朝のHRで、また犯人探しが行われたが、やはり誰も名乗り出ることはなかった。
こうなってはまともな授業など出来るはずもない。片岡先生は授業内容を変更して、小テストをすることにした。算数のテストだ。
プリントが配られ、児童たちは問題に取り組んだ。
算数は瑞恵にとって、得意中の得意科目だ。朝の事件がまだ尾を引いているが、問題に集中しようと思った。
だが、自分の名前を書き終わり、一問目の設問を読んでいると、突然、右手に力が入らなくなった。手からシャープペンシルが転がる。
(やだ、どうしたの……?)
瑞恵が自分の体調を訝っていると、すぐに寒気が襲ってきた。
まだ九月。外は炎天下にさらされ、全開の窓からは微風も吹き込まない状態だ。教室内の温度が下がったとは思えなかった。その証拠に、周りのクラスメイトたちは小テストの問題に頭を悩ませながら、下敷きなどで仰いでいる。明らかに寒気を感じているのは瑞恵だけだ。
寒気は背筋を這い昇ってくるようだった。ゾクゾクする。瑞恵の身体は自然に丸まっていった。
(いや……いや……)
背中からは何かがのしかかってくるような重さを感じた。心臓が圧迫される。苦しい。息が詰まる。だが、身体を起こすことが出来ない。
(助けて……誰か助けて……)
視界の隅で、問題を解いている来生の背中があった。もちろん、瑞恵の異変に気づかないし、テスト中ならばなおさら振り向くことなどあり得ない。
(来生くん……)
瑞恵の心の声は届かなかった。
重さと悪寒は、なおも瑞恵を苦しめた。だが、声も出ない。誰も気づいてくれない。
そのうち、首筋の血管がドクドクと脈打つのを感じた。運動もしていないのに異常な早さだ。鈍い痛みを伴った頭痛も感じる。
すると今度は身体が勝手に起き始めた。いや、何かに引っ張られていると言い換えてもいい。
身体は垂直に起きると、さらに後ろへと引っ張られた。椅子の前脚が床から離れ始める。
瑞恵は机にしがみつこうとしたが、無駄な抵抗だった。
そんな瑞恵の頭に、転校してきた当日に聞いた来生の話が思い出された。
小栗吉乃の事故死。
彼女も椅子ごとひっくり返って、鏡に頭を打ちつけたのだ。
もちろん、今は鏡など撤去されているが、このままでは倒れてしまう。打ち所が悪ければ、最悪の事態も考えらた。
(まさか、小栗さんの霊が……!?)
この教室で目撃されたという幽霊話。本当に今も小栗吉乃の霊がこの教室に漂っているのだろうか。
それにしても、どうして瑞恵がこんな目に。
瑞恵の足は完全に床から離れ、椅子はアンバランスな状態で倒れようとしていた。
(もうダメ……!)
瑞恵が諦めかけた刹那──
教室のスピーカーから授業の終了を告げるチャイムが響いた。
途端、瑞恵を襲っていた力は消失し、慌てて態勢を持ち直して、転倒を防いだ。心臓は鼓動が聞こえるくらいに早鐘を打ち、額にはびっしょりと冷や汗をかいている。
「はい、テストは後ろの人から回収して」
片岡先生の指示にも、瑞恵はすぐに動けなかった。机にうつぶせるように、ぐったりとなる。
そんな瑞恵の様子に不審なものを感じたのか、片岡先生が教壇からやって来た。
「桜井さん、どうしたの?」
クラスの全員も瑞恵の方を振り返る。
「な、何でもありません……」
瑞恵は息も絶え絶えに言葉を返す。片岡先生は眉根を寄せたが、すぐに気を取り直して、
「じゃあ、テストを回収します。出して」
と、手を差し出した。
テストなど、恐怖体験のお陰でまったくの手つかずだった。それでも瑞恵は仕方なく、おずおずと片岡先生に渡した。
「はい。──! これは!?」
白紙の答案を見て、片岡先生の表情は豹変した。手が震えて、答案が破れそうになる。
「桜井さん、これはどういうこと!?」
片岡先生の柳眉は逆立っていた。白紙の答案を出されては無理もないだろう。
瑞恵は何とか言い繕おうとした。
「こ、これは……その……体調が悪くて……」
「体調が悪かった? じゃあ、どうしてテスト中に手を上げて、先生に言わなかったの!? 言い訳もいいところね!」
「そんなつもりでは……」
「テストを拒否するなんて……転校生だと思って、こっちが気を使ってあげているのに!」
「先生、今のは言い過ぎです!」
見かねた来生が助け船を出そうとした。しかし、片岡先生の怒りはおさまらない。
「黙りなさい、来生くん! こんな子をかばうつもり!? ──分かったわ、昨日のノートの落書きといい、今日の机に掘った字といい、それもすべて自分でやったのね!? 自分を被害者に仕立てて、クラスの同情を集めたかったんでしょ!? そんなにクラス中の注目を浴びたいの!?」
あまりの言われように、たまらず瑞恵は首を大きく横に振った。涙がこぼれてくる。
「違います、先生! 私、そんなことしてません!」
「いいえ、聞く耳持ちません! 話は放課後に聞くことにします! 桜井さん、今日は授業が終わっても、教室に残っていなさい! いいわね!?」
「……は、はい」
瑞恵は言うとおりにするしかなかった。何かに襲われたと話しても、こんな状況では益々、信じてもらえないに違いない。
片岡先生は不機嫌さを隠しもせずに、さっさと全員のテストを回収すると、教室を出て行った。