そう言った箕子であるが、やはり俊雄のことは諦めきれなかった。突然、現れたライバル、有紀のこともある。そこで思い出したのが、英美が話してくれたお稲荷さんでの恋愛祈願だ。神にもすがる想いとはこのことである。
とは言え、その話をすべて鵜呑みにしているわけでもなかった。大体、お稲荷さんにそんな御利益があるなんて聞いたこともない。英美が企んだと決めつけるつもりはなかったが、誰かの作り話を持ち出した可能性は否定できなかった。ひょっとすると、誰かがお稲荷さんを見張っていて、引っかかる者を待っているなんてことも有り得る。もし、箕子が恋愛祈願をしたなんてことを言いふらされては、きっとからかいの対象にされて大変だろう。十中八九、誰が好きなのか面白がって問いつめられるだろうし、俊雄の耳にでも入ったら、それこそ恥ずかしさで死にたくなる。
だから自分の姿が見られないよう用心していたのだが、学校から帰ったその足で、問題のお稲荷さんに立ち寄ってみると、見張りも尾行もいなかった。とりあえず、いたずらの類ではなさそうだ。箕子はホッと胸を撫で下ろすと、小さな社の前に立った。
「………」
一見しただけでは、とても御利益があるようには思えないほど、小さく、古ぼけた社だった。社を挟むように鎮座しているキツネの偶像は、年月を経て、凹凸が消えかかっており、全体的に丸みを帯びている。辺りは静かで、箕子の足下の砂利だけが音を立てた。
「やっぱり、まずはお賽銭よね?」
箕子は独り言を言うと、鞄から財布を取り出した。中から五円玉を探そうとする。しかし、小銭が多すぎて、なかなか見つからない。
そんな箕子の目の前に、どこから迷い込んだのか、一匹のハチが飛んできた。ハチは箕子の顔にぶつかりそうになるまで急接近する。
「きゃっ!」
当然、箕子はビックリして、ハチを追い払おうとした。手に口が開いた財布を持っているのも忘れて。
ジャラジャラジャラ!
財布から小銭がこぼれ落ちた。ちょうど真下にあった賽銭箱に吸い込まれていく。
「うそ!?」
箕子はなおさら慌てた。それがさらなる悲劇を招く。
貪欲な賽銭箱は、箕子の手から滑り落ちた財布まで呑み込んでしまった。普通、狭い隙間に引っかかりそうなものだが、まったく運が悪いとしか言いようがない。一瞬、硬直する箕子。
「やだーっ!」
そう叫んでも後の祭りである。箕子は小さな賽銭箱を抱えるようにして中を覗き込んだが、中は真っ暗で、落とした財布を確認することは出来なかった。
小銭がおよそ五百円ちょっと。お札に至っては五千円だ。これで今月のおこづかいはパー。箕子は泣きたくなった。
くすくすくす
そんな箕子を笑う声が背後からした。反射的に振り返る。
いつからいたのか、そこには白い薄手の着物を着た、十歳くらいの女の子が笑っていた。おかっぱ頭で、目は笑うと細い線のようだ。
箕子は笑い事じゃないと怒鳴りたかったが、相手は子供、羞恥に顔を染めて、我慢した。
「お姉ちゃん、そんなにお賽銭をくれるの? ありがとう」
「別にあげたくてあげたわけじゃないわよ!」
女の子の言葉に、箕子は苛立った。だが、女の子の言葉尻に引っかかる。
「何で、『ありがとう』なんて言うの? ひょっとして、この神社の子?」
この稲荷神社は車が二台くらいやっと置ける駐車場みたいなスペースに作られており、大きな神社の様な神主がいるとは思えなかったが、女の子の言葉から、少しだけ希望を持つ。このお稲荷さんを管理している人がいるなら──考えてみれば、賽銭箱があるのだから、誰かしら管理しているのだろうが──、その人に事情を話して、落とした財布を取り戻せるだろう。
だが、女の子はなおも笑った。
「違うわ。私はここの神様よ」
「へえ、神様」
何も考えずに口に出してから、箕子ははたと女の子を見据える。神様? 今、女の子はそう言っただろうか?