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神様はつまらない

−10−

 強盗事件が起きた稲荷神社は、午前零時を過ぎる頃まで、警察と野次馬が詰めかけ、かなりの騒ぎになった。
 幸い、お婆さんは大したケガもなく、無事であったが、バッグに入っていた三万円ほどの現金と貯金通帳を盗られてしまい、そのショックは大きく、とても気の毒だった。
 しかも、お婆さんは警察官の事情聴取に対して、犯人の特徴をほとんど憶えておらず、捜査は難航すると思われた。こんなまともな照明も設置されていない暗いところで、視力も弱っているはずのお婆さんに、そんな一瞬の出来事を憶えていろと言う方が酷かも知れない。だが、そのせいで自分のバッグが戻ってこないのだと痛感したお婆さんは、なおさら可哀相だった。
 箕子はしっかりと犯人の顔を見ている。今すぐにでも犯人の特徴を言える自信があった。だが、今は神様の代行をやっているために、生身の体を持っていない。多くの警察官を目の当たりにしながら、何もできない自分が歯がゆかった。
 早く自分の身体を取り戻したい。箕子は切に願った。そうすれば、警察に証言も出来る。時間が経てば、それだけ犯人に逃亡の時間を与えてしまう。
 だが、今の箕子には何もできない。神様なのに。何でも出来る力を持っているはずなのに、結局は何もできなかった。
 神様になって、いいことは一つもない、と悔やむ箕子であった。
 現場検証と事情聴取が終わり、警察が引き上げていくと、ようやく野次馬も散り、稲荷神社は元の静けさを取り戻した。ただ一人、箕子だけが残される。
 一晩中、箕子は落ち込み続けた。神様のせいか、不思議と眠くならないのだ。それが恨めしく思えた。眠って忘れることもできないなんて。
 長く苦しい夜は、白々と明けた。何事もなかったかのように朝が訪れる。
 今日はサッカー部の練習試合がある日だ。当然、応援に行くつもりだったが、神様が生身の体を戻してくれない限り、行けそうもない。
「あーあ、中村くんのゴール、見たかったなぁ」
 俊雄なら必ずチームのため、得点を挙げるはずだ。そう信じて疑わない箕子であった。
 その一方で、俊雄にアタックしようとしている有紀の存在が気になった。俊雄は有紀みたいな女の子を、どう思うだろうか。
 そんなことを考えていると、朝も早くから参拝者がやって来たことに、箕子は気がついた。そして、その人物を見て、またしても驚く。
「中村くん!」
 箕子は一瞬、俊雄が自分に会いに来てくれたのかと錯覚した。だが、それは有り得ない。箕子が神様の代理としてこのお稲荷さんにいることを俊雄が知るわけがないのだ。
 俊雄は早朝ランニングの途中なのか、サッカー部のジャージ姿だった。そんな俊雄を見て、箕子の胸はキュンとなる。昨日の練習から半日ほどなのに、久しぶりにあったような気がした。
 かなりの距離を走ってきたにも関わらず、俊雄はさわやかさを保っていた。もし、この場に箕子が生身の体でいたら、とっさにどこかへ隠れるか、顔を真っ赤に立ち尽くし、何も喋れなかったことだろう。やっぱり俊雄は素敵だった。
 しかし、俊雄に自分の姿が見えないと知った箕子は、これまでにない距離にまで近づくという大胆な行動に出た。手を伸ばせば触れることが出来る、そんな近さまで。
「中村くん……」
 間近で見る俊雄は、箕子を益々、夢中にさせた。普段であれば、ここまで俊雄に近づく勇気も箕子にはなかっただろう。このときばかりは、入れ替わってくれた神様に感謝した。現金なものである。
 俊雄は賽銭箱の前で立ち止まると、ポケットから財布を取り出して、五円玉を入れた。そして、真っ直ぐに正面を向き、顔の前で両手を合わせる。
 箕子の心の中に、俊雄の願い事が聞こえてきた。
『どうか、今日の練習試合、勝てますように』
 俊雄らしい願いだった。必勝祈願だ。箕子はうなずく。
「うん。絶対に勝てるよ。大丈夫」
 箕子は保証した。これでも神様代行の保証である。
 だが、俊雄の願い事はそれだけではなかった。
『それから、小野さんと親しくなれますように』
「えっ!?」
 箕子は愕然とした。衝撃の事実。俊雄もまた、有紀のことを。
 つまり、これで俊雄と有紀の二人は両想いということになる。いくら俊雄が好きで、有紀が気にくわない箕子とは言え、お互いに好き合っている二人の間に割り込むのはためらわれた。
 そして、そんな言葉を、俊雄の口から聞きたくはなかった。
 またしても神様になったばかりに、つらい思いをしなければならないとは、箕子もほとほとついていなかった。
 そんな箕子の気持ちも知らず、俊雄は丁寧に一礼すると、また駆け足でジョギングに戻っていった。
 その後ろ姿を見送る箕子の目から涙がこぼれた。
「中村くん……」
 失恋の痛手は、想像以上に深かった。


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