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悪意の教室

−6−

 放課後、瑞恵は片岡先生に言われたとおり、誰もいなくなった教室で待っていた。
 時計はもう夕方の五時を回っている。
 瑞恵は窓から外を眺めていた。
 校庭には誰もいなかった。それもそのはず。空は厚い黒雲に覆われ、今にも大粒の雨が降ってきそうだった。全校児童たちは、とっくに家路を急いでいるに違いない。耳には遠雷の音も聞こえてくる。ひどい夕立になりそうだった。
 昼間は少し雲が出ていた程度だったので、瑞恵は傘を持ち合わせていない。早いところ、片岡先生に来てもらって、帰宅を許して欲しかった。
 そもそも、瑞恵が叱られる謂われはないのだ。見えない何かにのしかかるようにされ、さらに椅子ごと後ろに倒されそうになり、怖い思いをしたのは瑞恵である。瑞恵は被害者であって、わざと白紙の答案を提出したわけではない。それを片岡先生に説明すれば分かってもらえるだろうか。
 瑞恵は無理だと思い、ため息をついた。片岡先生は、若い先生の中では堅いイメージのある教師だ。それは転校して間もない瑞恵でも分かる。そんな幽霊の仕業みたいな出来事を簡単に信じてくれるとは考えられない。
 幽霊……。
 そうだ。あまり考えないようにしてきたが、あの出来事をどう解釈したらいいのだろうか。何かにのしかかられたような感じは、それこそ体調の不良と考えられなくもない。だが、椅子ごと後ろに引っ張られたのは、不可解すぎる。瑞恵の席は一番後ろなのだし、テスト中にそんないたずらをするクラスメイトがいるわけがない。
 やはり……。
 瑞恵は振り返って、自分の席を見つめた。空席であるはずのそこに誰かが座っているような気がする。その席は瑞恵の席でありながら、未だに別の者の席なのかも知れない。
 死んだ小栗吉乃の。
 ──と。
 ドーン!
 突然、近くに落雷の音が聞こえた。すると、それが合図であったように、辺りは真っ暗になってしまう。
「キャーッ!」
 瑞恵は思わず耳を塞いで、その場にしゃがみ込んだ。まるで自分目がけて落ちてきたように錯覚していた。生まれてから、これほど落雷が怖いと思えたことはない。
 すると、誰かが廊下を走ってくる足音がして、瑞恵は顔を上げた。
「どうした!?」
「き、来生くん……」
 教室へやって来たのは来生だった。瑞恵の悲鳴を聞きつけて、心配そうな顔だ。瑞恵は慌てて立ち上がった。
「何かあったの?」
 来生は瑞恵のそばまでやって来ると、顔を覗き込みながら尋ねた。瑞恵はかぶりを振って、
「ううん。雷の音にビックリしただけ。すぐ近くに落ちたみたい」
 と、気恥ずかしさもあって、窓の外を見やった。
 すると、とうとう雨が降り始めた。叩きつけるような激しい雨である。雨粒がガラス窓に吹きつけられ、外の景色が歪み始めた。ハッキリと見えるのは、時折走る稲光だけだ。
「やっぱり降ってきちゃったか」
 来生も外を眺めながら呟いた。
 そんな来生に、今度は瑞恵が尋ねた。
「来生くん、まだ残っていたの?」
 この天気では、とっくに帰っただろうと思っていたのだ。
「うん。図書室で本を読んでいたんだ。それに桜井さんのことも心配だったし……」
 来生はそう言って、口ごもった。図書室など口実で、きっと瑞恵のことを待っていてくれたのに違いない。瑞恵にはそんな来生の気持ちが嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。
「あ、ありがとう……」
 二人は向かい合ったまま、互いにちょっとうつむき加減で、黙りこくった。誰もいない教室。二人の鼓動は、相手に聞こえるのではないかと心配になるくらい高鳴っていた。
「ね、ねえ、まだ帰れないの? 片岡先生は?」
 来生が沈黙に耐えかねたように口を開いた。瑞恵の表情が曇る。
「職員会議みたい。終わるまで待ってなさいって」
「でも、白紙の答案はわざとじゃないんでしょ?」
「うん……」
「先生も、何もあそこまで言わなくてもいいのに」
「………」
「オレから先生に言ってあげようか?」
「ううん。嬉しいけど、遠慮しとく。来生くんが私をかばうのも、先生は気にくわないみたいだから」
「え? どうして?」
「分からないけど……そんな風に感じる」
「ふーん」
「……ねえ」
「ん?」
「私、小栗さんにも歓迎されていないのかな?」
「小栗さんに?」
 瑞恵の言葉に、来生は怪訝な表情を作った。小栗吉乃はすでに死んでいる。
「私の言うこと、信じてくれる?」
 瑞恵にジッと見つめられ、来生はうなずくしかなかった。
「ああ」
「これは私の気のせいでも何でもないんだけど──」
 と、瑞恵は前置きした上で、
「今日のテストのとき、誰かにのしかかられたり、後ろに倒されそうになったの。見えない何者かによって。それって、小栗さんなんじゃないのかな? 小栗さんが自分の席に、私が座るのをよく思っていなくて、だから私をこのクラスから追い出したいんじゃないかと思うの」


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