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「つかさのバーカ」
薫はそう呟くと、自動販売機のボタンを押した。ガコン、という音とともにスポーツドリンクの入ったアルミ缶が転がり出る。それを手に取ると、プルトップを開けてから左手は腰に据え(ちなみに肘は九十度)、そしてグイッと口にした。
ごくん ごくん ごくん……
「ぷはーっ!」
まるで仕事あとのビールを楽しむオヤジよろしく、薫は一気に飲み干すと、口許を手の甲で拭い、グシャリとアルミ缶を潰した。そのとき、たまたま近くで薫を見かけて、可愛いなあ、と見取れていた大学生くらいの青年がいたのだが、その行為を目撃してしまい、驚いたように目を丸くする。確かに、空き缶を片手で潰す女の子というのは、あまり見かけないものだ(苦笑)。そそくさと逃げていく青年にも気づかず、薫は自動販売機脇に設置してある空き缶入れに放り込んだ。
「ふーっ!」
一気飲みして、少しは気分が落ち着いた気がした。そして、後ろを振り返る。
にぎやかな音楽が鳴り響いていた。それにともなって聞こえてくる子供たちの歓声とゲームや遊具が発する様々な電子音。見上げれば、秋晴れの空が広がっていた。
つかさと別れた薫がやって来たのは、南口のデパート屋上に設けられた遊技場である。遊技場と言っても、小さなメリーゴーランドや宇宙船を模した乗り物型のアトラクション、エアマットで出来たトランポリンなどがあり、ちょっとした遊園地のような感じだ。他にもレトロな雰囲気のゲーム機が軒を連ねている。
ただ、薫が子供の頃からあったものなので、かなりデザインは古くさいし、いかにも安っぽい感じは否めなかった。昔はそれこそ夢の国のように思っていたが、今はとても狭く、ゴチャゴチャとした雑多なものに見える。
それでも小さな子供たちにとっては、格好の遊び場だ。特に人気の高いのが観覧車である。ゴンドラの数こそ八台と少なく、一周一分くらいしかかからないのだが、地上七階建てのデパート屋上にしつらえてあるので、街の景色を眺めるのには最適だ。
また、屋上に観覧車があるというのも珍しいので、デパートのトレードマークみたいになっていた。特に最近は、比較的、新しいものが集中している西城駅北口の方に人の流れが傾いているのだが、この屋上観覧車のお陰もあって、未だに南口へ足を向ける人も多い。薫もどちらかと言えば、昔なじみの南口デパートの方が好きだった。
ここへ来るのも久しぶりだ。走り回る子供たちを回避しながら、どこかのベンチで休もうと、薫が探しているときだった。
「不吉だわ」
ぼそりとした声なのに、まるで耳元でささやかれたかのようにハッキリと聞こえ、薫は顔を引きつらせながら、周囲を見回した。すると後方五メートルくらい離れたところに、小さなテーブルに座っている喪服姿の美少女がいて、こちらに向かって手招きしている。
「く、黒井さん……?」
隣のクラスの黒井ミサがいきなり現れたような錯覚を覚え、薫は思わず後ずさった。
だが、ミサはゆっくりとした動作で、薫を呼び続ける。怪しさ丸出し。つい反射的に逃げ出したい衝動に駆られた薫だが、それも失礼な話なので、心臓のドキドキを鎮めようと努めながら、ミサに近づいていった。
ミサは折り畳み式のテーブルに黒いビロードを敷き、その上に五枚のカードを伏せていた。一見してトランプでないと知れる。トランプよりも、もっと細長い形だ。
「黒井さん、こんなところで何をしているの?」
「ご覧の通り、ここでアルバイトをしているの」
「アルバイト?」
怪訝そうな薫に、ミサはそっとテーブルの下を指し示した。ビロードに貼りつけられたA4サイズの紙に、手書きで「タロット占い・見料五百円」とある。そう言えば、ミサのタロット占いは校内でも有名だ。薫はまだ占ってもらったことはないが。
「このことは内緒にしててね。見つかると大変だから」
ミサはそう言って、薫に頼んだ。しかし、薫は眉をひそめる。
「え? でも、ウチの学校は別にアルバイトOKでしょ?」
するとミサは首を横に振った。
「そうじゃなくて、デパートの人たちに。何しろ、無許可でやってるから」
「………」
薫は開いた口が塞がらなかった。こんな白昼堂々、無許可のバイトとは。遊技場にはたくさんのスタッフたちも働いている。よく見つからないものだと、薫は何だか感心してしまった。
「そ、そう、分かったわ。内緒にしておくから。それじゃあ、私はこれで」
あまりミサとは関わり合いにならない方が良さそうだと思った薫は、回れ右をして、この場から退散しようとした。ところが──
「待って、忍足さん。黙ってくれるお礼に、私がタダで占いをしてあげるわ」
と、ミサは引き止めた。薫はギクシャクとしたロボットのような動きで、首だけ回す。
「い、いえ、私は別に占ってもらわなくても……」
薫は逃げようと思った。ミサの占いは、確かによく当たると評判だ。占いをしてもらった人たちから話を聞くと、的中率百パーセントとも聞く。だが、その内容は必ず相手が不幸になるものばかりで、決して聞きたくない占いばかりだ。片想いの相談すれば、「あきらめなさい、向こうには本命がいます、絶対に無理です」と言われ、失せものを尋ねれば、「例え地面を掘ろうとも、海に潜ろうとも、一生見つかりません」と断じ、テストの問題が知りたいと尋ねれば、「どんな努力をしても0点です」と突き放され、実際、テスト当日、高熱を出して欠席しなければならなくなったという不幸な結末。占いというのは、少なからず人の行動を決定する指針みたいなものになるが、ミサの場合は不吉な予言でしかない。聞かない方が得策だ。
しかし、ミサは薫を逃がしはしなかった。
「不吉だわ。私の忠告を無視すると、あなたはとんでもない目に遭ってしまう」
ぞぞぞぞぞぞっ!
ほとんど脅し文句のようなミサの言葉に、逃げようとした薫の足は止まった。まさか、学校のみんなに降りかかる災難は、ミサが故意に招いているものじゃないかとすら疑いたくなる。冷や汗を垂らしながら、薫はミサに抗うことができなくなった。
「うっ……そこまで言われると……」
「さあ、どうぞ、こちらへ」
ミサははかなげな微笑を浮かべながら、薫を促した。薫は観念し、ミサの前に座る。まるで死刑宣告を待つ被告人の心境だ。
「今日は簡単な占いにしておきましょう」
そう言ってミサは、テーブルの上のタロットカードをすべて手にすると、優雅な手つきでシャッフルした。そして、再びテーブルの上に、五枚のカードを伏せて出していく。
ごきゅっ!
薫の喉が鳴った。さっきスポーツドリンクを飲んだばかりなのに、もう喉がカラカラだ。
ミサが薫の顔を見据えた。
「この五枚のカードは、あなたの未来を表しています。これから一枚のカードを選んでください。それが、今日これから、あなたを待ち受けている運命。いろいろな可能性からひとつに絞るのです」
それが悪いことなら、わざわざ選びたくないと思う薫であった。だが、ここで逃げたら、もっと不幸なことが身に降りかかりそうだ。
「さあ、選んで」
ミサの口調は静かなものなのに、なぜか逆らえない響きがあった。薫は五枚のカードを見つめた。穴が開くまで、ジッと見る。どれを選んだらいいのか。チラリとミサの様子を窺ってみる。ミサは無表情。いや、少し口の端が上がっているように見える。楽しんでいるのか。これから薫がどのカードを引くのかを。
「これ!」
考えてても始まらない。ままよ、とばかりに、薫は真ん中のカードを選んだ。
「運命は定められました」
ミサはそう言って、薫が選んだカードをめくった。その瞬間、薫の肉体は雷に撃たれたような衝撃を受ける。
高い塔に稲妻が落ちている図柄。
《The Tower》
薫はそのカードを見た瞬間、何か不吉なものを感じ取った。
案の定、ミサの顔ははっきりと分かるくらいの邪な笑みが浮かんでいた。一体、どんな運命を暗示しているカードなのか。知りたい反面、訊くのがためらわれた。
「これは《タワー》のカード。忍足さん、あなた──」
ミサが占いの結果について語ろうとした刹那だった。不意に薫の肩が誰かに叩かれる。
「キャッ!」
薫は思わず跳び上がらんばかりに驚いて、悲鳴を上げた。それよりもビックリしたのは、薫の肩を叩いた人物だ。
「わああっ、そない驚かんでもええやん!」
それは少しくぐもった感じがしたが、聞き覚えのある関西弁だった。薫は振り返ってみた。
「──!?」
薫の背後に立っていたのは、ピンク色をしたウサギの着ぐるみだった。首には大きな蝶ネクタイをし、右手に色とりどりのたくさんの風船を握っている。薫は呆気にとられた。
「また会うたな、薫はん」
ウサギが喋った。
「え? もしかして、寧音<ねね>?」
薫が問うと、ピンクのウサギはうなずいた。そして、左腕でかぶりものの頭を持ち上げる。中から現れる汗だくの寧音<ねね>の顔。
「どうや、ビックリしたやろ? ──どうしたんや、薫はん。顔色、良くないで」
ウサギの着ぐるみを着た寧音<ねね>が心配そうに言った。
「ああ、それが黒井さんに──」
薫はそう言って、ミサの方に振り向こうとした。だが──
「あれ?」
一体いつの間に立ち去ったのか、ミサの姿はテーブルごと、いずこかへ消え失せていた。
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