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彼女が来る夏

−6−

「で、どうだった?」
「何が?」
「またまた、とぼけちゃって! ナツオさんとよ! どう、Aまで行った?」
「ば、バカなこと言わないでよ!」
 花火大会の翌日、私と亜矢はお爺さんのマリンスポーツ・ショップへ向かっていた。今日はナツオさんが何やら用事があると言うので、サーフィンの練習は中止になったのだ。そこで私は銀行で貯金を下ろし、自分のサーフ・ボードを買おうと、亜矢に付き合ってもらっているのである。いつまでもナツオさんや風間さんのボードばかりを貸してもらうわけにもいかない。本気でサーフィンをするなら、やはりボードは必要だった。
 その道々、やはりという感じで亜矢は夕べのことを尋ねてきた。半分は面白がっている。
「まさか何の進展もなし!?」
「当たり前でしょ。二人で花火見てただけよ」
「肩に手をかけられたりとかは?」
「ない」
「手も握ってないの?」
「だから、ないってば!」
 私は段々、腹が立ってきた。その理由は亜矢のしつこさばかりではなかったのだが。私だって、少しは期待していた部分はある。浴衣だって、ナツオさんと花火を見に行くのでなければ、着ていなかっただろう。
 亜矢が大袈裟にため息をついた。
「せっかく私がナツオさんをあきらめて、名美にチャンスをあげたのに。それを逃すなんてもったいない! ナツオさんもナツオさんよねえ。すぐ近くにこんなに発育のいい女子高生がいるって言うのに、何もしないなんて。普通、なんかこう、ムラムラしてくるでしょ?」
「知らないわよ!」
 私は亜矢の言い方が恥ずかしくて、つい口調を強めた。まったく、人の気も知らないで。
「そういう亜矢はどうだったのよ? 風間さんと二人でどっか行っちゃってさ」
「うふふふ。内緒よ、内緒。ネンネの名美には刺激が強すぎるからねえ」
 亜矢は意味ありげに笑った。とか言いながら、本当は喋りたくてしょうがないといった感じだ。とりあえず、亜矢は今年の夏の目標を達成できたらしい。
 そんな会話をしているうちに、お爺さんの店に到着した。
「こんにちわ」
 私と亜矢は店内に入った。また、誰もいない。多分、以前と同じように奥にいるのだろうと、私は呼びかけようとした。
「ナツオ、本当に行くつもりなのか?」
 奥から大きな声がした。お爺さんの声だ。私も亜矢もその迫力に気圧され、言葉を呑み込んでしまった。
「親爺さん、心配ないよ。オレは別に死にに行くわけじゃない」
 こちらはナツオさんの声。どうやらナツオさんと店のお爺さんが、何やら言い争っているようだった。
「本当か? お前、まだ南ちゃんのこと、忘れられないんだろ?」
「親爺さん……」
「そんな無茶して、南ちゃんが喜ぶと思っているのか? 誰かを失う悲しみを、お前が一番、分かっているはずだろう? こんなことをして何になる?」
「親爺さん! オレは純粋に大きな波を攻略したいだけだ! 去年は確かに失敗した。南も失った。でも、今年はやり遂げてみせる! それがサーファーの夢ってもんだろ!? こんな機会、滅多にないんだ!」
「私にはそれだけだと思えないな。じゃあ、なぜ、南ちゃんのボードを使おうとする? なぜ、この一年、私に預けた? それはこの日のためにと思って、お前が準備してきたからじゃないのか?」
「それは……ただ、死んだ南も分もライディングしたいと思っただけさ」
「死んだ南ちゃんに引っ張られているんだよ、お前は!」
「とにかく、オレのことは放っておいてくれ! 明日は彼女が来るんだ! そのチャンスを逃すわけにはいかない!」
「待て、ナツオ!」
 店の奥から鮮やかなブルーのサーフ・ボードを抱えたナツオさんが現れた。私たちを見て、一瞬、足が止まる。だが、すぐに歩き出し、黙って店の外へ出て行ってしまった。
 私はナツオさんに何も言葉をかけることが出来なかった。店の奥から現れたナツオさんは、今まで見たことがないくらい、怖い顔をしていたからだ。
 それからすぐにお爺さんも奥から店の方へやって来た。私の顔を見て、気まずそうな表情をする。
「どうしたんですか?」
 私はおずおずと尋ねた。二人の会話から、只事でないのは分かる。しかし、ナツオさんはどこへ行こうというのか。南さんのサーフ・ボードを持って。
「明日は彼女が来るって……彼女って、誰?」
 亜矢が一番、事情が分からないといった顔をしている。
 彼女と言えば──
「南さん?」
 私も半ば疑問に思って、お爺さんに問いかけた。
 お爺さんは大きくため息をつき、かぶりを振った。
「よりにもよって、明日が南ちゃんの命日とはな」
「南さんの……」
 私は一瞬、店の中に飾られたままの写真を見やった。
「しかも、どうやら台風が近づいている。一年前とまったく同様にな」
 私はハッとなった。ナツオさんは一年前と同じく、台風が来た海に出ようとしているに違いない。それは自殺行為と言えた。現に、あれだけお爺さんが引き止め、一年前にはナツオさんよりもサーフィンがうまかったはずの南さんが亡くなっているのだ。私はすぐに引き止めようと思い、店の外に飛び出した。
 しかし、ナツオさんの姿は、すでにどこにもなかった。まさか、ナツオさんは南さんの後を追うつもりじゃ……。私は不安と焦燥感に駆られた。


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