[←前頁] [RED文庫] [「WILD BLOOD」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
三十分後、つかさと薫の二人は駅へ向かって歩いていた。
つかさが先頭、薫は五メートルくらい離れていた。そして、つかさの背中を睨みつけるようにしている。
さすがは古武道で鍛えた者、よからぬ視線に気づいたらしく、つかさが後ろを振り返った。
「何?」
「別に」
「ボクのこと、睨んでなかった?」
「睨んでなんていないわよ」
「ホントに?」
「ホントよ! ──さあ、とっとと行くわよ!」
薫は一人、プリプリ怒りながら、つかさを追い抜いて、先を歩き始めた。つかさはワケが分からないといった顔だ。
薫が腹を立てているのは、つかさに対してではない。早合点した自分にだ。
つかさが「付き合ってくれない?」と言ったのは、買い物に付き合ってくれないか、という意味だった。これまでにだって、そういったことは何度かある。それを「恋人として付き合ってください」という意味で受け取り、勝手に頭を真っ白にさせてしまったのである。もちろん、そのことにつかさが気づくはずもないが、ただの友達だ、クラスメイトの一人だ、男として意識したことなんてこれっぽっちもない、と心の中で豪語しながら、ついそっちの方に考えてしまった自分が情けなくも恥ずかしい。そもそも、つかさが薫のことを異性として意識しているはずなどないのだから。薫は、つかさが他に好きな人がいるのを知っている。
どうも今日は調子が狂うようだ。生け花の失敗を引きずっているからに違いない。薫は頭を切り換えようとした。
「で、何て本を探すんだっけ?」
薫は何か他の話題で誤魔化そうと、目的の買い物について尋ねた。
「ああ、飛田龍之介の『夢と記憶と未来とボクと』って本。『緋色の夢』ってヤツでもいいんだけど」
つかさはメモを取りだして、読み上げた。
「飛田龍之介?」
薫の知らない名前の作家だった。とは言え、薫はあまり小説を読まない方だ。作家の名前も、国語の勉強で出てくるような有名どころしか知らない。
「知る人ぞ知る作家らしいよ。もっとも、ボクも読んだことはないんだけど」
つかさも読書家という話は聞かない。
「どういう風の吹き回し?」
薫は当然の疑問を口にした。
「うん、木暮くんのお見舞いに持っていってあげようと思ってさ」
木暮春紀。薫たちのクラスA組のとなり、一年B組の男子生徒だ。
木暮は根っからのいじめられっ子だったのだが、先日、学校で大事件が発生し(詳しくは、「WILD BLOOD」第4話、並びに第5話を参照)、目下、病院で加療中であった。そのときのケガが原因で、今も意識不明の状態が続いている。
つかさは、その木暮と友達になる約束をしながら、守れなかったことを悔やんでいた。
薫も何度かつかさに付き添い、木暮のお見舞いに行ったことがある。中学生のような小柄な身体をベッドに横たえ、呼吸器や点滴のチューブが取り付けられた姿は、見ているだけで痛々しい。そんな木暮に、一人で話しかけるつかさも見ていられなかった。
だが、つかさは木暮が目覚めるのを、いつまでも待つだろう。友達として、例えそれが何年かかろうとも。薫はそう信じて疑わなかった。
「木暮くんの家に行ったら、本棚にいっぱい飛田龍之介って人の本が並んでいてさ。いろいろ調べたら、木暮くんが持ってないその人の本が、まだあるみたいなんだ。でも、この近所の本屋を回っても、見つかんなくて。何でも絶版らしいんだよね。だから、西城の大きい本屋とか古本屋に行けば、見つかるかなと思ってさ」
「ふーん。見つかるといいね」
薫は素直にそう思った。そして、いかにもつかさらしいことだとも。
そんな二人の後方から近づいてくる足音があった。何事かと二人は振り向く。
「あっ!」
「アキト!?」
それは二人のクラスメイト、仙月アキトだった。
アキトは凄い形相で二人を追い抜いていったが、五十メートルくらい行き過ぎると、後ろ向きの姿勢のまま、まるで巻き戻しのビデオを見ているみたいにこちらへ戻ってきた。そして、つかさたちに並ぶ。
「よお、お二人さん!」
アキトは足踏みをやめずに、つかさと薫に声をかけた。
「アキト、どうしたの? そんなに急いで」
慌てた様子のアキトに、つかさが尋ねた。
アキトは──その正体はつかさと、B組の狼男である大神憲<おおがみ・けん>くらいしか知らないが──東洋系の吸血鬼<ヴァンパイア>である。こんなに顔を引きつらせて、何かから逃げているようなところを見ると、尋常じゃないと思う。
「分かった!」
ひらめいた薫がポンと手を叩いた。
「トイレへ急いでいるんだ」
「違わい!」
アキトが噛みつくように強く否定した。
「じゃあ、何なのよ?」
聞いてやろうじゃないかと、挑戦的な目つきで薫が促す。
一方、アキトはと言えば、完全に焦っていた。
「それがその……とにかく、しつこくてよ! 今、逃げ回っているところなんだ!」
「誰から?」
アキトはちらりと後ろを振り返った。途端に肩がびくんとなる。
「ヤベえ……なんちゅう執念深さだ……。じゃあ、つかさ、そういうワケで!」
何がどういうワケか、つかさたちにはさっぱり分からなかったが、アキトは右手を挙げて別れの挨拶を済ますと、脱兎のごとく、その場から走り去っていった。猛然と逃げていくアキトを見て、つかさと薫は茫然と見送る。
「何をあんなに怯えていたんだろう?」
「さあ。ただ言えることは、あんなバカのことは、誰にも理解できないってことよ」
考えるだけムダと、薫がバッサリと切った。
再び駅へ向かって歩き出そうとすると、またしても背後から駆けてくる足音が聞こえた。アキトが逃げていたは、この人物からか、と思い当たり、二人が振り向くと──
「待たんかい、このアホんだらぁ!」
と、どぎつい関西弁が聞こえてきた。しかも聞き覚えのある声。
「寧音<ねね>!?」
それは琳昭館高校新聞部に所属している一年C組の女子、徳田寧音<とくだ・ねね>だった。
寧音<ねね>は手に修理が完了して戻ってきた一眼レフカメラを構え、先程のアキトよりも恐ろしい鬼の形相で走ってきた。その迫力に、つかさも薫も気圧される。
寧音<ねね>は一旦、二人を追い抜いていったが、やはり五十メートルくらい行くと、アキトと同じように後ろ向きで戻ってきた。そして、足踏みまでマネして、二人に並ぶ。
「薫はん、仙月はんを見んかったか!?」
素直に教えないとしばき倒すぞ、というような寧音<ねね>の迫力に、つかさと薫はこくこくとうなずいた。
「どっちや!?」
二人はまったく同じタイミングで、駅の方を指差した。寧音<ねね>はメガネの蔓<つる>をつまみ、ズレを直す。
「あっちやな? おおきに!」
寧音<ねね>は礼を言うと、アキトの後を追いかけ始めた。が、何を思い出したのか、また二人のところへ戻ってくる。そして、おもむろにカメラを構えた。
「はい、チーズ!」
つかさと薫は、反射的にピースしながら、ポーズを取ってしまった。
カシャッ!
シャッターが切られた。
「『一年生カップル、日曜日のデート現場を激写!』──よっしゃ、これでまた面白い記事が書けそうや!」
「寧音<ねね>ッ!」
いつの間にかカップルに仕立てられ、つかさと薫は顔を真っ赤にさせた。薫はカメラを取り上げようとしたが、それよりも早く寧音<ねね>はアキトを追いかけていった。
まるで嵐のようにアキトと寧音<ねね>が通り過ぎ、何だか買い物へと出掛ける初っ端からドッと疲れを覚える二人だった。
「な、何なのよ、あの二人は……?」
「徳田さん、アキトのことを記事にしたがっていたみたいだけど、まだあきらめていなかったんだね」
先日、あれだけの騒動を起こしておきながら(詳しくは、「WILD BLOOD」第6話を参照)、なおもジャーナリスト魂を燃え上がらせる寧音<ねね>は、つくづく逞しいと思う。その反面、アキトの正体が吸血鬼<ヴァンパイア>だとバレないか、つかさは心配もしていた。
「不吉だわ」
「うわあああああああああっ!」
いきなり耳元でささやくように言われ、つかさと薫は跳び上がって驚いた。いつの間に背後に立ったのか。二人の武道家に微塵の気配も感じさせず、暗い感じがする喪服の美少女がいた。
それは寧音<ねね>と同じ一年C組の黒井ミサだ。つかさも薫も直接話したことはないが、彼女のタロット占いは不吉なくらいよく当たると、校内でも評判で、顔と名前だけはよく知っていた。
ミサは二人に感心もなさそうな感じで、そのまま、フラフラと夢遊病患者のように歩いていった。
そんなミサに、薫が勇気を振り絞って声をかける。
「く、黒井さん、これからどこかのご葬儀に参列するの?」
するとミサはゆっくりと振り向いた。そして、
「いいえ。どうして?」
と尋ね返す。
「だって、喪服を着てるから……」
まだ昼間なのに、薫は背筋が寒くなったような気がした。
そんな薫に、ミサが薄く微笑む。
「これ、私の普段着なんです……」
そう言い残して、ミサは行ってしまった。
つかさと薫は二人して、その場にへたり込んだ。
「あわ……あわわわわわわわ……」
「な、何なのよ、いったい……?」
こうして波乱の日曜日は始まった。
[←前頁] [RED文庫] [「WILD BLOOD」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]