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となりは何をする人ぞ

−2−

「禎司。おい、禎司!」
 何度目かの呼びかけに、ぼーっとしていた禎司はようやく気がついた。後ろを振り返る。禎司を呼んでいたのは、友人の八木沼だった。
「いつまでぼーっと座ってんだよ? 次の講義、行くぜ」
 八木沼は呆れたように言った。いつの間にか今日最初の講義が終わり、皆、次の教室に移動している。座っているのは禎司一人だった。
「あ、ああ」
 禎司は机に出ているノートや筆記用具をのろくさと鞄にしまい始めた。すると、八木沼が横まで来て、人差し指で禎司の頭をつつく。
「しっかりしろよ。何か、最近のお前、変だぜ」
「………」
 禎司は黙って、片づけを続けた。そんな友人を見て、八木沼はため息を漏らす。
「まあ、無理もねえけどよ。不二子ちゃん、講義にも来なくなっちゃったな。──お前、あれから連絡取ったのか?」
 不二子は禎司の別れた彼女だった。二人が付き合っていた頃は、いつも仲良く隣に座って講義に出ていたものである。その不二子は、禎司と別れて以来、大学に姿を現さなくなった。二人を知っている八木沼としては、ずっと気にかけていたのだ。
 しかし、禎司はどうしてもその話題に触れて欲しくないようで、口が重かった。不二子とは終わったことだ。今さら未練がましいことを言っても詮ないことである。友人の八木沼に対してはなおさらだ。それに禎司がぼーっとしていたのは、不二子が原因ではない。
 講義の間、禎司がずっと考えていたのは、隣へ引っ越してきた生島明穂のことだ。
 明穂の部屋から出てきた男とすれ違って以来、禎司はさらに隣の動向を注意するようになった。それこそ大学やアルバイトへ出掛ける以外は、なるべくアパートにいるようにして、四六時中、監視を続けた。
 その結果、明穂の部屋に出入りしているのは、あの男一人ではなく、他にも何人かいることが分かった。年齢は三十代から五十代と幅広く、格好はサラリーマンのような背広姿がほとんど。だが、全員に共通して、どこかただの勤め人ではない雰囲気を漂わせていた。
 そんな男たちが明穂の部屋へ入れ替わり立ち替わり、入り浸っていた。そこで何をしているのかは、さっぱり分からない。壁越しに聞こえる会話はほとんど聞き取れず、かと言って、テレビなどの娯楽を楽しんでいるような音も聞こえてこないのだ。その他、不審な音も皆無。ただジッと息をひそめているような、得体の知れない不気味さだけがあった。
 一度、禎司はアパートから引き上げていく男たちを尾行してみた。どこから来るのか、それを突き止めれば男たちの正体が分かると考えたからだ。
 すると男たちは、アパートから三十メートルくらい離れた路上に駐車していた車に乗り込んだ。車には運転手の男が待っており、仲間を後部座席に乗せると、そのままどこかへ走り去ってしまった。それ以上の追跡手段を持たない禎司は、その時点で尾行を諦めたが、どうやらそうやってアパートへ通って来ているらしい。
 怪しい連中と明穂にどんな関係があるのか。禎司は益々、訳が分からなくなった。
 一方、明穂はと言えば、そんな男たちの身の回りの世話をしているようだった。
 昨日の夜、大きな買い物袋を下げてコンビニから出てきた明穂とすれ違った。そのとき、会釈しながら買い物袋の中身を覗いてみたのだが、中にはお弁当やおにぎり、カップラーメンといった食品がどっさり。明穂一人で食べるにはかなりの量だったので、きっと部屋にいる男たちへのものに違いない。
 明穂は禎司に見られてまずいと思ったのか、その場から逃げるように去っていった。どうやら明穂が持つ秘密は、禎司に知られてはいけないものらしい。
 だが、謎が深まれば深まるほど、禎司はその秘密を覗いてみたかった。好奇心もあるが、このまま隣人として付き合うには大きな不安がある。それを払拭したいというのが実際のところだ。
 禎司は、失恋のことでやたらと励ましてくる八木沼と一緒に教室を移動しながら、これからどうすべきか考えた。



 翌日の朝、禎司が大学へ行こうと玄関のドアを開けると、そこにちょうどノックをしようとしていた明穂が立っていた。二人は偶然のタイミングに面食らって、一瞬、動きを止める。
「あ」
「ど、どうも」
 二人はぎこちなく挨拶した。部屋から出てくる禎司のために、明穂が玄関の前からどく。
「これからお出かけ?」
「は、はい、学校へ」
「そう。ちょっと、途中までご一緒していいかしら?」
 突然のことに、禎司はビックリした。そもそも明穂の方から話しかけてくることなど初めてだ。何か自分に用があるのか。ちょうどいい機会だ。禎司は明穂のことを訊いてやろうと思った。
「いいですよ」
 二人は駅までの道を並んで歩いた。
 女性と歩くのは、不二子と別れて以来のことだった。明穂は美人なので、こうして並ぶのは悪くない気分である。しかし、それを満喫するわけにはいかなかった。というのも、明穂の歩き方はせかせかしていて、禎司の男の足でも、少し歩を速めねばならなかったのである。これでは、どちらが一緒に歩いているのか分からない。
 先に話を切りだしてきたのは明穂の方からだった。
「この前、私の部屋から出て行った人たちを尾行したんですって?」
 禎司はドキリとした。気づかれていた。ひょっとして、まずかったかと思い、禎司は黙り込む。
「分からないとでも思っていた? 残念ながら、彼らにはバレバレだったそうよ」
「………」
「どうして、そんなことをしたの?」
「………」
「そんな探偵みたいなマネをして、あなたに何か得があるのかしら?」
「ぼ、ボクはただ──」
 禎司は唾を飲み込んだ。そして、必死に喋ろうとする。
「ボクは、生島さんたちが一体どんな人なのか知りたかっただけです。だって、変ですよ。引っ越してきた日から、毎日、いろいろな男の人が出入りして。おかしいですって。一体、あの部屋で何をしているんですか? どうして、ボクの隣の部屋へ引っ越して来たんです? 管理人さんは何か知っているようだけど、ボクに教えようとしてくれない。みんなして、ボクに何かを隠している。それを知ろうとしちゃいけないですか? ボクが知ってはいけないことなんですか? 生島さん、答えてください!」
 禎司は声が出た途端、一気にまくし立てた。そんな禎司を見て、明穂が目を丸くする。
「寺泊さん……」
「どうしてもダメですか?」
 禎司は心から訴えた。それはどうやら明穂の心を動かしたように見えた。
 明穂が何かを言いかける。そこへ──
「おい、どうした?」
 不意にかけられた野太い声が、明穂の口を閉ざした。反対方向からトレンチコートの男がやって来るのが見える。アパートの入口ですれ違った男だ。
 もう少しのところで明穂は話してくれたかも知れないのに。禎司はほぞを噛んだ。それでも構わず訊こうとする。
「生島さん」
 しかし、もう彼女のガードは元に戻っていた。
「ごめんなさい。やっぱり、今、教えることは出来ないわ」
「………」
 禎司は落胆した。今一歩のところだったのに。
「何かあったか?」
 トレンチコートの男が禎司に鋭い視線を送りながら、明穂に尋ねた。明穂は首を横に振る。
「いえ、何でもありません」
「そうか。じゃあ、行くぞ」
 トレンチコートの男はそう言って明穂を促しながら、アパートの方へ向かった。明穂は気の毒そうな顔で禎司を見つめる。
「もうすぐ片がつくと思うから。そうしたら、私たちのことを教えるわ」
 明穂はそう言い残すと、トレンチコートの男に付き添って行った。
 禎司はその後ろ姿を見送ると、衝動的に腹立たしさが込み上げ、路上に転がっていた空き缶を蹴飛ばした。


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