「桜井さん!」
来生は真っ青になって、瑞恵が落ちた窓に駆け寄った。下を覗き込む。瑞恵は──いた!
落ちたと思った瑞恵は、かろうじて窓のへりに手を掛けて、九死に一生を得ていた。だが、ホッとしたのも束の間。雨で濡れた手が滑り、落ちる!
「くっ!」
来生は自分の身も顧みず、身を投げ出すようにして、瑞恵の腕をつかんだ。つるりと腕は滑ったが、何とか持ちこたえる。
「き、来生くん……」
「さ、桜井さん……が、頑張って……」
来生は瑞恵を励ましたが、状況は芳しくなかった。つかむ腕は滑り、瑞恵の身体を引き上げるのは困難だ。
「誰か、助けてーっ!」
来生は声を限りに助けを呼んだ。しかし、それをかき消すように降り続く雨と雷鳴。校舎にいる誰かが聞きつける可能性は薄い。
そんな来生に影が近づいてきた。
「……どうして……そんなコを……助けようと……する……の……?」
影はボソボソとした声で喋った。来生はその声に聞き覚えがあった。
「やっぱりお前、小栗……!?」
「……そんなコ……助けること……ないわ……よ……」
小栗らしき暗い影の言葉に、来生はカッとなった。
「何をバカな! クラスメイトを見捨てられるか!」
「……転校生……よ……」
「転校生だって何だって、五年三組の一員に違いはない!」
来生たちの声は、外の瑞恵にも聞こえていた。懸命に小栗吉乃に諭す来生の言葉に、瑞恵は励まされる。腕はつるつる滑って今にも落ちそうだったが、二人の手は固く互いを結びつけていた。
「……そんなコに……来生くんを取られちゃうの……ヤダ……」
だが、小栗吉乃には来生の説得も無駄なようだった。
「小栗ぃ!」
来生は瑞恵の手を必死につかむ一方で、死んだクラスメイトに分かってもらおうと努力を惜しまなかった。だが──
「……私だって……来生くんのこと……好き……だったのに……」
「!」
それは告白だった。生前には出来なかった、初めての告白。
「……それを……転校してきたばかりの……そんなコに……。イヤよ……イヤ……イヤ……!」
「小栗……」
これまで隠していた心情を吐露した小栗吉乃に対して、来生は何と言っていいか分からなかった。
そして、瑞恵もそれを聞いていた。ある程度、予想していたので、来生ほどの衝撃はない。そのような理由でもなければ、死してまで瑞恵を恨むこともないだろう。
「……みんな……みんな……そのコのこと……嫌っている……。みんな……来生くんが……好きだから……」
小栗吉乃と同じ想いを抱いている女子児童は多いに違いない。来生はこの学校で一番の注目を浴びている男子児童と言っても良かったのだから。
ただ、本人にはその自覚がなかった。それを責めるわけにもいかないだろう。
来生は口をキュッと結んだ。
「小栗……悪いけど、オレは……オレは桜井さんが好きだ。小栗さんや他のコの気持ちには応えられない……」
来生のその言葉に、瑞恵は顔を上げた。
その瑞恵を来生も見つめていた。目は真剣だ。
「来生くん……」
生きるか死ぬかというこの瀬戸際で、瑞恵の心の中では来生に対する愛情があふれだした。ここまで人を愛おしく想えた瞬間はない。
「……来生……くん……」
それを見た小栗吉乃の声は、これまでになく悲しいものだった。
分かっていたことだ。来生の気持ちも、瑞恵の気持ちも。
しかし、死んだ者は時の経過とともに忘れられていく運命。永遠などいう保証はない。
小栗吉乃には申し訳ないと思いつつも、今は瑞恵の方が大事だ。来生は瑞恵を助けることに集中しようとした。
「桜井さん……」
来生は態勢を変えて、もう片方の腕を伸ばし、瑞恵を引っ張り上げた。今度は両腕なので、滑って力が入らないことはない。瑞恵も校舎の外壁に足をかけながら、教室の窓まで這い上がった。
その間、小栗吉乃が邪魔するようなことはなかった。来生の告白を聞き、諦めたのだろうか。
だが、その来生の背後には、別の人影が立っていた。