助手席に座ると、朝、姿を見せていなかった恭子が続いて乗り込んできた。
「何だ、恭子。お前もか?」
「うん。見送り」
「ふ〜ん。それにしても久しぶりだな、恭子の女の子らしい格好を見るのは」
恭子の父が言うとおり、恭子は昨日のオーバーウォールの格好ではなく、白いサマードレスを着ていた。肌が黒くなったことを除けば、久紀のイメージにある恭子に一番近い感じだ。その体温を間近に感じて、久紀はドギマギした。
恭子もちょっと恥ずかしそうだった。
「もお、お父さん、やめてよね!」
「はっはっは! 勝原くん、これからもときどき遊びに来なさい。少しは恭子の女の子らしい格好を見たいからね」
「はあ……」
「お、お父さん!」
ホーム・コメディはそこまでにして(笑)。
配達前に駅前で降ろされた久紀と恭子は、乗車客もまばらなホームで電車を待っていた。
十五分は電車を待っているが、二人とも会話はなかった。並んだまま、押し黙っていた。
久紀は恭子にもう一度確かめてみたかった。自分のことをどう思っていたのか。
だが──
尋ねるタイミングをつかみかねたまま、電車がホームに滑り込んできた。
「あ、あの……」
「………」
電車から吐き出され、吸い込まれる人の波。刻は容赦なく待ってはくれなかった。
発車のベルが鳴る。
気持ちとは裏腹に、久紀の足は列車の入口に向いていた。
見上げる恭子の瞳。心なしか潤んで見えた。
「佐々木……」
「………」
確かめるつもりで来たのに、なんだか一つの目的も達していない気がした。オレは何のために来たんだ。何のために……。
列車のドアが閉まった。
恭子の口が動く。「サヨナラ」。
久紀は思わず、ドアのガラスを叩いていた。涙が出てきそうだった。
白いサマードレスを着た恭子が、精一杯の笑顔を見せながら手を振った。
電車が動き出す。景色が流れ始めた。
『遠いんだなって思った。東京と岩手って』
今さらながら夕べの恭子の言葉が重くのしかかってきた。
「佐々木ーッ!」
恥も外聞もなく久紀は叫んでいた。
電車のスピードが増す。
見る見る恭子の姿が遠ざかった。
久紀の頬を涙が伝った。
恭子が見えなくなり、駅が見えなくなった。
久紀はガラスに頭をもたれかけさせるようにしながら、泣いた。