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Sweets

−4−

 十二月二十四日。クリスマス・イヴ。
 私は朝っぱらから、携帯電話の着メロに叩き起こされた。
「もしもしぃ……?」
 半分、寝ぼけたような声を出したのは、仕方のないところだろう。なにせ、まだ六時。冬のこの時期、外は夜同様に暗い。
「マリナちゃん!?」
「香奈恵さん……?」
 電話の声からは、とても切羽詰まったものが感じられた。
「朝早くにゴメン! 実は夜中に、主人が倒れたの!」
「ええっ!? 店長が!?」
 私の眠気は一気に覚めた。と同時に、布団をはねのける。途端に部屋の寒さがパジャマ一枚の身体を凍えさせたが、代わりに頭は冴え渡った。
「今、病院にいるんだけど、まだ、どんな容態なのか分からないのよ! 多分、このまま入院することになると思うわ。でね、マリナちゃん、今日休みのところ悪いんだけど、お店の方を頼めないかしら!?」
「えっ!?」
「カフェの方はともかく、今日はクリスマス・イヴで、クリスマス・ケーキの予約が入っているわ。それだけでも何とかして欲しいのよ。ケーキ作りの方は、田崎くんに頼んでみるから、マリナちゃんは彼を手伝ってあげて! お願い! 今、頼めるのは、マリナちゃんたちしかいないの!」
「わ、分かりました。なんとかしてみます」
「ありがとう! 助かるわ! じゃあ、私は田崎くんに連絡するから! 八時半頃までにお店に行って!」
「はい。──香奈恵さん、店長のこと……」
「うん、大丈夫、心配しないで。何かあったら、私のケータイに。それじゃあ」
 香奈恵さんの電話が切れると、私はふーっと息を吐き出した。大変だ。店長が倒れるだなんて。昨日まで、すごく元気そうだったけど、あの体型じゃ、心臓とかに負担がかかるのかも。とにかく、私は店長の無事を祈った。
 一週間前に言ったように、今日は本当ならアルバイトを休むつもりだったのだが、こういう緊急事態では致し方ない。それに──我ながら悔しいが──、とうとうクリスマス・イヴを一緒に過ごしてくれる恋人を見つけられなかった。アルバイトに駆り出されなくたって、さびしい聖夜は確定だ。
 香奈恵さんの指示通り、私は八時半までにお店へ行った。すると、すでに田崎さんが来ていて、コートに襟巻きという姿のまま、電気も点けていない調理場をウロウロしているところだった。
「田崎さん」
 私は入り口のスイッチを押して、電気を点けた。田崎さんは、ハッと我に返る。
「あっ、矢吹さん。よかった、助かるよ」
 田崎さんはホッとすると同時に、顔が少し青ざめて見えた。無理もないだろう。店長の代わりにクリスマス・ケーキを作るよう頼まれたのだから。
 私はコートを脱ぎながら、調理場を見回した。
「それで、どうです? 大丈夫そうですか?」
 残念ながら、私は言われるままに手伝うことくらいしかできない。ケーキ作りは、すべては田崎さんにかかっていた。
 田崎さんは気を落ち着かせようとするように、一度、目を閉じた。ほんの数秒間。そして、目を開いてから、私に向かってうなずく。
「うん。材料はそろっているし、レシピも店長から教わっているから、やれると思う。とにかく、販売するのはクリスマス・ケーキだけということで。他は一切なしだ。僕じゃ、他のショートケーキまで作れないからね。カフェは臨時休業にしよう」
「分かりました」
「それじゃあ、矢吹さんはまず、カフェの臨時休業を知らせる貼り紙を作って。僕は早速、ケーキ作りの準備に入るよ」
「はい」
 私は更衣室へ行きかけて、気合いを入れ直している田崎さんを振り返った。
「田崎さん」
「ん?」
「頑張りましょう!」
「ああ」
 私たちは仕事に取りかかった。
 開店は十時だ。それまでに、ある程度の数のクリスマス・ケーキを作っておかなければならない。時間は、そうなかった。
 私は言われたとおり、臨時休業の紙をカフェの入口に貼り、調理場へ戻った。すでに田崎さんは白衣を着て、ケーキ作りに取りかかっている。どうやら心の動揺は消え、いつもの田崎さんに戻っている様子だ。私は頼もしく思った。
「貼り紙してきました」
「ありがとう。じゃあ、少しこっちを手伝ってくれるかな?」
「はい」
「じゃあ、生クリームをこうやって──」
 私は田崎さんの手本を真似ながら、生クリーム作りを手伝った。その間に田崎さんはケーキのスポンジを焼き、煙突小屋に見立てたお菓子を手早く作っていく。さすが調理師学校で学んでいるだけのことはある。私も負けじと、デコレーション用のイチゴを水洗いし、指でヘタをむしり取っていった。
 私にできるのは下準備の手伝いまでだ。ここからは田崎さんの領分。田崎さんがスポンジに生クリームを塗り、デコレーションを施していくのを横目で見ながら、私は梱包用の箱をせっせと組み立てた。
 時間は瞬く間に過ぎた。
「そろそろ開店だ。矢吹さん」
「はい」
 私はできあがったクリスマス・ケーキを、落としたりしないよう慎重に気をつけながら、店頭まで運んだ。すると、そこに折り畳まれた赤い衣裳と帽子が置かれているのを発見する。今日のこの日のために用意されたものだ。
「うわっ、本当にサンタの衣裳!」
 私は広げてみて、苦笑するしかなかった。店長はこれを私に着せるつもりだったのだ。──ていうか、これってズボンじゃない、ミニスカ・タイプじゃないの?
「ひょっとして、私の代わりに香奈恵さんが着るつもりだったとか?」
 まあ、香奈恵さんも歳の割に若々しく見えなくもないが、もう少し自分の年齢を考えて欲しいよなぁ。私はミニスカ・サンタクロース姿の香奈恵さんを想像しながら思った。
「しょうがない! 着てやるか!」
 言っておくけど、私は別に着たくて着たわけじゃない。販売促進のために、仕方なく着たのだ。
 ──とか言いながら、着替えた私は鏡の前でいろいろなポーズを取りながら自分の姿を映してみた。なかなか似合う? ちょっとスカートが短すぎる気もするけど、まあ、下には黒のストッキングも穿いていることだし、いいかな。
 おっと、こうしちゃいられない。もう十時だ。私は田崎さんに一声かけに行った。
「じゃあ、お店開けますね」
「ああ、よろし──」
 く、と言いかけて、フッと田崎さんが顔を上げて私を見た瞬間、驚いたように動きが固まった。ちょうどケーキの上に垂らしていた生クリームが、ぐにゅっと飛び出す。その呆けた表情に、私はおかしいやら、恥ずかしいやら。
「もう、あんまり見ないでくださいよぉ」
 私は照れながら、そのまま後ろ向きで店頭へ戻った。ああ、顔から火が出そうだ。
 とりあえず、十個ほどのクリスマス・ケーキが完成し、お店を開けた。ひとつはディスプレイ用に飾っておく。うん、これでよし。私が見たところ、ちゃんとできているように思う。これなら大丈夫だろう。ショーウインドウの横に置かれたツリーを点灯させると、すっかりクリスマス気分だ。
 開店直後こそ、カフェを閉めていることもあって──何人かの常連さんには、お断りを入れなくてはならなかった──、まったくお客さんが訪れなかったが、やがて十一時に近くなった頃、徐々にクリスマス・ケーキを求めて、数名がやって来た。
 最初、どれだけのお客さんが来てくれるのか半信半疑だったが、田崎さんが作ったクリスマス・ケーキは順調に売れた。まあ、お客さんとしてみれば、店長が作ろうが、田崎さんが作ろうが、このお店のケーキとしてしか認識していないのだろうけど。
 そういえば、店長はどうなっただろうか。あれから香奈恵さんからの連絡はない。大事に至らなければいいけれど。
 しかし、そんなことを思うのもわずかな間だけ。お店が忙しくなると、そんなことを心配する余裕もなくなった。
 とにかく、人手が足りないのだ。田崎さんはケーキを作るのに精一杯。私も店頭での販売と、調理場との往復に忙殺され、休憩を取る暇などまったくない。いつの間にか十二時を回り、やがて午後一時を過ぎた。
「矢吹さん、お昼は?」
 田崎さんが働きづめの私を心配して、調理場から顔を出した。私は首を横に振る。
「食べてる余裕なんかありません」
「そんな。行って来なよ。その間、僕が店番をしているから」
「でも、ケーキ作りの方、間に合わないんじゃ? いいです、一食くらい。ダイエットのつもりで」
 田崎さんは、なおも私にお昼へ行くよう言おうとしたようだったが、その間に新しいお客さんが来て、タイミングを失った。このままではクリスマス・ケーキのストックが早々と尽きてしまいそうだ。
「どうしても大変なときは声をかけてよ」
「分かりました」
 私は田崎さんを振り返りもせず答えた。休憩がどうだとか、疲れただの、なんだのと言っていられる状況じゃない。私はとにかく必死に働いた。


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