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◆突発性競作企画第15弾「世界の名言」参加作品◆

ロミオとジュリエットは結ばれるのか?

−4−

 翌日の放課後──
「遅いねえ」
 待ちくたびれた演劇部の女子部員が気だるそうに言うと、そのまま疲れたように座り込んだ。他の部員たちもダラダラしている。部長の深雪は腕組みをしたまま突っ立ち、こめかみをピクピクさせていた。
「どうするんだよ?」
 深雪のすぐ横で、ちゃんと稽古に現れた幹生が尋ねた。深雪は沈黙したまま、メガネのズレを直す。
 せっかくの稽古にジュリエット役の珠莉が来ていなかった。クラス委員を務める彼女は、文化祭の実行委員会議に出席しており、終わり次第、稽古に駆けつける予定なのだ。最初はジュリエットの出番がないシーンをやっていたが、やはりヒロインが不在では演技を合わせられない。会議が始まって、かれこれ二時間が経過していた。
「まだかかるのかなぁ」
 下級生の男子部員がぼやいた。時間が無為に過ぎていく。文化祭は目前だというのに、まだ一度も通し稽古が出来ていない。
「しょうがない、代役立てようぜ」
 待ちくたびれた幹生が部長である深雪に声をかけた。深雪はうろんな視線を返す。
「代役って、誰がやんのよ?」
「そりゃ、お前、この芝居を熟知していて、ジュリエットのセリフもちゃんと入っているヤツって言ったら、江東の他にもう一人しかいねえだろ?」
「ああ!」
 打てば響く鐘のように、他の部員たちは幹生の意を汲み取ると、ポンと相づちを打った。深雪だけが分からない。
「誰?」
 幹生はいたずらっぽい笑みを浮かべると、深雪に人差し指をビシッと突きつけた。思わず、深雪の目が寄る。
「この作品の台本を書いたの、誰だっけ?」
「わ、私ぃ?」
 うんだうんだと、部員たちはうなずいた。深雪はたじろぐ。
「わ、私は演出家であって、役者じゃないし……」
「やかましい! 部長だったら可愛い部員たちのために協力しろ!」
「しょえーっ!」
 かくして深雪は、珠莉が来るまでというのを条件に、ジュリエットの代役を務めることとなった。
 いつも独裁体制を敷く深雪がおろおろする姿は、虐げられ続けてきた部員たちにとっては痛快だった。どんな演技を見せてくれるか。
「じゃあ、ロミオとジュリエットが初めて出会うシーンから。用意、スタート!」
 うろたえるジュリエット役の深雪の手を、跪いたロミオ役の幹生が取るところから稽古は始まった。それはまだ互いの家柄を知らぬ両者が、初めてキスを交わすシーンでもある。
「私のこの卑しい手があなたの手に触れることを、どうかお許しください。もし、あなたの手が穢れたというのであれば、この口づけで、それを清めましょう」
 ロミオである幹生は、ジュリエットたる深雪の手の甲に口づけした。
「ま、まあ、それではあなたの唇が穢れてしまいましたわね」
 深雪はどぎまぎしながら、必死に記憶の引き出しからセリフを絞り出す。本当ならば、自分で何度も書き直した台本なのだから、全登場人物のセリフくらいそらんじているのだが、いざ自分が演じるとなると正しいのかどうか自信がなくなってくる。演出家として、外から芝居を眺めていたときとは大違いだ。
「では、私のこの穢れた唇をあなたの唇で清めてくださいませ」
 幹生はスッと立ち上がると、深雪に唇を近づけた。もちろん、キス・シーンは稽古でも本番でも振りだけなのだが、幹生の顔が近づいてきて深雪はどうしていいか分からなくなる。こんなに幹生を意識したことなどない。とりあえず目をギュッとつむった。
 次の瞬間、深雪は何か柔らかいものが軽く唇に触れたのを感じた。ビックリした深雪は目を開ける。しかし、そのときにはすでに幹生の顔は離れていた。
(な、何? い、今のはキス?)
 深雪の思考回路はたちまちショートした。一体、何が起こったのか分からない。目の前で見つめている幹生の顔が、まるで霞がかったように見えた。
(や、ヤだぁ。私、キスされたぁ? よりにもよって幹生に? ウソ! ウソウソウソ! きっと、これは何かの間違い! そうよ! キスのマネをしようとして、たまたま、ぶちゅっとしてしまった事故なんだからぁぁぁぁぁぁぁっ!)
 深雪は一人で舞い上がった。顔からは火を吹きそうだ。
「部長! 次、部長のセリフっスよ!」
 どうやら進行が止まっていたようで、たまらず下級生の男子部員が声をかけた。周りで観ていた部員たちは、台本に目を通していたり、二人の頭が邪魔になってしたようで、彼らに唇が触れてしまったとはバレていないようである。ところが、もう後が続かない。深雪は完全にのぼせ上がり、ロミオ役の幹生の顔も正視していられなくなった。
 そこへ部室のドアが勢いよく開けられ、一人の女子生徒が駆け込んできた。みんな、一斉に振り向く。
「みんな、大変なの! 珠莉が──」
 その緊迫した様子に、その場にいた演劇部員たちは凍りついた。



 文化祭当日は呆気なく訪れた。
 演劇部の部室では、深雪が一人、緊張していた。先程からブツブツと何かを繰り返し唱えている。それはジュリエットのセリフだった。
 そこへ珠莉が現れた。松葉杖をつき、右足には痛々しいギブスをしている。足を引きずりながら、深雪に微笑みかけた。
「神谷さん、大丈夫? そろそろ本番だけど」
 深雪以外の演劇部員たちは、すでに体育館へ行って、公演の準備に入っていた。いくら待っても来ない部長を珠莉が呼びに来たのだ。
 あの日、実行委員の会議が終わった珠莉は、稽古へ急ぐあまり、誤って階段から転落してしまった。診断は全治二週間の骨折。とてもではないが舞台に立つのは無理だった。
「どうしよう、珠莉〜ぃ。心臓、バクバクだよぉ」
 情けない声で深雪は弱音を吐いた。結局、深雪がジュリエットの代役として立つことになったのだ。
 演出はともかく、演技に関してはまったく自信のない深雪は、一応、頑強に抵抗したのだが、元々、人手不足の上、今から新しい代役に一からジュリエットのセリフを叩き込むのも不可能ということで、なし崩し的に決定したのである。幹生曰く、「どうせ演出家なんて本番のときに何もやることないんだろ」とまで言われては、グウの音も出ない。泣く泣く、深雪はジュリエットの代役として、今日まで稽古に励むこととなった。
 そんなテンパっている深雪に、珠莉は信頼の眼差しを送った。
「大丈夫。神谷さんなら出来るわよ」
「その根拠レスな言葉はどこから出てくるのよぉ?」
 プレッシャーに押し潰されそうな深雪は、やや目を充血させながら珠莉に絡んだ。珠莉は手近なイスに座って、松葉杖を立てかける。
「この一週間、あんなに稽古したじゃない。ずっと見ていた私が太鼓判を押すの。平気よ」
「ううっ……」
 まったく一週間で立場が逆転してしまった。深雪の演技指導をしたのは珠莉だ。それも一週間でジュリエットになりきらねばならず、ここだけの話、付きっきりで行った珠莉の指導は厳しかった。深雪が、鬼だ、と呟いたこともしばしば。いかにこれまで、自分が難しい注文を役者たちに押しつけてきたか思い知らされた。自己嫌悪。
「私が演劇部に入った頃、神谷さん、よく言ってくれたわよね。舞台の上では自分をさらけ出しなさいって。とにかく観ているお客さんに、自分の役を分かってもらわなくちゃいけないんだからって。そのためには自分を偽ることも、隠すこともする必要はないんだって。あの言葉、今の神谷さんにそっくり返してあげる」
「あはははは……」
 完全に仕返しされている。深雪は力なく笑うしかなかった。
「それに舞台に立てば、神谷さん一人じゃないわ。みんなもいるし、何より茂木くんがいるのよ。私の分も、精一杯、演じてきて」
「珠莉……」
 一番悔しい思いをしているのは珠莉だろう。この日を目指して、あんなに一生懸命、稽古してきたのに、本番の舞台に立てないなんて。
 だが、珠莉は努めて明るく振る舞っていた。
「ほらほら、ジュリエット。愛しのロミオ様をあんまり待たせるものじゃないわ。さあ、行って。私は客席から観てるから」
「うん」
 深雪はキュッと唇を引き締めると、衣裳のドレスを引きずりながら部室を後にした。珠莉に満足してもらえるジュリエットを見せなくちゃ。もう、やるっきゃない、と覚悟を決めて。
「ジュリエット、ロミオを頼んだわよ」
 一人で部室に残った珠莉は、寂しそうに呟いた。


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