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悪意の教室

−4−

 小栗吉乃の事故死は、転校してきた瑞恵にとってショッキングな話であったが、いざ新生活が始まると、そんなことにばかり気を取られてはいられなくなった。
 転校した翌日、来生は約束通り、担任の片岡寿美子に、瑞恵をクラス委員の書記に推薦した。最初、まだ転校してきたばかりの瑞恵を、クラスの多数決もなしに書記にすることを渋っていた片岡先生だったが、来生の強いプッシュに半ば折れるような格好で許可した。すると、たまっていた仕事が一気に押し寄せ、瑞恵は忙殺された。しかも、勉強も以前いた学校より進んでいたため、新しくもらった教科書を最初から読まねばならず、朝から晩まで机にかじりつきになってしまっている。
 幸い、委員の仕事も勉強も、クラスメイトの来生暁が助けてくれたので、瑞恵はどうにかこなすことが出来ていた。
 スポーツマンで勉強もできる来生は、クラスはもちろん、他のクラスの女子からも人気が高い。そんな来生が転校してきた美少女の瑞恵に付きっきりというのは面白くない話であったが、瑞恵はそれを黙らせるくらいの容貌と頭脳を持っており、いつしか二人はお似合いのカップルとして黙認されるようになっていった。
 もっとも当人たちは照れくさくて、他人の噂は恥ずかしいものでしかなかったが、それが互いを意識させる結果にもなり、親しくありながら、どことなく余所余所しい微妙な関係を形作っていった。
 転校してきて三週間後。初めは小栗吉乃の席に座ったことで話しかけるのもためらっていたクラスメイトたちも、瑞恵と打ち解けるようになってきた。女子にとっては頼れるしっかり者であったし、男子にとっては憧れの対象である。いつしか元々いたクラスメイトのように、皆が接してくれた。
 だが、二時限目の体育の時間が終わったあと、三時限目の国語の時間にノートを開いた瑞恵は、短い悲鳴をあげて、ノートを払いのけた。
 尋常ではない瑞恵の様子に、クラスのみんなはもちろん、担任の片岡先生も気づいた。
「どうしたの、桜井さん?」
 片岡先生は教壇から瑞恵の席までやって来ると、瑞恵が払いのけて床に落とした国語のノートを拾い上げた。そして、開かれたページを見て、表情が一変する。
「誰ですか、桜井さんにこんな嫌がらせをするのは!?」
 空白であるはずのノートのページには、書き殴ったようにある言葉が記されていた。
『死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! ……』
 その言葉は鉛筆で、全ページに渡って書かれていた。
 片岡先生がそのノートの中身をクラス中に見せると、瑞恵は泣き出してしまった。
 片岡先生はノートを持ったまま教壇に戻ると、クラスの全児童に向かって厳しい顔を作った。
「誰がやったの!? 先生は、こんなイジメを許しません! やった人は正直に名乗り出なさい! かばっている人も同じです! こんなことをする人間は最低ですよ!」
 犯人追及は三時限目はもちろん、四時限目の授業も取りやめて行われた。その間、誰も声を発しない。だが、片岡先生はそれで諦めるつもりはないらしく、無言のままクラス中の児童を見つめ続けた。
 それは四時限目だけでなく、給食の時間まで及んだ。それでも名乗り出る者はいない。犯人が強情なのか、それともクラスの外に犯人がいるのか。
 とうとう給食の時間も二十分過ぎてしまい、さすがの片岡先生も諦めた。
「ここで名乗れないのなら、あとで職員室に来なさい! いいわね!」
 女性教諭特有のヒステリーさを隠しもせず、ようやく片岡先生は教室を出て行った。クラスの児童たちはやっと呼吸が許されたように、全身で脱力する。
 まだ半べその瑞恵に、来生が真っ先に駆け寄った。
「大丈夫?」
「……うん」
「ひどいことするわねえ! ホント、誰よ、こんなことするの!」
 隣に座っていた女子が、憤りを見せた。しかし、その視線はチラチラと来生の方を窺っている。要は来生に対して、いいところを見せたいだけなのだ。
 また、別の男子児童も、
「ひょっとしたら、死んだ小栗の仕業だったりして!」
 と、悪い冗談を飛ばす。
 さすがに来生は、その冗談を看過できなかった。
「お前なあ! 言っていいことと悪いことがあるぞ!」
 あまりの剣幕に、冗談を言った男子児童はまずいと思ったのか、ピューっと廊下へ飛び出していった。
 だが、その冗談が実は当たっているのではないかと、そのときクラスの半分近くが思っていた。
 その人数が翌朝になるとクラスのほとんどに変わっていた。
「おはよう」
 昨日のショックから立ち直りを見せて、瑞恵が登校してきた。だが、その立ち直りはすぐにも崩れそうになる。
 五年三組のクラスメイトたちは、教室の一角に黒山の人だかりを作っていた。ちょうど瑞恵の席だ。
 瑞恵は悪い予感がした。
「おはよう……」
 瑞恵はみんなの所に近づきながら、恐る恐ると言った感じで、もう一度、挨拶した。その声を聞いて、クラスメイトたちがパッと瑞恵の方を向く。
 その目は怯えや同情の色が濃かった。
「さ、桜井さん……」
 来生もいた。だが、まともに瑞恵の顔を見られないようだった。
 瑞恵は自分の机の上を見た。
「……!」
 昨日以上のショックが瑞恵を襲った。
 瑞恵の机は、無惨にも彫刻刀か何かで掘った文字が大きく刻まれていた。
『死ね!』
 それを見たとき、瑞恵は足の力が抜けて、くずおれそうになった。
「桜井さん!」
 来生の強い呼びかけがなかったら、瑞恵は失神していたかも知れない。それほどのショックだった。
 来生はどうしてこんなことになったのか、瑞恵に説明しようとした。その表情には苦渋が浮かぶ。
「オレが一番に来たときは、もうこんな字が……。昨日の今日だから、用心しとこうと思って来たんだけど……。でも、机が削られたってのに、その削りカスは一つも落ちていないんだ。まるで掃除したかのように……。これはきっと、夕べにでも誰かが忍び込んでやったんだよ。きっとそうだ」
 だが、それで犯人が特定できるわけではなかった。クラスの人間かも知れないし、そうでないかも知れない。いずれにしろ、瑞恵の存在を快く思っていない者の犯行に間違いはなかった。


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