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彼女が来る夏

−2−

「名美、こっちこっち!」
 私を見つけた亜矢が大きなアクションで呼んでいた。私が海で溺れた翌日の午後だ。
「何なのよ、人を急に呼びだして」
 電話してきた亜矢の用件は、とにかく海岸へ来いとのことだった。いつもながら亜矢の強引さには負ける。
 私が近くまで行くと、亜矢は意味ありげな笑みを浮かべた。
「見つけたのよ」
「何を?」
「名美の王子様」
「私の? 王子様?」
「ほら!」
 亜矢は海を指差した。
 そこに私の王子様は、確かにいた。
 乗っているのは白馬ではなく、鮮やかな紫色のサーフ・ボード。太陽の逆光を背に、颯爽と波の上を滑っている。多くの歌謡曲で歌われているように、この湘南にはサーファーが数多く集まってくるが、彼ほどテクニックを持った人はいないだろうと思われた。第一、湘南の波は人の身長よりも高くなることはなく、素人目にもすぐに滑り終わってしまいそうな感じだが、彼は持てるテクニックで波を下ったり昇ったりを繰り返し、長く波に乗っていた。そんな私の見解を裏付けるように、彼の波乗りを浜辺にいる誰もが賞賛と感嘆を持って眺めている。私も言葉を失った。
 どのくらい眺めていたか。彼はようやく浜辺に辿り着いた。サーフ・ボードを小脇に抱える。ギャラリーから拍手が起こった。隣の亜矢も手を叩いている。私はただただ魅了されるばかりだった。
「名美、行くわよ」
「え? どこへ? ちょっと!」
 ぼうっとしていた私の手をいきなり亜矢が引いたので、私は思わず転びそうになった。慌てて態勢を整えると、目の前に面食らった彼が。
「あれ、君……」
 彼は私のことを憶えていたようだ。顔がカーッと熱くなる。彼こそ、昨日、溺れた私を助けてくれた人だった。
「昨日は助けていただいてありがとうございました」
 と言ったのは、私よりも前に出た亜矢だった。私もぴょこんと頭を下げる。結局、昨日はちゃんとしたお礼を言えなかった。
「元気そうで良かったよ」
 彼は私の方を見て言ってくれた。ああ、直視できない、どうしよう。
 緊張する私に代わって、亜矢が自己紹介をした。
「私、三浦亜矢って言います。こっちは同級生の青島名美。失礼ですけど、瀬見夏生さんですよね?」
「よく知っているね」
 名前を言われて、彼──瀬見夏生は少し驚いた表情をした。
「はい。この辺じゃ有名なサーファーだって聞きました」
 亜矢ったら、いつの間にそんな情報を仕入れたんだか。私には一言も言ってくれなかったくせに。
「君たちは地元の高校生?」
「はい、S女子の二年です。来年は受験なんで、今年の夏は思い切り遊んでおこうと思って」
「ははは、なるほど」
「良かったら私たちにサーフィンを教えてもらえませんか?」
 亜矢は大胆にも瀬見さんに頼んだ。私は亜矢の背中をチョイチョイと引っ張る。
「ちょっと、亜矢!」
 小さな声で私はとがめた。だが、亜矢は聞く耳を持たない。
「平気よ、平気! ──あの、ご迷惑でしょうか?」
 しなをつくる亜矢。瀬見さんは少し考えている様子だったが、やがてうなずいた。
「そうだなあ……よし、明日からでよければ教えてあげるよ」
「ホントですか、やった!」
 喜ぶ亜矢。私はまだ、やるとも言ってないのに。
「ただし、朝の六時にここへ集合だ」
「朝六時!?」
 あまりの早い時間帯に、亜矢は目を丸くした。
「今は海水浴シーズンだし、昼間だと海水浴客が多くて迷惑になるからね。朝なら存分にライディングできるよ」
 瀬見さんはこともなげに言った。
 亜矢も言い出した手前、早朝はイヤだと言うことも出来ず、瀬見さんの提案を了承するしかなかった。


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