夜になって、オレは加絵子さんと約束したとおり、佐伯家を訪れた。制服から私服に着替えたオレを出迎えてくれたのは、加絵子さんと拓哉の二人だ。加絵子さんは申し訳なさそうな顔で、後ろから押すように拓哉の頭を下げさせた。
「粕谷さん、昼間はすみませんでした。拓哉があんなことをして。──タク、あなたもお巡りさんに謝りなさい」
「……ごめんなさい」
拓哉は消え入りそうな声で謝った。オレは笑顔を見せた。
「拓哉、もう気にしてないよ。オレも子供の頃は、あれくらいのいたずら、しょっちゅうだったさ」
「ホント?」
拓哉はたちまち曇らせていた表情を明るくした。オレはうなずいてやる。
「ああ。だから、これからは友達だ。いいな、拓哉?」
「うん!」
拓哉は破顔した。加絵子さんも、そんな愛息につい笑ってしまう。
「ママ、ごはん、ごはん!」
オレに怒られることはないと分かって安心したのだろう。拓哉は加絵子さんの手を引っ張って、奥へ行こうとした。やっぱり子供には敵わない。
「はいはい。──どうぞ、粕谷さんも上がってください」
「では、失礼します」
オレは靴を脱いで、佐伯家に上がり込んだ。二人の後について、板の間から畳のある和室に通される。中ではすでに食事の用意がされていた。メインは天ぷらだ。あとは家庭的な煮物やお新香など。決しておごった豪華さはないが、その分、温かさが感じられた。
オレは加絵子さんに促され、夕飯の席に着いた。その間に加絵子さんは台所へ立ち、拓哉のご飯と味噌汁、そして缶ビールを持ってくる。
「粕谷さん、飲めるんでしょ?」
拓哉にご飯と味噌汁を出しながら、加絵子さんがオレに訊いた。毎日というわけではないが、オレもアルコールはイケる口だ。遠慮なくうなずいて、グラスを手に取る。加絵子さんはそんなオレに、かいがいしくビールを注いでくれた。グラスの縁一杯にビールの泡が盛り上がる。よく冷えているのが、グラス越しにも分かった。
「加絵子さんもどうですか?」
オレは加絵子さんの手から缶ビールを取って、勧めてみた。加絵子さんは少しためらった様子だったが、
「じゃあ、ちょっとだけいただこうかしら」
と言って、自分のグラスを取りに行き、オレの酌を受ける。
「では、乾杯」
オレと加絵子さんはグラスを打ち鳴らし、ビールを一気に煽った。喉が渇いていたこともあって、ビールが旨い。オレのグラスはアッという間に空になった。
「まあ」
そんなオレを見て、加絵子さんは笑った。拓哉もだ。
「おまわりさん、ヒゲ〜」
言われてから気がついた。オレの上唇の上にビールの泡がこびりついていたのだ。それが拓哉にはヒゲに見えたに違いない。
加絵子さんは、おかしそうに笑った。笑うと可愛らしく見えるひとだった。しかも、ビールをちょっぴり飲んだだけなのに、もう頬の辺りは桜色に染まっている。オレは益々、加絵子さんのことが好きになってしまった。
ひとしきり笑ってから、加絵子さんはオレに二杯目のビールを注いでくれた。
「どうぞ、料理の方もお食べになってください」
「はい、いただきます」
オレは箸を取り、白身魚の天ぷらから行った。加絵子さんが作った料理だ、どんなものでも食べるつもりだったが、そんなのは杞憂に過ぎず、味も申し分なかった。天ぷらの衣もサックリとした歯ごたえで、身はふっくらとしている。
「おいしい」
お世辞抜きの言葉だった。加絵子さんがはにかむ。
「そうですか? どうぞ、たくさん召し上がってくださいね」
加絵子さんの手料理は、天ぷらだけでなく、里芋の煮物も白菜のお新香もオレ好みの味付けで、どれもおいしかった。やっぱり、料理が出来る女性っていいなあ。オレが過去、付き合ってきた女は、皆、まともな料理を作ったためしがなかった。それと比べれば雲泥の差である。
程なくして、加絵子さんが席を立った。
「ちょっと、お義母さんに食事を運んできますので、粕谷さんはそのまま召し上がっていてください」
そう言って、加絵子さんは下がって行った。そう言えば、寝たきりの義母がいるって言ってたっけ。
オレはご飯をかき込んでいる拓哉に話しかけた。
「拓哉のおばあちゃん、具合、悪いのか?」
「分かんない」
「分かんないって、お前」
「でも、ずっと布団で寝たまま。トイレもママが連れて行くよ」
「ふ〜ん」
加絵子さんもまだ若いのに大変だ。実の母親ならばまだしも、死んだ夫の母親を今も世話するなんて、なかなか出来ることじゃない。
オレは話題を変えた。
「そう言えば、拓哉。いつもあの山で遊んでいるのか?」
「うん」
「何して遊んでいるんだ? 虫とか捕まえるのか?」
すると拓哉は、加絵子さんが出て行った方を一度、見てから、オレに顔を近づけるように身を乗り出した。
「おまわりさん、ヒミツだよ」
「ヒミツ?」
「誰にも言ったらダメだよ」
オレはつい苦笑しそうになった。
「よし、分かった。男と男の約束だ」
オレは拓哉に約束した。
拓哉は一段と、声を低める。
「あの山にはね……宇宙人がいるんだ」