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「おーい、薫はん! こっちや、こっち!」
忍足薫<おしたり・かおる>がそんな風に呼ばれたのは、剣道部の稽古が一段落して、防具の面を外したときだった。首を巡らせると、体育館の入口に一人のメガネをかけた女子高生がいて、盛んに手招きしている。薫は髪を束ねていた手拭いも取ると、軽く頭を振りながら、その女子高生のところへ近づいた。
「寧音<ねね>、どうしたの? 何か取材?」
薫が尋ねると、その女子高生──徳田寧音<とくだ・ねね>はニンマリと笑った。
寧音<ねね>とは出身中学もクラスも違うが、入学して一ヶ月くらいで知り合った。彼女は新聞部に入部し、毎日、学校内で記事になりそうなネタを探していたのである。ちょうどその頃、薫は剣道部で頭角を現し、一年生でありながら三年生をも討ち負かしてしまう実力の持ち主として、ちょっとした話題になった。その薫に取材を申し込んできたのが寧音<ねね>だ。剣道の腕前に優れ、さらに容姿も美少女そのものである薫は、絶好の取材対象だったのである。
寧音<ねね>は薫に密着取材をして、その素顔と後に行われた都大会優勝を記事にした。これにより薫の名前は校内中に知れ渡ることになり、今では二年の待田沙也加<まちだ・さやか>と並ぶ、“琳昭館高校のアイドル”として双璧をなしている。以来、二人はクラスの隔たりも関係なく、親しく交友を深めてきた。
「実は薫はんに聴きたいことがあるんや」
寧音<ねね>は妙に猫なで声で喋った。だが、メガネの奥の瞳は鋭い。こういうとき、寧音<ねね>は何か特ダネを狙っていると、薫は経験から知っていた。
薫は顔をしかめて、こめかみの辺りを指で押さえた。
「それはいいけど、その大阪弁、何とかならないの?」
いつも気になっていることを薫は口に出した。今度は寧音<ねね>の方が顔をしかめる。
「何でやねん? ウチは大阪生まれやで。いくら今は東京で暮らしているからって、言葉まで直す必要はあらへんやろ?」
寧音<ねね>が反論した。だが、薫は続ける。
「大阪生まれって、アンタ、一年くらいしかいなかったんでしょ?」
以前、寧音<ねね>の小さい頃の話を、薫は聞いたことがあった。寧音<ねね>は生後一年くらいで、父親の仕事の関係で今のところへ引っ越してきたのだと言う。物心がつく前に東京へやって来た寧音<ねね>が、大阪弁を喋っていたわけがない。明らかに無理があった。
だが、寧音<ねね>はなおも言い募った。
「お父ちゃんもお母ちゃんも生粋の大阪人や。家では大阪弁しか喋らへんしな。ウチが自然に憶えても不思議ないわ」
そこまで言われては薫も返す言葉がないが、時折、寧音<ねね>の大阪弁は、東京生まれの薫が聞いていてもおかしいときがある。明らかにわざと大阪弁を使っているのだ。
「──それより、薫はん、一年A組やったね?」
寧音<ねね>はポンと話を切り替えた。この辺の素早さは大阪人らしさだ。
「何よ、今さら。そうだけど?」
と、薫。すると、
「ほな、仙月アキトって転校生、知っとる?」
寧音<ねね>はそう切り出してきた。アキトの名前を口にされ、途端に下卑たスケベ顔が頭に浮かび、薫は頭痛がした。どうして、よりによって。
「……知らない」
薫は一語一語を絞り出すように言った。寧音<ねね>が怪訝な表情をする。
「ホンマに? 同じクラスやのに?」
「あーっ、知らないったら知らないのよ! あんなバカなことは!」
薫の反応に、寧音<ねね>はひとつ手を叩いて喜んだ。
「何や、知ってるんやないの! ちょうど良かったわ、話聞かせて〜な」
こうなっては寧音<ねね>に敵わない。薫は観念した。
「はいはい、あいつのことを話せばいいのね。まあ、一言で言って、底抜けに呆れるほどの単純バカで、ちょっと可愛い娘を見ると見境なく襲いかかろうとするスケベで、おまけにどうしようもない生まれながらの変態で、がさつで、食い意地が張って、無礼きわまりなく、そのくせ何様のつもりなのか尊大なほど自信過剰で、思い通りにならないと、すぐにカッとするような子供みたいなところがあって、とにかく超がつくほどのどうしようもないヤツってところかしら?」
ずいぶんと長い一言ですな(苦笑)。
だが、寧音<ねね>はいちいちうなずきながら、薫のコメントをメモしていた。
「なるほど。どうやら思った通りの人物みたいやね」
「どうして、あんなヤツのことを聞きたがるのよ?」
薫は不思議に思いながら尋ねた。寧音<ねね>が記事の対象として以外に、他の男子生徒に興味を持つとは思えない。
寧音<ねね>は唇の端を吊り上げた。
「何言うてんねん。今、かなり注目されてるで、彼。『波乱を呼ぶ転校生』とか『歩くトラブル・メーカー』てな。先日は空手部で道場破りの真似事、ついこの前には生徒会長の伊達さんとテニスの勝負。これだけ立て続けに話題を提供してくれる人は、学校中探してもおらへんで。しかも、さっきもまた空手部とリベンジマッチして、ボコボコにしたそうや」
それは初耳だった。薫は目を丸くする。
「空手部とリベンジマッチって、それ、いつのこと?」
「だから、今さっきや。副主将の坂田さん初め、五人が病院送りになりおった。救急車まで来てたんやけど、知らんかった?」
そう言えば稽古中、救急車のサイレンが近くで鳴っていた気がするが。しかし、それにしても──
「ホントにそれ、あいつがやったの?」
薫は念を押すように言った。だが、寧音<ねね>は軽くうなずく。
「何でも現場にいたところを発見されたそうや。どうやら呼び出したのは空手部の方だったらしいけど。さらに容疑者である仙月くんは逃亡中。これで決定的やな。今、先生たちは緊急の職員会議で、大変な騒ぎやわ。停学処分はまず確実、下手すりゃ退学かも知れへんなあ」
薫は寧音<ねね>の話を、どこか遠くで聞いているような気がした。確かにアキトは、薫が喋ったように粗暴なところがあり、空手部とも因縁があったが、ひどいケガを負わせるほどの暴力を振るうとは、にわかに信じ難い。以前の空手部での一件も、つかさのために悪役を演じていただけであり、そのときもある程度の手加減をしていたようだ。今回、そこまでする必要があったのか。
つかさがこれを知ったら、どう思うだろう。アキトが転校してきて以来、つかさは明らかに変わった。それはずっと薫が望んでいたことだ。まだ頼りない面はあるが、徐々に改善されていくだろう。それもアキトのお陰だと認めなくてはいけなかった。あんなヤツでも役に立つことがあるのだと思う。
だが、今回の一件が本当だとすれば、それはまったくつかさのためにならない。元々、つかさは争いごとを好まない優しい男だ。ましてや、その被害者が同じ空手部の先輩だと知れば、心を痛めるに違いない。
それでなくとも、今のつかさはB組の小暮春紀<こぐれ・はるき>のことで悩みを抱えているのだ(詳しくは「WILD BLOOD」第4話を参照)。この事件のことを知れば、余計につかさは傷つくことになる。薫は心配になった。
「どこ行くねん?」
いきなり道場から出て行こうとする薫に、寧音<ねね>が声をかけた。
「ごめん、急用を思い出した!」
薫は振り向きもせず、校舎の方へと足早に去っていった。
寧音<ねね>はその後ろ姿を黙って見送ったが、やがてアキトのことを書いたメモをスカートのポケットにしまって、笑みを漏らした。
「まあ、ええわ。聞きたいことは聞けたし。あとは面白い記事にしたる」
と呟いて。
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