私は男とともに、港の見える丘公園から坂道を下り、山下公園へと抜けた。
海の近くと言うこともあって、風は強く、私は乱れそうになる髪を手で押さえなければならなかった。
やはりここにもカップルの姿。やるせない想いがした。つい一ヶ月前までは、私もあの人と腕を絡めながら歩いていたのに。
今、私の隣にいるのは無愛想な探偵らしき怪しい男。高級ブランドではないが、仕立てのいい黒いスーツ。ワイシャツもネクタイも同じ色で、まるで闇夜のカラスだ。歳は三十代半ばといったところだろうか。苦み走ったいい男だが、かもし出す雰囲気は常人のそれではない。何か危険な香りがする、そんな男だった。
きっと、あの人の両親が私のことを心配して雇ったのだ。それは有り難いことであったが、同時に私のことは忘れて欲しかった。私はもう……。
この探偵も、その辺の事情を全て知っているのだろう。道すがら、あれこれと尋ねてくるようなことはなかった。私の名前すらも。
一ヶ月前──
私とあの人は中華街で食事をした後、横浜公園を経由して、伊勢佐木町へと足を伸ばした。
二人は交際して一年になり、将来は結婚の約束をしていた。もちろん、彼の両親も了承済みだ。
私の方は天涯孤独。十八の時に母を亡くしてから二十五まで、ずっと独りで生きてきた。
だから彼の温かさが心地よかった。もちろん彼の両親も。彼は私に全てを与えてくれたのだ。
それがあの日、何もかも失うことになるなんて。
伊勢佐木町でアルコールを楽しめる店を探していると、彼が数名の男性グループとぶつかった。酔った大学生の一団のようだった。彼に非はない。悪いのは道幅をいっぱいに歩き、足下もおぼつかない大学生たちだ。
それでも彼は謝罪した。普段の彼を知っている私にしてみれば、それは彼なりの礼儀だったのだろう。
ところが、ぶつかってきた方は酔いも手伝ってか、彼に難癖をつけてきた。特にグループのリーダーらしい髪をブロンドに染めた男は執拗で、無抵抗な彼に突っかかって来た。
私は助けを呼んだ。周囲には飲み屋帰りの多くのサラリーマンたちがいたのである。それにも関わらず、誰一人止めようという者は現れなかった。皆、通り過ぎるか、遠巻きに見ているだけ。
彼は殴られた。蹴られた。痛めつけられた。ブロンドの男が一方的に殴り、彼は一切の手出しをしなかった。それを大学生の仲間たちが取り囲むようにし、はやし立てていた。
私は泣いて懇願した。やめて、もうやめて、と。
でも、暴力に対して、それはあまりにも無力だった。
どのくらい彼は殴られ続けただろう。やがて、彼が大きく吹き飛ばされた。倒れた拍子に後頭部が道路の縁石に激突し、鈍い音を立てた。そのときになってようやく、仲間の大学生たちから、ヤベェという言葉が出た。
まだ興奮状態のブロンドの男を引きずるようにして、大学生たちは逃げて行った。その中からは笑い声も聞こえた。ブロンドの男の、ぶっ殺してやる、というおぞましい言葉も。
パトカーが来たのは、その後だった。近所の店の者が通報してくれたのだろう。
だが、彼は重傷だった。意識はない。すぐに救急車が呼ばれ、病院へと運ばれた。
しかし、彼は病院へ到着する前に死亡した。私は号泣した。そのときの私に、泣くこと以外の何が出来たと言うのだろうか。
彼の通夜、私は彼の両親に会わす顔がなかった。二親を亡くした私に、優しく接してくれたあの人たちに。私がついていながら……。どうやって謝ればいいのか、私には分からなかった。
私は通夜に出ることも出来ず、そのまま姿を消した。アパートを引き払い、仕事も辞めた。私は愛する人を失い、自分の幸せを諦めたのだ。生きることを、と言い換えてもいい。
だが、あの大学生たちを許すわけにはいかなかった。特にあのブロンドの男を。私は警察にあいつらを逮捕して欲しいと願った。
それなのに、犯人は一向に捕まらなかった。あれだけ多くの目撃者がいたにも関わらず。
私は警察に幻滅し、自ら犯人を捜すことを決意した。
それからだ。私が毎晩、伊勢佐木町へ赴くようになったのは。
「今日は少し冷えるな」
探偵がやっとのことで喋った。この男、何を考えているのかさっぱり分からない。そもそも探偵ならば、捜査対象に接触してくることからしておかしい。
だが、男は全く意に介した様子はなかった。
「どこかで一杯やらないか?」
それには私も賛同したい気持ちだった。
「なら、いいお店を知っているわ」
ちょうどいい、この探偵にも少し付き合ってもらおう。
私は男を伊勢佐木町へと誘った。