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そんなアキトを階下から見上げる瞳があった。
「どうも騒々しいと思っていたら、アンタが来てたのね」
腕を組んだ仁王立ち状態で、鋭い視線を投げかけていたのは、つかさやアキトと同じ琳昭館高校に通うクラスメイト、忍足薫<おしたり・かおる>だった。すでにセーラー服を着ている。
そんな薫を見て、アキトが大袈裟に驚いた。
「ど、どうして、お前までここにいるんだ? ここはつかさの家だぞ」
「知ってるわよ、そんなもん」
「ま、まさか……どうも、お前ら二人、仲が怪しいと思っていたら、一緒にお手てつないで登校するような仲だったのか!? いや、ひょっとすると、すでに親公認の許嫁とか言うんじゃないだろうな!? 十代の乱れた性! イヤァァァァァッ!」
右手の拳を口許に当て、勝手に飛躍した話を作り出すアキトに、薫のこめかみがピクピクッとなった。
だが、アキトは薫の鉄拳を受けずに済んだ。その前に、アキトの後頭部にゲンコツが見舞ったからだ。
「バカなこと言わないでよ」
アキトを小突いたのは、着替え終わって、降りてきたつかさだった。そのままアキトの脇を通り過ぎて、薫に手を挙げて挨拶する。
「おはよう、薫。来てたんだ」
「うん。この前、月謝を持ってくるの忘れちゃって。早いところ、先生に届けておこうと思ったから」
「今度来るときでも良かったんじゃない?」
「ううん。こういうことはきちんとしておかないとね」
二人はアキトを無視して、ほがらかな会話をしながら、茶の間の方へと歩いていった。ハッと我に返ったアキトが、慌てて追いかける。
古い日本家屋である武藤家は広々とした間取りであった。今の東京では珍しい。風通しが良く、残暑が残る今の季節でもクーラーなどは不要だ。茶の間では、すでに朝げの準備がされていた。そこに小柄な老婆がちょこんと座っている。七十歳は越えているだろう。しかし、その背筋は和装ならでは気の引き締まりも手伝って、ピンと伸びていた。
「おはよう、ばあちゃん」
「おはよう」
老婆はにこやかに挨拶した。その目が、後ろの見慣れぬ人物──アキトを見咎める。
「そちらは?」
アキトは二階の窓から侵入したため、老婆とは初対面だった。
つかさは拾ってきた仔猫が見つかったかのように、バツの悪い顔になった。
「え、あ、ああ、その、つまり、同級生のアキトで……」
しどろもどろのつかさを遮るようにして、アキトがしゃしゃり出た。
「ボク、仙月明人って言います! つかさ君の友達です! よろしく!」
アキトは第一印象が大事だと思ったのか、猫をかぶった挨拶をした。隣で薫が呆れ顔を作る。
老婆はお茶を一口、ずずずっ、とすすって、
「物の怪か」
と、一言だけ呟き、席を立った。アキトを吸血鬼<ヴァンパイア>と見破ってのものか。アキトとつかさは凍りついた。一目見ただけで相手の正体を看破する、その眼力。ただ一人、アキトの正体を知らない薫だけが分からないといった顔だ。そのうち、「けだもの」と同義語かと得心したようだが(苦笑)。
「つかさのばあちゃん?」
アキトはまるで自分の家で振る舞うように、手づかみでたくあんをぼりぼりやりながら──薫に「お茶!」と命じて、ひっぱたかれたりしたが──、隣で朝食を食べ始めたつかさに尋ねた。
「うん。武藤つばき。ボクの唯一の肉親だよ」
「てことは、古武道やってたって言うじいさんの奥さんてことだよな? ばあちゃんもその方面の達人か何かか?」
アキトは尋常ならざる雰囲気を持ったつばきも、つかさ同様の武道家だと睨んだようだ。
しかし、
「違うわよ。先生は『武藤無心流総本家』の家元なの」
と、横から薫が口を挟んで、訂正した。
「『武藤無心流総本家』? そう言や、表にそんな看板がかかっていたな。でも、それが古武道の流派なんじゃねえのか?」
つかさから味付け海苔を一枚もらいながら(くすねながら?)、アキトが言う。
食事中のつかさに代わって、薫が、
「だから、そうじゃなくて、『武藤無心流総本家』ってのは、先生が教えている華道の流派なの」
と、説明した。
「へえ、華道ねえ」
味付け海苔を舌の上に乗せると、カメレオンのように呑み込むアキト。それが薫には不真面目な態度に見えたらしい。
「アンタ、華道をバカにしてるの?」
と、険のある表情でアキトを睨みつけた。だが、アキトはまったく意に介さない。
「別にぃ。オレには分からん世界だからな。しかし、何もお前がそこまでムキにならなくてもいいだろ?」
その理由については、つかさが代弁した。
「薫はばあちゃんのお弟子さんの一人なんだよ。もっとも、『武藤無心流総本家』って大層な看板を掲げてはいるけど、それもばあちゃんが勝手に興した流派でね。お弟子さんだって、薫を含めて七、八人ってとこだし。同じ華道をやっていても、ウチの流派を知っている人は少ないと思うよ。──あー、アキト、お醤油、取って」
「ほい。──なるほど、だからさっき、月謝がどうのこうの言ってたんだな。それにしても、女剣士が華道もたしなむとはねえ」
「何よ? 悪い?」
じろりと薫。
「いやぁ。ただ、少しは女らしいところもあるんだなぁと思ってよ。にっしっしっし!」
薫は手元になった朝刊を筒状に丸め、アキトの頭をひっぱたこうと身構えた。
そこへ牛乳瓶を持ったつばきが戻ってきて、薫は慌てて正座した。
「薫さん、女の子が無闇に乱暴を働いてはいけませんよ。剣道も華道も、大事なのは礼儀作法です。わきまえなさい」
「はい」
つばきの言うことには絶対なのか、薫はしおらしく控えた。それを見て、アキトがゲラゲラ笑う。
「勇ましい女剣士にも、こんな弱点があったとはな!」
そのアキトの口に、つばきは大粒の梅干しを一個、放り込んだ。呑み込むはめになり、アキトは、んがんっん、と沈黙させられる(サザエさんか?)。
「あなたも少しお黙りなさい」
そう言ってつばきは、持ってきた牛乳瓶のフタを指だけで開け(熟練の技?)、朝食が済んだ孫息子に差し出した。毎朝のお決まりらしい。つかさは牛乳をよく噛みながら、飲み干した。
「ごちそうさま。じゃあ、行って来る」
つかさは学生鞄を手にすると、席を立った。薫もつばきに一礼して、つかさに続く。アキトはまだ苦しみに悶えていたが、お茶で何とか流し込んだ。
「ばあさん、何しやがる!」
アキトはつばきに文句を言った。つかさの祖母でも容赦はない。
だが、つばきは動じた様子も見せず、静かにお茶をすすった。
「急がないと遅刻するよ」
アキトはハッと大きなのっぽの古時計を見た。長居をしている場合ではなかった。
「クソッ! 憶えてろ!」
アキトは尻尾を巻いて逃げるチンピラのようなセリフを吐きながら、つかさたちの後を追った。
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