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泥御坊

−12−

 完全に男が底なし沼に没してから、女がゆっくりと立ち上がった。周囲を調べるように眼を光らせてから、うなずく。
「もう息を吸っても大丈夫よ」
 女に言われて、オレは呼吸を再開し、立ち上がった。実際は一分くらいのものだったろうが、オレは息が出来ることの素晴らしさを実感した。拓哉も荒い呼吸をして、喘ぐようにしている。
 落ち着いたところで、オレは改めて女に質問した。
「今のは?」
 オレの言葉は、先程の大きな泡と異臭に関してのものだった。
 女は、ご覧なさい、とでも言うように、両手を広げる動作をした。
「ここへ足を踏み入れたときから分かっていたわ。ここには、ときどき有毒ガスが発生するのよ。ほら、沼を中心にして、草木が枯れているでしょう? これまでもこの沼から有毒ガスが出て、植物に影響を与えていた証拠よ」
「なるほど」
 そう言えば、この辺は火山地帯だったと聞いた。ひょんなことから有毒ガスの出口が、この底なし沼に通じたのかも知れない。
「と、すると……」
 オレは一つの考えに至った。もしかすると“泥御坊”の正体とは、この有毒ガスだったのではあるまいか。昔から“泥御坊”の犠牲者になったのは、この沼に近づいた人だったという話だったし、外傷らしいものが見受けられなかったのも中毒死ならうなずける。現在であれば、色々と詳しい死因が調べられただろうが、明治以前では不可解な死に方だったに違いない。怪物の正体も分かってしまえばどうということはなかった。
「それよりケガはない?」
 女に尋ねられ、オレは改めて自分の全身を見回したが、小さな擦り傷程度で済んだようだ。オレは女に礼を言った。
「ありがとう。あなたが助けてくれなければ、今頃どうなっていたか」
「あの男、逃亡犯か何か?」
 オレは村で起きた殺人事件を手短に説明した。そして、拓哉を捜しにこの山へ来たことも。すべてを聞いて、女は納得したようだった。
「なるほどね。まあ、底なし沼に落ちちゃったのは気の毒だけど、因果応報と言えなくもないわね」
 人一人が死んだ──おそらく──というのに、意外と女は平然としていた様子だったので、オレは訝った。
「ところで、あなたは何者ですか? そんな銃まで所持して」
 女は警察官を前にしても、実に落ち着き払った様子だった。手にしているS&Wショーティー40を振ってみせる。
「これ? ちゃんと認可されているのでご心配なく。私の仕事には必需品なのよ」
「大体、どこにそんなものを隠していたんですか」
「ここよ」
 女はそう言って、タンクトップの胸元を引っ張って、胸の谷間にS&Wショーティー40をねじ込んだ。オレは思わず、口を半開きにして、首を伸ばしてしまう。
「スケベ」
 女は軽蔑の言葉を忘れていなかった。驚いたのは胸元に拳銃を隠しているのが目立たないことだ。確かにS&Wショーティー40はコンパクトな自動拳銃なのだが、それをスッポリと収めてしまう女のバストも凄い。
 オレが女のバストに目を奪われていると、茂みから大きな影が現れた。女の連れだった大男だ。
「カンナ、見つけたぜ」
 大男はそう言って、手にしたものを見せた。外科医が執刀中にはめるようなゴム手袋をした大男の手には、オレと拓哉が見知ったものが乗せられていた。
「宇宙人!」
 拓哉が声を上げた。
 そんな拓哉に女が微笑み、頭を撫でる。
「あら、ボク、よく知っているわね。これ、本物なのよ」
 女は真顔で言う。
「知ってるよ! 和尚さんのトコで見たもん!」
 オレは口止めしようとしたが時すでに遅く、拓哉が得意げに言った。
「ホントに? これと同じの?」
「うん!」
 力強く答える拓哉。
「どうやら、以前にもここへ落ちたみたいだな」
 大男が女に向かって言う。女は考え込むようなポーズで、
「そうねえ……」
 と、うなずく。
 オレは、ミイラのようにしなびた奇妙な生物の死骸と女たちを見比べながら、次第に口調が震えていくのを感じた。
「あ、あんたたちは一体……?」
 女は鋭い目線をオレに投げかけた。
「私たちは《チェイサー》。この地球に無数に飛来する地球外生物を極秘に捕獲、追跡する国際特務機関の者よ。こいつは平たく言えばエイリアンってことになるんでしょうけど、よくSF小説なんかにある地球の侵略が目的でやって来たワケじゃなく、星が砕け散ったとき、隕石がカプセルのような役目をして落ちてくるのよ。昨日、この山に落ちたという報せを受けて、私たちが調査に来たの。でも、ターゲットはこの沼の有毒ガスを吸い込んだか、地球の環境に適応できなくて死んじゃったみたいね。まあ、そういう方が大概で、生きたターゲットを捕まえるなんて稀だわ。もっとも、死体でも持ち帰るのが私たちの使命なんだけど。──そんなわけだから、私たちのことは黙ってて頂戴。坊やもね」
「うん!」
 オレの代わりに拓哉が返事をした。
 そこへ遠くの方から声がした。おそらく、応援が到着したのだろう。
「鹿島」
 女が大男を呼んだ。
「よっしゃ」
 女が話している間に、大男はリュックから小型のクーラー・ボックスみたいなものを取り出し、そこへ奇妙な生物の死骸を入れた。今は再びリュックにしまい込み、背負っている。
「じゃあね! 事後処理は任せるわ」
 女はオレにウインクすると、大男と一緒に茂みの中へ消えていくのだった。


<了>


 ※ この作品には「完結編」があります。引き続き、お読みになる場合はコチラへ。


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