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WILD BLOOD

第7話 ともだち以上、コイビト未満

−9−

「お、降りて来なさーい!」
 観覧車の下では、拡声器を持ったスタッフが強張った顔でがなっていた。宙づりになっている女の子はもちろん、薫まで転落してはデパート開業以来の大不祥事である。何とか薫だけでも引き止めたいに違いない。
 だが、薫はそんなことに構っていられなかった。まるでジャングルジムにでも登っているかのように、するすると遅滞なく上を目指す。早く女の子を助けなければ。とにかく薫の頭の中は、そのことで一杯だった。
 実際、女の子をつかんでいる母親の握力は限界に近かった。それでも我が子を助けようと、懸命に力を振り絞る。
「ママー、ママー!」
 女の子は恐怖のあまり泣き叫んだ。手足をジタバタさせる。
「ま、マコちゃん! 動かないで!」
 母親がヒステリックに叫ぶ。だが、女の子は言うことを聞かない。
「やっほー!」
 そこへ、この状況ではひどく場違いなほど、呑気な声がかけられた。薫だ。女の子も、一旦、暴れるのをやめて、そちらに気づく。
「あっ、風船をくれたお姉ちゃん……」
 薫は身を逸らすようにして顔が見えるようにし、女の子に向かってにこやかに手を振った。少しでも女の子を落ち着かせるためだ。
 だが、さすがに命綱なしで高い所へ登り、腕一本で身体を支えるという芸当を見せるのは足を震えさせた。観覧車自体の大きさはそんなでもなくても、デパートの屋上という場所柄、下を覗き込むとかなりの高さがある。いくら高い所が好きな薫でも、さすがに怖さを覚えずにはいられなかった。
 それでも薫は、恐怖を顔に出さないよう努めた。こちらが怖がっていたら、女の子まで怯えさせてしまう。努めて平静を装った。
「今、お姉ちゃんがそっちへ行くから、そこでジッとして待ってて! どう? お姉ちゃんと約束できるかな?」
 薫が声をかけると、女の子はこくんとうなずいた。そして、また泣き出しそうになりながらも懸命に堪え、暴れるのをやめる。
「よし、その調子! すぐそっちへ行くからね!」
 女の子を落ち着けることに成功した薫は、再び観覧車を登り始めた。だが、観覧車の回転軸まで到達すると、そこからが難関になっている。
 回転軸までは、各ゴンドラに通じているアームが中心に向かえば向かうほど狭まっているので、手や足をかけるところに苦労はなかったが、これから先は逆に放射状に伸びている。そのため、女の子が宙づりになっているゴンドラへ辿り着くには、たった一本のアームに頼らなくてはならない。ほぼ垂直に屹立している鉄骨を素手で登るのは、かなりの困難を要すると思われた。
 しかし、ここまで来て弱音を吐くわけにはいかなかった。薫は意を決すると、回転軸からさらに上を目指した。
 遊技場に集った者たちは、皆、固唾を呑んで薫を見守った。先程まで拡声器で怒鳴っていたスタッフも、今はただ無事を祈るのみだ。
 少しずつ、少しずつ、まるで芋虫が這うように、薫は観覧車を登った。手はびっしょりと汗をかいている。屋上に立っているときは気にならなかった風も、今は自分を振り落とそうとする突風のように錯覚する。登っているはずなのに、女の子がいるゴンドラがちっとも近くならない。段々と手足がしびれてきた。歯を食いしばる。だが、力は漏れているかのように抜けた。
「──っ!」
 不意に足が滑った。重力に身体が引っ張られる。
「ああああああああああっ!」
 湧き起こるどよめき。下で見ていた何人かは目をつむった。
 だが、薫は堪えた。必死になってアームにしがみつく。
「おおおおおおおおおおっ!」
 今度は安堵のため息が人々から漏れた。薫の一挙手一投足にハラハラする。
 その頃、寧音<ねね>はようやく更衣室からカメラを持ち出し、外へと飛び出した。そして、即座にカメラを観覧車に向ける。
「ん? 何や?」
 ファインダーを覗くと、宙づりになっている女の子の下に何かが見えた。もう一度、目を凝らす。それが何であるか分かったとき、思わず「ウソやろ?」という言葉が口をついて出た。
「薫はんやないか。どうしてあんなところへ?」
 茫然とした寧音<ねね>だが、そこは生まれついてのジャーナリスト。これはさらなる特ダネになると、喜色満面の笑みを浮かべた。
 そうと決まれば、寧音<ねね>の行動は速い。
「はい、すんまへんなあ、ちょっくら通してもらうで。すんまへん、すんまへん」
 どうせなら近くで撮影しようと、寧音<ねね>は人の迷惑顧みず、群衆をかき分けて進み始めた。
 普段ならば割と簡単にかき分けることも出来ただろうが、今は首から下がウサギの着ぐるみである。動きづらいは、幅は取るはで、なかなか前に進むことが出来なかった。だが、そんなことでへこたれる寧音<ねね>ではない。
「まだ、落ちたらアカンで! 決定的瞬間はウチのもんや! 落ちるんやったら、ウチがシャッターを切るときにしてや!」
 同級生が転落するかも知れないというのに、何とも恐ろしい注文をつける(苦笑)。
 そんな騒然としたデパート屋上へ、何も知らない一人の少年がやって来た。そして、ただならぬ遊技場の雰囲気にギクリとする。その騒動の原因が何であるか目撃し、さらに顔を青ざめさせた。
「か、薫!?」
 やって来たのは、薫を追いかけてきたつかさだった。ゴンドラから宙づりになっている女の子と、観覧車を登っている薫を見て、状況を悟る。
「ど、どうしよう……」
 つかさは思わず悪い想像をして、震えた。女の子も薫も、できることなら両方助けたい。だが、どうすればいいのか、まったく思いつかなかった。
「おい、つかさ!」
 そんなつかさに声がかけられた。知っている声だ。つかさはそちらへ首を巡らせた。
「あ、アキト!」
 見れば、アキトが観覧車下にいる群衆から、一人、離れたところに立っていて、つかさにこちらへ来るよう、大きなジェスチャーで手招きしていた。
「つかさ、手伝え!」
 アキトは切羽詰まった声で呼んだ。
 どうして、ここにアキトがいるのか、そんな疑問さえかなぐり捨てて、つかさはアキトがいるところへ走った。きっとアキトは薫たちを助けようとしているのだ。そして、それを手伝えと言っているに違いない。
 つかさはアキトを信じた。
 一度は転落しそうになった薫だが、何とか踏みとどまって、女の子が宙づりになっているゴンドラを再び目指した。もうすぐ。もう少しだ。
「お、お姉ちゃん……」
 女の子は泣き笑いの顔になっていた。よじ登った薫は、すでに横に並ぶくらいまで達していて、よく顔が見える。
「大丈夫よ。もうちょっとだから」
 薫は励ました。そして笑いかける。
 その刹那、とうとう母親の握力が限界を超えた。するりと手の指の間から、つかんだ裾が逃げていく。
「いやあああああああああっ!」
 母親の絶叫。
 女の子は、一瞬、自分の身に何が起こったのか分かっていないようだった。きょとんとした顔で薫を見る。
「──っ!?」
 落下──
 女の子の小さな手が宙を掻く。
 下にいる野次馬たちは、あっと声を上げかけた。
 だが、さらに驚くべき行動に薫が出た。女の子が落下した瞬間、自ら観覧車のアームを蹴って、跳んだのだ!
 薫は空中で女の子を抱きかかえた。そして、自らの身体をクッションにしようと、体勢を丸める。
 高さ約十五メートル。下は固いコンクリート。薫は目をつむった。
「どけどけどけどけーっ!」
 そのとき、野次馬たちの後方から、ドドドドドッという凄まじい足音が聞こえた。反射的に振り返った客の一人が顔を引きつらせる。
 それはアキトとつかさだった。遊技場にあったトランポリン代わりのエアマットを二人で押し、物凄い勢いで突進してくる。
「おらおらぁ! 轢いちまっても知らねえぞ!」
 アキトは残忍な笑みを見せながら警告した。本当に逃げ遅れたら轢いてしまうつもりなのに違いない。
 つかさはアキトの隣でエアマットを押しながら、どうか無事に逃げてくれと祈った。
 とは言え、エアマットを押しているのはほとんどアキトで、つかさはただ手を添えているだけのような状態だ。さすがは吸血鬼<ヴァンパイア>のパワー。一人で押していたら、あまりにも化け物じみているので、つかさはカモフラージュみたいなものだ。
 突進してくるエアマットに、野次馬たちは慌てて逃げた。群衆が二つに割れる。
 ただ一人、運悪く逃げ遅れた者がいた。言うまでもなく寧音<ねね>だ(苦笑)。
「むぎゅっ!」
 今まさにシャッターチャンスと構えていたところへの急襲。寧音<ねね>はエアマットの下に巻き込まれた(天罰てき面!)。
 だが、そんなことに構っていられなかった。アキトとつかさはさらに力を振り絞り、観覧車の下へとエアマットを押し続けた。
 ガシャッ!
 エアマットは周囲を囲っていた低いフェンスをも薙ぎ倒し、観覧車の支柱に激突。そこへちょうど、女の子を抱えた薫が落下してくる。
 ぼふっ!
 間一髪。厚手のエアマットは墜落の衝撃を完全に吸収し、薫たちを守った。
 一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声がわき起こった。鳴りやまない拍手。駆け寄るスタッフたち。遊技場にいた全員が喜びと安堵に包まれた。
「ふーっ」
 エアマットを押したアキトとつかさは、そのまま身体を倒れ込ませた。そして、互いを見やる。
「やったな」
「ありがとう、アキト」
 二人は笑った。
 茫然とした様子で、女の子を抱えて立ち上がる薫を中心にして、屋上遊技場には熱烈なる輪ができ、膨れ上がった。

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