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WILD BLOOD

第7話 ともだち以上、コイビト未満

−6−

 薫はキツネにでもつままれたような気分になり、その場に茫然と立ちすくんだ。
 すると前に回り込んだウサギ姿の寧音<ねね>が、薫の顔の前で手を振る。
「おーい、薫はん? どないしたんや?」
「だって……今までここに黒井さんがいたはずなのに……」
 あまりのショックに、呟くように話す薫。それを聞いた寧音<ねね>は怪訝な顔をする。
「ミサはんがここに? おらへんやないか。夢でも見たんとちゃうか?」
 寧音<ねね>は念のため、額を手でかざしながら、キョロキョロと周囲を見回してみたが、ミサの姿を発見することは出来なかった。
「真っ昼間から寝ぼけとんのかいな? しっかりしてーや、薫はん」
 寧音<ねね>が言うように、本当にミサは幻だったのだろうか。いや、そんなはずはない。確かにミサとタロット占いをしていたテーブルは忽然と消えてしまっているが、薫が座っていたパイプ椅子だけは残されている。つい先程まで、ミサのタロット占いが行われていた証拠だ。
 そして、薫が選んだ《タワー》のカード。
 秋とは言え、まだ日は高いのに、薫は背筋が寒くなったような気がして、身震いした。
 そんな薫の様子も気づかず、寧音<ねね>は相変わらず脳天気だった。
「それより薫はん。仙月はんを見んかったか?」
「え? あのバカを?」
 寧音<ねね>がここまでアキトを追って来たと知らされて、薫の表情は、益々、不安になった。ひょっとして、これから薫の身に降りかかる災難とは、アキトが絡んでいることではあるまいか。
 今度は薫が周囲を窺った。一見したところ、アキトの姿はない。
「ここへ来たのは確かなの?」
 薫は逆に尋ねた。すると寧音<ねね>はうなずく。
「この琳昭館高校新聞部の敏腕記者、徳田寧音<ねね>様が追ってきたんやで。間違いがあるはずないやんか。まったく、ウチから逃げよってからに。ええ加減、観念して、取材くらい受けろっちゅうねん」
 寧音<ねね>も絶えず周囲に目を光らせながら、愚痴をこぼした。確かに、琳昭館高校の生徒並びに教師で、寧音<ねね>の取材から逃れられた者はいない。皆、そのしつこさと厚かましさに必ず屈するのだ。ここだけの話、薫だって、寧音<ねね>の取材を受けざるをえなかった一人である。
 そういう意味では、アキトは大したものだと、薫は変に感心してしまった。どこまで逃げ回れるものか、野次馬的な興味を覚える。
「で、その格好は変装というわけ?」
 薫は改めて寧音<ねね>のウサギ姿を眺めて言った。
 すると寧音<ねね>は威張ったように胸を反らす。
「ええアイデアやろ? ここの遊技場の人に頼み込んで、着せてもらったんや。この姿なら、仙月はんも気づかへん。油断しているところを近づいて、絶対に取材したる!」
 そう言って、寧音<ねね>はグッと拳を握りしめた。薫は頭痛を覚え、かぶりを振る。
 前回も寧音<ねね>は変装をして、アキトに近づこうとしたが、ことごとく失敗したと聞く(詳しくは「WILD BLOOD」第6話を参照のこと)。つくづく懲りないというか、根性があるというか。
 するとそこへ、まだ小学校にも上がってなさそうな可愛らしい女の子が、二人の所へ駆け寄ってきた。そして、ウサギ姿の寧音<ねね>にしがみつくようにして見上げる仕種をする。
 寧音<ねね>は慌てて着ぐるみの頭をかぶり直した。
「ど、どないしたんや、お嬢ちゃん?」
「ウサギさん、風船ちょうだい!」
 女の子は寧音<ねね>にせがんだ。寧音<ねね>はかがんで、女の子に目線を近づける。
「何や、風船が欲しいんかいな?」
「うん!」
 すると寧音<ねね>は人差し指を一本立てて、チッチッと振った。
「お嬢ちゃん、知っとるか? 世の中、タダより怖いものはないんやで。ウチがこうして風船を持ってるからと言うて、必ずしもタダでもらえるとは──」
 ぼごっ!
 いきなり、薫は寧音<ねね>がかぶっているウサギの頭を叩いた。
「こら! 何を幼い子供相手に言ってるのよ! 素直に風船を渡しなさい! ──はい、これ」
 着ぐるみの重みで前につんのめっている寧音<ねね>の手から風船をひとつひったくると、薫は女の子に手渡した。女の子は薫から真っ赤な風船を受け取って、ニッコリと笑う。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
 薫も微笑み返した。
 女の子は薫に手を振ると、くるりと後ろを向いて、走り出した。その先に女の子の母親らしい女性がおり、優しく出迎える。女の子は母親に風船を見せた。「あら、良かったわねえ」と微笑む母親。するとこちらへ改めて向き直り、薫に会釈した。
「あたたたた。何するんや、薫はん。いきなり、どついてからに」
 寧音<ねね>は着慣れぬ着ぐるみの動きに苦労しながら、やっとの思いで起き上がった。
「アンタ、その格好して、子供に風船を渡さないとは、どういうつもり?」
 薫は呆れたように言った。だが、寧音<ねね>はちっとも悪びれた様子はない。
「小さい頃から、ちゃんと社会勉強させとかんとな。世の中、厳しいんやで。物につられて、誘拐なんてものも考えられるしな」
「それはそれ、これはこれ、でしょ!? 変装とはいえ、今のアンタはここのマスコットのウサちゃんなんだから。もっと子供に夢を与えるような接し方をしなさい」
 薫は腕組みして、意見してやった。
 するとそこへ、黄色いジャンバーを着た男性が飛んできた。そして、おもむろに寧音<ねね>の腕をつかむ。
「こら、バイト! 何をこんなところで油売ってやがんだ!」
「うひぃ! すんません!」
 男に怒鳴られ、寧音<ねね>は萎縮した。どうやら男はこの遊技場のスタッフらしい。
「まったく! 飛び込みで、どうしても着ぐるみを着させてくれって、自分から頼み込んできたくせに! ほら、さっさとこっちへ来て、子供たちに風船を配らないか! それがイヤなら、とっとと脱いでもらってもいいだぞ、こっちは! もちろん、バイト料もなしだ!」
「やります、やります! 働かせてもらいます!」
 寧音<ねね>は壊れた人形のようにうなずいた。
「じゃあ、さっさと来い!」
 男は腕をつかんだまま、ウサギ姿の寧音<ねね>を引っ張っていった。まったく、これではどっちに社会勉強が必要なのやら。
 だが、薫は寧音<ねね>と話しているうちに、ミサのタロット占いで受けたショックが和らぎ、心の平穏を取り戻していた。そして、つくづく平和な遊技場の光景を眺めて微笑む。
 見れば、先程、風船をもらいに来た女の子が、母親に何かをせがんでいるようだった。
「ママ、あれ乗りたい!」
 女の子が指差しているのは、観覧車だった。すると母親の笑みが凍りつく。
「ママねえ、あんまり高い所は……」
 どうやら、高所恐怖症らしい。こうして屋上にいると、とても小さな観覧車に見えるが、街側を見下ろせば、かなりの高さになる。
「ええーっ!? 乗りたい、乗りたいーっ!」
 女の子はだだをこねた。母親は困ったような顔をする。
 そんな母娘を見て、薫は微笑んだ。自分の昔を思い出す。薫の母も高い所は苦手で、薫が観覧車に乗りたいと言うと、必ず及び腰になったものである。そんな母を説得するのがひと苦労だった。
「ママは目をつむってていいから!」
 女の子はそう言った。母親が苦笑している。
 薫も使ったことのあるセリフだ。だが、例え目をつむったとしても、高所恐怖症である以上、大丈夫だとは言い切れない。結局乗るはめになった母がいつも震えていたのを薫は憶えていた。
 結局、母娘は観覧車に乗ることに決めたようだった。列の最後尾に並びに行く。
 それを見届けた薫は、今度こそベンチに座ろうと移動しかけた。
 背後に不吉な気配を感じたのは、その刹那である。
「──っ!」
 薫は振り向くよりも早く、本能的に手刀を放っていた。
「うおっ!?」
 後ろの人物は驚いたようだったが、それよりも薫を驚嘆させたのは、手刀をものの見事に受け止めたことだった。
 一体誰なのか、薫は振り向いてみた。
「ずいぶんなご挨拶だなあ」
「やっぱり、アンタか」
 薫の後ろに立った人物は、ある程度、予想していたとおり、クラスメイトである仙月アキトだった。こちらへニヤけた顔を向けてくる。
「いきなり手刀とは危ないヤツだなあ。オレじゃなかったら、まともに喰らってるぜ」
 薫の手をつかんだまま、アキトは言った。
 だが、薫に悪びれた様子はない。むしろ、アキトを仕留め損なったことを不服に思っているようだ。
「私って、背後に男の人が立つと、反射的に手が出ちゃうのよね。特に、私が敵だと感じた相手には」
「お前はゴルゴ13か?」
 ……そのネタは以前にもやりました(苦笑)。
「顔は可愛いんだからよ、もうちょっと女らしくしたら?」
 そう言ってアキトは、薫の手の甲にキスしようと、タコのような唇を近づけた。薫は慌てて手を引っ込める。
「余計なお世話よ! それより、どうしてこんな所にいるの?」
「おお、それがよお、あのしつこいメガネ女にまとわりつかれてよお──」
 薫はアキトに気づかれぬよう、目だけで寧音<ねね>を探した。だが、寧音<ねね>はスタッフの人に見張られながら、子供たちに風船を配っているところで、こちらに気づいた様子はない。知らせてやった方がいいのだろうか。
「──それより、つかさはどうした? さっき一緒だったよな?」
 つかさの名前が出て、薫の表情は固くなった。不快な気分を思い起こす。
「し、知らないわよ、あんなバカのことなんか……」
「ああん? デートだったんじゃねえの?」
「違うったら、バカ!」
 つい声が大きくなってしまった。しかし、アキトはフッと笑う。
「じゃあ、今度はオレとデートしようぜ」
 否を言う暇もなかった。アキトは薫の手を強引に引くと、ゲーム・コーナーへと歩き出した。

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