太陽がジリジリと照りつけていた。
私と亜矢は交替で、ナツオさんと風間さんからサーフィンの手ほどきを受けた。しかし、私も亜矢も残念ながら、ボードの上に立つというテイクオフをマスターすることは出来ず、そうこうしているうちに、やがて昼近くに。四人とも朝が早かったため──もっとも亜矢は遅刻してきたにも関わらず──何も胃に収めておらず、早めのランチを取ろうということになった。
真夏の湘南海岸には、海の家が連なるように海水浴客を迎え入れていた。私たちはその一つで各々の買い物をすると、アイスキャンディーを舐めながら人混みを避け、サーフィンの練習をしていた浜辺に戻った。
海沿いの道路と浜辺を隔てる四メートルほどの堤防が作り出すわずかな小陰に私たちは身を落ち着け、買ってきた焼きそばを口にした。青い空の下、青い海を目の当たりにしながら食べる焼きそばは格別な味がする。いや、それは私の隣にいる年上の男性のせいかも知れない。こんな体験をするのは、もちろん初めてのことだった。
「飲む?」
ナツオさんが私の方へ飲みかけのラムネの瓶を差し出した。私は海の家でミネラル・ウォーターを買っていたが、それでは味気ないと思ったのだろうか。だが、そのラムネはナツオさんが口をつけたものだ。私が飲んだら間接キスになってしまう。
「ほら」
逡巡している私に、ナツオさんは、なおも勧めてくる。私は断るのも悪いと思い、受け取って、ラムネを口にした。
「間接キス」
「ぶーっ!」
途端にナツオさんから言われ、私はラムネを吹き出してしまった。それを見ていた亜矢も風間さんも爆笑する。私は思い切りからかわれたのだ。私は顔を真っ赤にして、無言でラムネをナツオさんに突き返した。ナツオさんは笑いながら、再び瓶を口にする。私が口をつけたラムネの瓶を。それを見ただけで、私は益々、恥ずかしくなった。
午後は海水浴客も増え、あまり自由に練習できそうもなかった。ナツオさんは、また明日にしようと言った。だが、亜矢と風間さんは午前中の練習中にすっかり仲良くなったらしく、もうちょっと遊んでいくと言う。結局、私とナツオさんだけ帰ることにした。
車で送ると言うナツオさんの言葉に、私は甘えることにした。ナツオさんはサーフ・ボードを車の屋根に付いているケースみたいな物に収納し、運転席に座る。すると思い出したように助手席の私の方へ向き直った。
「そうだ。名美も本格的にサーフィンをやるなら、ボードが必要だろ? オレ、いい店知っているから、今から行ってみようか?」
突然、名前を呼び捨てにされた不意打ちもあって、私はイヤと言えなかった。
考えたら、父親以外の男性が運転する車の助手席に座るなんて、初めての経験だった。車内は二人だけの空間を作りだしている。顔が火照ったように感じるのは、何もクーラーの利きが遅いことばかりではなかったようだ。
車は海岸からそれほど離れていない一軒のマリンスポーツ・ショップに到着した。白塗りの小さな小屋を模した店舗だ。
中に入ると、ドアに取り付けられていた小さなベルが、カラン、と耳障りのいい音を立てた。店内にはビーチ・ボーイズの「グッド・ヴァイブレーション」がかかっており、色とりどりのサーフ・ボードが所狭しと並べられている。壁や天井にかかっているのは、店主お奨めの品だろうか。私は圧倒された。
「おう、ナツオか」
奥からアロハシャツに短パン姿のお爺さんが現れた。頭髪も口を覆うヒゲも真っ白だが、肌は褐色に灼け、背筋はピンと伸びている。高齢ながら、現役のサーファーを思わせた。
「親爺さん、新しいお客を連れてきたよ。まだ今日、始めたばかりのビギナーだけど」
「こんにちは」
私は店主と思われるお爺さんに挨拶した。
「ほお、可愛い娘さんだな。ナツオのコレか?」
お爺さんは小指を立てて見せた。私は思わずうつむき、ナツオさんは苦笑する。
「違うって。それより彼女のボードを見立ててやってよ。──ところで、アレは?」
ナツオさんは意味ありげにお爺さんに訊いた。
「今、奥でワックスを塗っていたところだ」
と、答えるお爺さん。
「ちょっと見せてもらっていいかな?」
「ああ」
「じゃあ、名美。ゆっくりと選ぶといいよ。分からないことは親爺さんに訊けばいいから」
ナツオさんはそう言うと、店の奥へ消えてしまった。
ゆっくりと選べと言われても、こう多くては何が何だか。それに初心者だし。
とりあえず私は物色することにした。サーフ・ボードはどれもカラフルで、見ているだけでも楽しい。
それにしても、まず驚いたのは値段だ。かなり幅はあるが、だいたい五万円くらいが相場らしい。一応、貯金があるので買えないことはないが、それでも大きな買い物だ。
私はため息をつきながら一つ一つを見て回った。
「失礼だが、高校生かな?」
お爺さんが私に尋ねた。
「はい。S女子の二年です」
「ほう。若い女性の客も多いけど、S女子とは珍しい。昔からこの辺に住んでいるのかい?」
「ええ。でも、あまり海で泳いだりとか、ましてやサーフィンなんてやったことがなくて。すみません」
「別に謝ることじゃないさ。これから段々と好きになってくれればいい。──それとも別に興味を持っていることがあるのかな?」
そう言ってお爺さんは、店の奥へ視線を投げかけた。私は恥ずかしさに顔を赤らめる。
「そんな……」
「はっはっはっ、すまんな、年甲斐もなく若い女性をからかったりして」
私はそれに答えず、とにかく店の中を見て回ることに集中しようと思った。
すると、店の中に飾られていた一枚の写真に目が行き、足が思わず止まった。
「これは……」
写真にはナツオさんと見知らぬ女性が写っていた。それぞれの横にはサーフ・ボードが立てられている。二人は並んで笑っていた。特に私が気になったのは女性の方で、凄い美人である。胸の奥がざわめいた。
「いつまでも飾っておくものじゃなかったな」
お爺さんは申し訳なさそうに言った。
「ナツオさんの彼女ですか?」
私は半ば諦め気味に尋ねた。あんな素敵な人なのだ、すでに彼女がいてもおかしくない。
「彼女の名前は船木南。あなたの言う通り、ナツオの彼女だった……一年前までは、な」
「一年前?」
「ああ、彼女は一年前にあの海で亡くなったんだ」