「お金を落としたやて!?」
母、はるの剣幕は大変なものだった。
二人でコロッケを食べた和彦は、家に帰り、はるにお金を落としたとウソをついた。さすがに、昭彦のために使ったとは言えなかったのだ。
和彦は身を縮めるような感じで、母の説教を受けていた。
「落としたなら落としたで、どうして早く帰って来んの? 今、何時やと思うとんの?」
時計は夜の七時になろうとしていた。買い物に出たのが夕方五時前だったから、約二時間、外でほっつき歩いていたことになる。
「探してたんや……」
和彦はもっともらしいウソを言った。本当のことを言ったら、兄も共犯になってしまう。それだけは避けたかった。
母子のやり取りを聞きながら、父、欽蔵は、いつものように卓袱台<ちゃぶだい>の前に座り、黙って新聞を広げていた。卓袱台<ちゃぶだい>には、すでに夕飯の支度がしてある。しかし、おかずとなるべきものがない。
「そんなこと言うて、ホントは駄菓子屋で使うてしもうたんやないの? ホントにお前は、お金の使い方が荒いんやから! そんなこっちゃ、ロクな大人になれへんで!」
はるは怒りのあまり、必要以上に和彦をなじった。一人で家計のやりくりをしている苦労がストレスとなっていたのだろう。こうなっては、はるの説教は長引く。
それを感じ取ったのか、欽蔵は小さなため息をつくと、新聞の紙面をめくった。
そこへ隣の部屋から、祖母のカツがやって来た。可愛い孫をかばおうとする。
「まあまあ、はるさん。カズ坊も反省しているようやし、そろそろ許してやっちゃどうだね? 落としたお金なら、私が出してやるさかい」
カツは持ってきた巾着袋に手を入れると、がま口を取り出した。だが、そんなカツの態度は、はるを逆撫でするだけだ。
「お義母さん、よしてください! お義母さんが甘やかすから、カズがわがままに育つんです! こういうお金のこととかは、きちっと言い聞かせておかへんと!」
「そうは言うても、なくしたお金は戻らへんのやで。カズ坊もこれだけ叱られれば、ちゃんと分かってくれるやろし。ええ加減、かわいそうやわ」
「お義母さん、それじゃ、困ります!」
はるの説教の相手は、いつの間にかカツにすり替わろうとしていた。
「こんばんは」
玄関の方で声がしたのは、はるのヒステリーが強烈になる寸前だった。怒鳴りつけようとするのを器用に止め、「は〜い」と穏やかな外面を整える。和彦とカツは視線を交わして、肩をすくめた。
「あら、大家さん」
やって来たのは、借家であるこの家の大家、実山だった。恰幅のいい四十代の男だが、禿げあがった頭のせいで、実際よりも老けてみられることが多い。大家の家からここまで、三百メートルくらいしか離れていないが、実山はまるで走ってきたかのように汗を額に滲ませていた。
「ああ、松浦さん。すまんねえ。昭彦くんの病院から電話が入っているよ」
松浦家には、まだ電話は引かれていなかった。よって、連絡先は大家である実山の電話番号を教えてある。とはいえ、これまで松浦家宛てに電話がかかってきたことは一度もなかった。大概は電報だが、それだって少ない方だと言えるだろう。昭彦が入院している病院から電話があったということは、何か緊急を要する用事に違いなかった。そして、それは──
はるばかりでなく、和彦もカツも、そして普段から無口な欽蔵も顔色を変えた。
「私、ちょっと行ってみますわ」
はるはそのままサンダル履きを突っかけ、実山と一緒に出て行った。残された三人は、不安そうな表情を作った。
「まさか、兄ちゃんの身に何か……」
真っ青な和彦の手に、祖母のカツが自らの手を添えた。