←前頁]  [RED文庫]  [新・読書感想文]  [次頁→



彼女が来る夏

−3−

 翌朝、私が約束した場所へ行くと、瀬見さんともう一人の男の人が待っていた。亜矢の姿はない。
「おはよう」
「お、おはようございます」
 瀬見さんは手を振りながら、私に挨拶した。私もはにかみながら返す。
「初めまして」
 隣の男性が会釈した。瀬見さんと同様、よく陽に灼けた肌をしており、いかにもサーファーといった感じだ。ただ、瀬見さんのスポーツマン的な爽やかさよりは、どこにでもいる軽いノリの若者といった印象がする。私は水着の上にパーカーを着ていたが、遠慮なくジロジロと私の胸の辺りを見て、品定めをしているようだ。男性に慣れていない私は気恥ずかしくなってくる。
「こっちは同じ大学の風間慎吾。サーファー仲間でもあるんだ。オレ一人で二人を教えるのも大変だから呼んだんだけど」
「青島名美です。よろしく」
「ところで、お友達は?」
 瀬見さんが私に尋ねた。だが、私には答えられない。私はちょっと失礼して、携帯電話で亜矢を呼び出した。
『もしもしぃ……?』
 電話に出た亜矢は、明らかに寝ぼけた声だった。
「亜矢、どうしたの? 瀬見さん、待っているわよ」
『ごめん、寝過ごしたぁ……』
 やっぱり。
「自分で頼んでおいて、無責任なことしないでよぉ!」
 私は思わず声が大きくなってしまったが、二人の視線を感じて、元のトーンに戻す。
「とにかく、早く来てよ! いいわね?」
 私は亜矢の返事を待たずに電話を切った。瀬見さんたちに合わせる顔がない。
「寝坊したって?」
 瀬見さんが苦笑しながら尋ねてきたので、私は恥ずかしながらうなずいた。まったく、亜矢のヤツ!
「まあ、いいや。先に始めてよう。──風間、お前のボード、借りるぞ」
「OK」
 私は風間さんのサーフ・ボードを貸してもらった。受け取るとき、あまりの重さに足がよろける。風間さんが素早く私を支えた。
「大丈夫?」
 風間さんの手が私の腰の辺りに回されたので、私は慌てて態勢を立て直した。
「だ、大丈夫です」
 それを見て、瀬見さんが忠告してくれる。
「風間は可愛い娘にすぐ手を出すから気をつけて」
「お前なあ、それが友達に対する言葉か!?」
 風間さんは即座に反論したが、悪びた様子はなかった。きっと本人も自覚している事実なのだろう。
「じゃあ、まずはパドリングから。ボードの上で腹這いになって、手で漕ぐんだ」
 私は瀬見さんと並ぶようにしてボードを海面に浮かべ、その上に寝そべろうとした。だが──
 どぼーん!
 私は一瞬もボードの上に乗ることが出来ず、反対側へ落ちた。頭からずぶ濡れになる。
 瀬見さんの顔を見ると苦笑しているようだった。初心者らしい失敗を犯して、私は恥ずかしくなってくる。
「バランスには気をつけて。波も打ち寄せてくるしね」
 そう言って瀬見さんは見本を見せるように、自らボードの上に横になった。私も再チャレンジする。
 今度は慎重に乗った。不安定なボードは今にも転覆してしまいそうだ。だが、今度は数秒間、上に乗っていられる。やった、と思ったのも束の間、正面から波が打ち寄せ、その拍子に私は転覆した。
「乗ったと思って安心してちゃダメだ。両手で漕いで、前へ進まないと」
 瀬見さんは熱心に私を指導してくれた。私と言えば、あまり運動神経がいい方ではない。だが、瀬見さんの励ましもあり、やがて私はボードの上で泳ぐことが出来るようになった。
 しかし、それが出来るようになると、次の問題点が浮上した。波が押し寄せてくると、必死に手で漕いでいるにも関わらず、岸辺の方に戻されてしまうのだ。しかも波は顔にかかって、そのたびに苦しい思いをする。これでは、とてもじゃないが沖の方まで進めない。
「小さな波を越えるときはプッシングスルーと言って、ボードを両手で沈め、波を自分の身体とボードの間に通すようにするんだ。見ててごらん!」
 そう言って瀬見さんはプッシングスルーを実演して見せた。波が来たタイミングに合わせ、ボードを沈める。すると波は瀬見さんとボードの隙間をくぐった。なるほど、これならば波で押し戻されることはない。
 私はプッシングスルーの練習を繰り返した。波をくぐるタイミングは意外と簡単につかめたが、浮かんでいるボードを沈める作業は骨が折れた。何十回もやっていると、クタクタになってくる。なおかつ、波を越えたら、今度はパドリングをしなくてはならない。見た目にはテクニックさえ身につければ簡単そうに思っていたサーフィンは、意外にも体力が必要なのだと思い知らされた。
 だが、悪戦苦闘しながらも、私はようやく沖まで来ることが出来た。浜辺にいる風間の姿が小さくなっている。
「よし、じゃあ次はテイクオフだ」
 瀬見さんは次のステップへ進めた。でも、テイクオフって何? まさか、飛べってこと?
 私が戸惑っていると、瀬見さんはボードの上に立ち上がった。
「バランスに気をつけて、やってみて」
 どうやらテイクオフとは、ボードの上に立つことらしい。私は恐る恐る、ボードの上に立ち上がろうとした。
「きゃっ!」
 しかしながら、ボードの上に立つのは、ボードに寝そべるパドリングよりも難しかった。私は中腰から上体を起こすことが出来ず、しばらく左右にフラフラしてから、ボードから落っこちた。すぐに浮かび上がって、ボードにしがみつく。
「これはちょっと時間がかかりそうだな」
 瀬見さんは器用にボードの上にしゃがみ込むと、私に笑顔を見せた。私は出来の悪い生徒のようで、ひたすら申し訳ない気持ちになる。
 そこへ遠くから私の名を呼ぶ声が聞こえた。首を巡らせると、浜辺で亜矢が手を振っている。やっと到着したらしい。
「友達が来たようだな。オレたちも一旦、戻ろう」
 瀬見さんは波に乗って浜辺へと帰ったが、私はテイクオフも出来ないので、パドリングで泳いで戻った。それでも波の後押しもあって、沖へ辿り着いたときよりは早く浜辺に到着する。そんな私たちを亜矢と風間さんの二人が出迎えた。
「凄いね、名美! もうあんなことが出来るようになったの?」
 驚き半分、喜び半分といった感じで亜矢が言ってきたが、私はそれよりも遅刻してきたことに腹を立てていた。
「何してたのよ、言い出しっぺは亜矢じゃないの!」
「ゴメン、ゴメン! 朝弱いのよ〜。それよりも──」
 亜矢は私を引っ張り込むようにして、瀬見さんと風間さんから少し距離を取った。そして、声を低める。
「瀬見さんとうまくやったようじゃな〜い?」
 と、囁く亜矢に、私は赤面した。
「さ、サーフィン、教えてもらってただけでしょ!」
「ふ〜ん、それだけかしら? 手取り足取り、優しく教えてもらったんでしょ〜?」
「亜矢!」
 私は瀬見さんたちに聞かれはしないかとヒヤヒヤした。
 そこへ瀬見さんがこちらの方に来た。
「じゃあ、今度は君が風間に教えてもらうといいよ。オレのボード、貸すから」
 瀬見さんに言われ、亜矢が不満げな表情を作る。
「ええーっ!? 瀬見さんが教えてくれるんじゃないんですかぁ!?」
「オレもぶっ続けで教えるのはしんどいし、風間だってうまいよ。それから、オレのことは苗字で呼ばないでくれるかな」
「何で?」
「ああ、ナツオは昔から『セミ、セミ、ミンミンゼミ』って呼ばれていたのがトラウマになっているんだよ」
 瀬見さん──じゃなかった、ナツオさんに代わって、風間さんが答えた。ナツオさんは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「じゃあ、亜矢ちゃん、行こうか。オレが優しく教えてあげるからさ」
 風間さんは亜矢の肩を抱くようにして、サーフィンの練習へ行った。亜矢は私とナツオさんの方を何度も振り返っていたが、結局、風間さんの強引さに負けたらしい。私と同じようにパドリングから教えてもらう。
「オレたちは少し休憩しよう。他の人のライディングを見るのも勉強になるから」
 私はナツオさんに促されてうなずいた。何だか亜矢に悪いような気がしたが、同時に胸のときめきを押さえることもできなかった。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [新・読書感想文]  [次頁→