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ヒュウウウウウ……ン……
それまで遊技場を賑わしていた音楽や電子音が鳴りやみ、不気味な静けさが漂った。
ただし、エア・ホッケーだけは別!(苦笑) カキンコキンとパックの弾ける音だけが延々と続いていた。だが、アキトと薫の対決を見守っていたギャラリーたちが異変に気づき、ざわめき出す。それにともない、薫も真剣勝負から現実に引き戻された。
「何……?」
「よっしゃ! もらったぁ!」
そんな薫の隙を見逃さず、アキトは卑劣にも(?)がら空きのゴール・ポケット目がけてスマッシュを打ち込んだ。
長かったラリーにも終止符が打たれるのかと思われた刹那、薫の闘争本能が突き動かしたのか、腕だけはアキトのスマッシュに反応していた。
ぱこぉーん!
薫が跳ね返したパックは宙に浮かび、そのままダイレクトにアキトの顔面を直撃した。決まったと思ったのが命取り、さすがのアキトもひっくり返る。しかし、生憎とアキトを心配する者は誰もいなかった。皆、突然の停電の方に気を取られていたからである。
消えたのは音ばかりではなかった。照明や電飾が落ち、子供たちが乗った遊具も動きを止めている。皆、周囲を見回し、どうしたのかと不安そうな表情を浮かべていた。
もちろん、一番慌てていたのは遊技場のスタッフたちだ。原因を調べようと、配電盤のあるスタッフ・ルームに駆け込む。
「な、何だ!?」
薄暗いスタッフ・ルームに入って、まず気づいた異変は鼻を突くきな臭さだった。入口正面突き当たりに設置されている配電盤から、バチッと火花が散っているのが見える。何らかの原因でショートしたのは明らかだった。
そして、その何らかの原因もすぐに明らかとなった。配電盤の下にピンク色のウサギの格好をした着ぐるみがひっくり返っている。寧音<ねね>だ。
スタッフは着ぐるみの頭を外した。
「何をしたんだ、お前!?」
ぐるぐる目を回している寧音<ねね>に、スタッフは剣呑な顔で問いただした。こめかみに青筋が浮かび、ピクピクと動いている。
「それがそのぉ……コケそうになったもんやから、つい、こう手で触ってしもうて……」
失敗を誤魔化そうと寧音<ねね>は愛想笑いを振りまくが、相手はそんなことで許してはくれなかった。
「お前、自分で何をしでかしたか、分かっているのか?」
そう言われて、寧音<ねね>は入口まで這っていき、外の様子を見た。
「あっちゃ〜ぁ」
「あっちゃ〜ぁ、じゃない! よくも営業妨害しやがって! この責任、どう取ってくれるってんだ!?」
遊技場スタッフは怒りを爆発させた。寧音<ねね>は両手を向けて、後ずさる。
「まあ、抑えて、抑えて! 不可抗力なんや。信じてえな、オッチャン」
「誰がオッチャンだぁ!?」
寧音<ねね>とスタッフのやり取りはこじれるばかりだ。
その間に、他のスタッフたちは停止した遊具から子供たちを降ろす作業に忙殺されていた。助け出された子供たちは、待ち受けていた親のところへ駆け寄っていく。
だが、ひとつだけ手の出せない遊具があった。観覧車だ。
一番下とその両隣のゴンドラからは、中のお客を降ろすことは出来たが、一番上まで上がってしまったゴンドラは、小さな観覧車とはいえ、高さ十五メートルくらいある。スタッフたちは拡声器を持ち出し、再び動き出すまで大人しく待つよう呼びかけることくらいしか出来なかった。
その一番上のゴンドラに乗っていたのは、先程、薫から赤い風船をもらった女の子と、その母親だった。
「ママ、見て見て! みんな、こっちを見てるよ〜!」
女の子は観覧車が止まって怖がるどころか、見晴らしの良さにご満悦だった。座席から立ち上がって、下を見下ろす。
「ま、マコちゃん、お願いだからジッとしていて!」
高所恐怖症である女の子の母親は、娘が動くだけでも揺れるゴンドラに、すっかり怯えきってしまっていた。手すりにつかまって、完全に縮こまっている。
しかし、女の子の方はまったく意に返さなかった。
「大丈夫だよぉ。ほらほら」
女の子は見上げている下の人たちに手を振った。そして、ゴンドラのドアに張りつく。
不運なことは重なるものである。ゴンドラ係のスタッフがロックの確認を怠ったのだろう、あろうことか女の子がドアに触れた途端、その体重のせいで開いてしまった。
「キャーッ!」
ゴンドラを見上げていた女性客の誰かが悲鳴を上げた。ゴンドラのドアが開き、小さな女の子の身体がこちらへ落ちてきそうになったからだ。
女の子は反射的にドアにしがみついたが、所詮は子供。手はするりと滑った。
「マコちゃん!」
今度こそ落ちるかと思われた刹那、とっさに母親が娘の洋服の裾を引っ張った。だが、女の子の体は完全に宙づりになる。
それを見ていた来場客から、どよめきと悲鳴が次々に巻き起こった。たちまち遊技場は騒然となる。
外へ飛び出した拍子に、女の子の手から離れた赤い風船が、空高く舞い上がった。それを薫が目撃する。
「あの子……」
それを見た途端、居ても立ってもいられなくなった。スマッシャーを放り出し、人垣をかき分けて、観覧車の方へと向かう。
「ちょっとすみません! 通してください!」
そんな薫の様子に、取り残されたアキトは訝ったような表情をした。
「あいつ、何するつもりだ?」
宙づりになった女の子は大声で泣き出した。身体を揺すり、今にも落ちてしまいそうだ。
「ま、マコちゃん! ジッとして!」
母親が悲鳴に近い声を上げた。
今、母親はゴンドラの床に腹這いの格好でおり、かろうじて片手で娘をつかんでいる状態だった。しかし、この体勢から引き上げるのは難しい。それに母親の握力も、つかんでいる洋服の裾の耐久力も、いつ限界を迎えるか。女の子が落ちるのは時間の問題だった。
「早くゴンドラを動かさないと!」
スタッフの一人が焦って、上司に言った。少しでも動かして、落下距離を縮めれば、女の子は大事に至らないかも知れない。
だが、上司は別のケースを想定していた。
「下手に動かして、衝撃を与えたら、女の子は落ちてしまうかも……」
今の状態でさえ、ゴンドラは揺れ続けていた。ここで起動のショックを与えたら、この危ういバランスさえも崩す恐れがある。
「じゃあ、一体どうすれば!?」
やきもきしながら、若いスタッフは決断を迫った。
一方、配電盤の前では懸命の修理作業が行われていた。工具箱を持ち出して修理するスタッフを、寧音<ねね>が後ろから見守っている。
「どうでっか?」
「………」
「直りそうでっか?」
「………」
「直るやろ?」
「………」
「直らんわけがあらへんもんなあ」
「………」
「皆まで言わんでも分っとる。そんなもん、オッチャンの手にかかれば、ちょちょいのちょいやで!」
「うるさい! 後ろでゴチャゴチャ言うな!」
乱暴にペンチを工具箱に放り込みながら、スタッフはまたしても寧音<ねね>を怒鳴った。トラブルを起こした反省をするどころか、作業の邪魔をしているとしか思えない。
寧音<ねね>はぴゅーっと逃げ出すと、外の様子を窺った。
「何や?」
ほとんどの来場客が、ある一定方向を見上げている姿に、寧音<ねね>は懸念を持った。同じようにそちらを見てみる。
「おおおおおおっ!?」
一度、メガネを外し、もう一度、かけ直してから、寧音<ねね>は驚きの声を上げた。観覧車のゴンドラから宙づりになっている幼い女の子。まさしく危機一髪の場面。
「事件や、事件や、大事件や! カメラ、カメラ、カメラーぁ!」
自分が事件の発端だということも忘れ──実にいい性格をしている──、決定的瞬間をカメラに収めようと、寧音<ねね>は更衣室に取って返した。
寧音<ねね>が愛用の一眼レフ・カメラを取り出そうと、自分のロッカーを引っかき回している頃、薫はやっと観覧車の下に辿り着いた。そして、おもむろに低いフェンスを乗り越える。
「お、おい、君!?」
驚いたのはスタッフだ。しかし、薫は観覧車に取りつくと、スタッフの制止を振り切ってよじ登り始めた。
「このまま手をこまねいてばかりいられないでしょ!」
何の打開策も講じられないスタッフに苛立ちを隠せず、薫は強く言い返した。そして、軽々と上へ上へと登っていく。
元々、危ない目に遭っている人を前にして、ジッとしていられる性格ではない。後先のことなど考えていられなかった。とにかく体が先に動く。それに宙づりになっている女の子とは、まったく知らない仲でもない。
(待ってて! 今、助けるから!)
薫は女の子の無事を祈りながら、懸命に登った。
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