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Sweets

−3−

 口コミってのは、時々、空恐ろしくなる。
 田崎さんがバイトを始めて、わずか三日だというのに、その姿をキャッチした女性客が急増したのだ。普段から女性客の割合は大きかったが、そのうちの何人かは田崎さんが目当てだとあからさまに分かる。現に田崎さんが作り立てのケーキを運んで、カフェに姿を現すと、そちらを見ながら友人たちとひそひそ会話を交わし、ご満悦の表情を浮かべるのだから。
 田崎さんがカフェに顔を出すのは、一日にそう何度もない。それなのに、だ。なんという目敏さ。当の本人である田崎さんは、そんな女性客の反応に気づいているのやらいないのやら──きっと、天地神明に誓って後者に違いないと思うが──、運んできたケーキをショーウインドウの中に納めるや、さっさと調理場に帰ってしまう。そのクールさがこれまた女性客にはたまらないらしい。
「ふーん、あれが噂の田崎さんか」
 友人のつぐみがレモンティーを飲むフリをしながら、近くにいた私にこっそりと呟いた。彼女は私の話を聞いて、興味半分に田崎さんを見に来たのだ。
「なかなかイイ男じゃない? マリナが惚れるのも無理ないわ」
「ちょっ!? 誰が惚れてるっていうのよ!?」
 つぐみの言葉が聞き捨てならず、私は耳を真っ赤にしながら反論した。するとつぐみは、全部お見通し、というような目で、私を見上げる。
「あら、お店のお客さんに対してジェラシー感じちゃって、それでも惚れてないなんて言うの?」
「つぐみったら!」
 次第に耳から顔へ赤みが広がりそうになり、私は持っていたトレイで顔半分を隠した。田崎さんは奥へ引っ込んだが、同じくカフェにいる香奈恵さんに聞かれやしなかったかとヒヤヒヤする。つぐみは明らかに私をからかって楽しんでいた。
「まあ、あと数日間が勝負ね。少しは進展してんの?」
「進展? 何が?」
「あなたたちよ! デートに誘われたとか、バイトが終わったら一緒に帰ろうとか」
「ああ、ぜーんぜん」
「何よ、それ?」
 私の答えに、つぐみは期待外れの様子だった。でも、事実は事実。
「田崎さんは純粋にケーキ作りの勉強をしているの。私とおしゃべりするくらいだったら、店長の横であらゆるレシピをマスターしたいタチなのよ。それくらい真剣に取り組んでいるわ」
「ヤだ。つまんない。──てか、実はそっちの趣味があるんじゃないの?」
「そっちの?」
 私はつぐみが男性同士の性愛を描いたレディース・コミックの愛読者だということを思い出した。私は手の平を振る。
「ない、ない! あり得ないから!」
 私は苦笑しながら、そういう場面を思い浮かべてみる。おえっ。田崎さんはともかく、ウチの店長とじゃ……。
 夜の九時を回り、お客が引けたところでお店を閉めた。香奈恵さんは自宅にもなっている二階へ上がり、いつもの帳簿つけ、私は一人カフェに残って、カップやソーサーの片づけといった仕事に取りかかる。それが終われば、私も今日は上がりだ。調理場の片づけの方は、新人である田崎さんの担当である。
 仕事が終わってからも、田崎さんはいつも、なかなか帰ろうとしないようだった。どうやら、自分でいろいろとケーキ作りを試しているらしい。私もちょっとだけ調理場を覗いたことがあるが、さすがは調理師学校で勉強しているだけあって本格的に見え、声をかけるのがためらわれたほどだ。
 すべての片づけが終わって帰ろうとしたのは夜の九時半である。私が店内の電気を消そうとすると、不意に調理場から田崎さんが現れた。
「よかった。まだ帰っていなくて」
「え?」
 白衣姿のままの田崎さんにそんなことを言われ、私の心臓はドクンと跳ね上がった。ひょっとして、つぐみが言っていたように、一緒に帰ろうとか? 信じられないかもしれないが、この三日間で私と田崎さんが会話したのは数えるほどしかない。それも仕事の上で。
 田崎さんは私に向かって微笑みかけた。
「新しいケーキを作ってみたんだけど、ちょっと試食してみてくれないかな?」
 ……はいはい、どうせ、そんなところだろうと思っていましたよ。私は落胆を顔に出すまいとした。それに、元々、ケーキが好きでこの仕事をやっているのだから、田崎さんの作品を食べるのもやぶさかではない。私は急いで笑顔を作ってうなずいた。
「ちょうど、お腹が減っていたんですよ。喜んで食べさせていただきます。じゃあ、私、お茶を淹れますね」
 せっかく片づけたばかりだったけど、私は飲み物を用意し始めた。田崎さんが何度も注文していたローズティーを。
 その間に田崎さんは、調理場から新作のケーキを運んできた。
「わあ、きれい」
 私は率直な感想を述べた。
 田崎さんが作ったケーキには、キウイやマンゴー、それにスライスされたイチゴなど、色とりどりのフルーツがふんだんに使われていた。それがゼリーによって固められ、さながらクリスマス・ツリーのようなきらびやかさだ。さらにスポンジの部分には、おそらくカボチャのムースと思われるものを挟んで層を成している。見た目は店長が作るケーキにも負けないと思われた。
「さあ、どうぞ」
 私はカウンター席に座らされ、田崎さんはその内側に立った。私がどんな感想を漏らすか、ローズティーを手にしながら注視して待つ。
「じゃあ、いただきます」
 私は食べるところを見られることに少なからず緊張を覚えながら、田崎さんのケーキにフォークを入れていった。部分部分を味わうのではなく、なるべく全体が味わえるようにする。
「んっ! 不思議な食感!」
 それが私の第一印象だった。弾力のあるゼリーの歯触りとスポンジのしっとり感、そこからじわっと広がるフルーツの甘み。あれ? 他にも何か歯に当たる固いものがある。
「これは……クッキー?」
 カボチャのムースの中に細かく砕いたチョコレート・クッキーが隠されていた。言い当てた私を見て、田崎さんはニンマリと微笑んだ。
「そう! アクセントとしてね、使ってみたんだ」
 こんなにいろいろな発想を詰め込んだケーキに、私は初めてお目にかかった。田崎さんって、すごい人なのかもしれない。
「どうだろ? 僕のケーキは?」
 田崎さんは目を輝かせながら私に尋ねた。きっと、かなりの自信作に違いない。その顔は子供みたいだ。
 私は答えた。
「とてもおいしいと思います」
「ホントに?」
「ただ──」
「『ただ』?」
「ゼリーに隠し味としてブランデーを入れてますよね?」
 私の指摘に、田崎さんが驚いたような顔をした。そこまで見破られるとは思っていなかったらしい。
「うん、使っているよ」
「ゼリーのフルーツとよく合っているとは思うんですが、こういうお酒による味付けは好き嫌いがハッキリと出てしまうものです。特に子供が食すのには適さないかな、と。せっかく見た目、可愛いケーキなので、そういうのはもったいない気がします。使うにしても、もう少し量を控えるとか、代用品を用いるとかした方がいいんじゃないでしょうか?」
「そ、そうか。分かった、ありがとう」
 田崎さんは少し気圧された格好で礼を言い、早速、手にしたメモに何かを書き加えた。私はローズティーを口にして、喉を潤す。ウソは言っていない。素直な感想だ。それが田崎さんのためになればいいと思う。
「でも、驚いたよ。矢吹さんがここまでちゃんしたと感想を言ってくれるなんて」
 田崎さんがそう言うので、私はケーキを喉に詰まらせそうになった。慌ててローズティーで流し込む。
「どういう意味ですか、それ?」
 私はさも心外といった口調で、田崎さんを睨んだ。田崎さんは苦笑する。
「いや、別に他意はないよ。少し感心しただけ」
「それって、私のことを頭の悪い女の子だと思ってやしませんか?」
 田崎さんはごまかすように目をそらし、ローズティーに口をつけた。すると、ホッと息を吐き出す。
「ここはケーキもおいしいけど、ローズティーも好きだな」
「そうやって逃げますか。──そういえば田崎さん、いつもショコラシフォン・ケーキとローズティーばかり注文していましたもんね」
「ははっ、憶えられちゃったか」
 田崎さんは照れたように笑った。このひとは笑うと少年のような顔になる。なんだか胸がキュンとなった。
 私はその感情に気づかないフリをして、かねてより気になっていた質問をぶつけてみることにした。
「あのとき読んでいた本、詩集ですよね?」
「うん。あれはランボーだよ」
「ランボー?」
 私の頭の中には、マッチョな肉体をさらしたシルベスター・スタローンの姿が浮かんだ。
 すると、すかさず田崎さんが解説する。
「アルチュール・ランボー。十九世紀、フランスの象徴派詩人だよ。早熟の天才と言われてね、後の詩人たちに影響を与えたんだけど、中には読解不可能と言われるほど意味不明の詩があるんだ」
「そんな難しいのを読んでいたんですか?」
 私は目を丸くした。田崎さんは苦笑する。
「もちろん、僕にも何が書いてあるのか、さっぱり分からないけどね。でも、そういう発想が面白いと思うんだ」
「ふーん」
「さて、と」
 田崎さんはローズティーを飲み干すと、体を反らすようにして腰を伸ばした。
「調理場を片づけて、僕も帰らないと。今日はありがとう、矢吹さん。遅くなるから、もう帰った方がいいよ」
「え、ええ、ああ」
 私は「一緒に帰りませんか」と口に出しかけて、そのまま飲み込んでしまった。思いもかけず田崎さんと話をすることができて、私は嬉しかったのだが、まだ、そこまでの勇気を持つことができなかったのである。それでも、わずかながら田崎さんという人となりを垣間見ることができて、私の心はローズティーを飲むことよりも暖まった。
「じゃあ、また明日」
 田崎さんは私に背を向けると、調理場の奥へと消えていった。その後ろ姿を見て、さびしさを覚える。
 そのとき、私は気づいた。どうしようもなく田崎さんに惹かれている自分に。


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