「いたいよ、おまわりさん」
「あんなイタズラしておいて、何が『いたい』だ! お前の親御さんによく叱ってもらうからな!」
オレは男の子の二の腕を強くつかみながら、家へ案内させた。男の子は痛みに身をよじるが、オレは容赦せず離さない。なにしろ、こちらは落とし穴の水たまりに落ちて、ズボンまでぐっしょりと濡れているのである。男の子をひっぱたきたいところを堪えただけでもマシというものだ。
「ほら、お前の家はどこだ?」
「いたっ! こ、ここだよ、ここ!」
男の子が案内したのは、村の南側にある古い一軒家だった。村にある他の家々と比べても大きい感じがする。表札には『佐伯』とあった。
「ここか? ここがお前の家か? ウソついたら、おわまりさん、牢屋に入れちゃうぞ」
我ながら大人気ない脅しである。しかし、男の子は素直にうなずいた。態度はしおらしく、観念したように見えるが、まだ完全には信用できない。
オレは男の子の腕をつかんだまま、家の垣根の扉を開いた。
「ごめんください」
オレは開きっぱなしの玄関に向かって、声をかけた。すると、程なくして、
「はーい」
という返事があった。女性の声だ。
男の子の身内に散々、苦情を言ってやろうと思っていたオレだったが、玄関に姿を現した女性の姿を見て、声を失った。予想に反して、あまりにも若い女性が出てきたからだ。それも美人の。
その若い女性は、男の子とオレを見て、大きく目を見開いた。
「拓哉……お巡りさん、ウチの拓哉が何か?」
「え? あ、その……」
オレは思わずしどろもどろになった。
その隙を突いて、男の子──拓哉がオレの手を振り払って、再び外へ逃げ出した。
「あっ! タク!」
それを見た女性はサンダルをつっかけて、跡を追おうとしたが、男の子の逃げ足は早く、たちまち姿をくらましてしまう。だが、今のオレには、すでにどうでもいいことだ。
「あの……」
オレは女性に声をかけた。こうして近づくと日なたの匂いがする。白いブラウスに淡いブルーのカーディガンを羽織り、決して派手ではない柄物のロングスカートといういでたちは、テレビCMなどに出演している人気女優を彷彿とさせる温かみのある顔立ちと相まって、好印象を抱かせるに充分であった。年齢はオレと同じか、下だろう。ハッキリ言ってオレの好みのタイプだ。
「あの子のお姉さんであられますか?」
緊張で日本語までおかしくなってくる。
女性は柔らかい微笑を返してきた。
「いえ、あの子の母親です」
「え? 母親?」
そのとき、オレはどんな顔をしただろう。拓哉の母と名乗る女性は、そんなオレの反応がおかしかったのか、さらに表情を崩す。
「ええ。正真正銘の母親ですよ」
「そ、そうですか……」
オレはちょっとめげてしまった。
拓哉の若い母親は、改めてオレの姿を見て、驚いたように口許を押さえた。
「まあ、ズボンが!」
オレはズボンがびしょ濡れだったことを思い出し、恥ずかしさがこみ上げてきた。こんな格好を見られるなんて。
「拓哉の仕業ですね?」
若い奥さんは、申し訳なさそうに言った。
「いや」
とオレは咄嗟に否定しかけたものの、こんな姿で拓哉少年と一緒に現れては、察しがつくというものだ。
「とにかく上がって、ズボンを替えてください。夫のものとサイズが似ていると思いますので」
奥さんはそう言って、オレに上がるよう勧めてくれた。オレは固辞しようと思ったが、結局、奥さんの言葉に甘えることにした。まだ、心のどこかであきらめきれない部分がくすぶっていたのかも知れない。
田舎ならではの広い土間から上がりこむと、靴下もびしょびしょで、板の間に濡れた足跡がついた。オレはつい「すみません」と謝ってしまった。だが、奥さんはイヤな顔ひとつしない。
「これじゃ、下着まで濡れているんじゃないですか?」
見透かされて、オレは赤面してしまった。奥さんが微笑む。
「このままお風呂場の方へ行ってください。洗濯して、着替えを用意しますから」
オレは奥さんに言われるまま、脱衣所へ行き、濡れているズボンとパンツを脱いだ。このまま裸で突っ立っているわけにもいかないので、仕方なく風呂場に移動した。
オレは佐伯家の風呂場を見て、驚いた。なんと温泉だったのである。個人用の小さなものだが、岩場風に作られ、中からは湯がこんこんと湧き出ている。色は透明。露天ではなかったが、充分に温泉気分が味わえそうだ。
考えてみれば、まだ職務中なのだが、オレはそんなことを頭から振り払って、温泉に浸かった。湯加減も熱からずぬるからず、ちょうどいい。オレは肩まで身体を沈めた。
「はあーぁ」
思わず全身の力が抜けるようなため息が口から漏れる。それほど気持ちよかった。温泉なんて、いつぶりだろう。拓哉少年にはえらい目に遭ったが、おかげで極楽気分を満喫することも出来たわけだ。これは逆に感謝しなくてはいけないかも知れない。
「お巡りさん」
突然、風呂場の扉から奥さんの声がかかり、オレは思わず頭を沈めるところだった。
「は、はい? な、何でしょう?」
我ながら、あまりの狼狽ぶりが情けない。
「ズボンと下着を洗濯しておきますので、着替えをここに置いておきます。どうぞ、ごゆっくり」
すりガラスの向こうに、奥さんの姿がチラチラと見えて、オレはドギマギした。多少、「お背中、お流ししましょうか」なんて期待もあったのだが。
「どうぞ、お構いなく」
そう返すのがやっと。
脱衣所の方では、奥さんが洗濯機を回しているのか、ゴーンゴーンという音が聞こえてきた。その音が止まり、さらにしばらく待ってから、オレは温泉から上がった。あまり早く上がって、奥さんと裸で鉢合わせしたらカッコ悪い。
脱衣所には薄茶色のスラックスとワイシャツ、そして下着が用意されていた。奥さんが言っていたように旦那の物なのだろう。着てみると、意外にサイズがピッタリだ。多少、スラックスの腹回りは余裕があるだろうか。ふっふっふ、勝った。