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ほどなくして、遊技場の電源は復旧した。停止していた観覧車を始めとした乗り物が動き出し、にぎやかな音楽が戻ってくる。
もっとも、その前から観覧車の下では大騒ぎだった。
危険を顧みず、命綱なしで観覧車に登った薫。
そして、機転を利かせてエアマットを運んだアキトとつかさ。
今や、三人はちょっとした英雄扱いだった。遊技場のスタッフと客たちが幾重にも薫たちを囲んでいる。
もっとも、その当事者たちは少し面食らった様子で、ねぎらってくれる人々に生返事を返すだけだったが。
やがて、女の子の母親がゴンドラから降りてくると、その胸へ飛び込んでくる娘を抱き留めた。
「ママー!」
「マコちゃん……ああ、マコちゃん……!」
母親の顔はすっかり憔悴しきっていたが、愛娘の無事な姿に心から安堵し、涙をとめどなく流した。
それを見ていた薫が、満足そうに微笑む。
「良かったわ、ホントに」
「良くないよ」
すぐに否定されて、薫は振り返った。見れば、こちらも泣きそうな顔をしているつかさが、薫を睨んでいた。
「つかさ……」
「心配したんだよ! ケガしたらどうしようって! ううん、ケガだけじゃすまなかったかも知れないんだよ! それを……あんなムチャして……」
「ご、ごめん……」
薫は素直に謝った。つかさがどれだけ心配してくれたのか、その顔を見れば分かる。つい、後先考えずに行動してしまったが、つかさの言うように、かなり無謀な行動だったと反省した。今になって、恐怖が込み上げてくる。
「まあ、いいじゃねえかよ。無事だったんだしさ」
つかさの後ろから、アキトがポンポンと軽く頭を叩いて、取りなすように言った。つかさは小さくうなずくと、グイッと涙を拭う。
そんな三人のところへ、娘を連れた母親がやって来た。
「本当にありがとうございました。皆さんには、何とお礼を言っていいのやら……」
母親はすっかり恐縮して、何度も頭を下げた。
「いやあ、私たちは……」
こうまで感謝されてしまうと、薫たちの方がこそばゆい感じがした。特にアキトは他人に迷惑をかけることはあっても、礼を言われるなんてことはほとんどない。そっぽを向いているアキトの脇腹を、つかさは肘で小突いた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
落下のショックもケロッとしたもので、女の子は無邪気に礼を言った。薫はかがんで、女の子の頭を撫でてやる。
「そう言えば、風船、飛んでっちゃったね。──そうだ、お姉ちゃん、コアラのぬいぐるみがあるんだよ。代わりに持って帰らない?」
「ホント? やったーぁ! ──ママ、もらってもいい?」
娘に乞われ、母親はうなずいた。薫もホッとする。これであの邪魔なコアラのぬいぐるみを持ち帰らないで済む(おいおい)。
そんな喧騒から離れて、遊技場のスタッフたちがエアマットを片づけようとしていると、突然、その下から、ピンク色の着ぐるみがむくりと起き上がった。言うまでもなく、下敷きにされた寧音<ねね>だ。
「に、に、逃がさへんで」
寧音<ねね>の目は完全に据わり、よたよたと人垣をかき分けた。
それにいち早く気づいたのはアキトだ。
「ヤベえ! あのメガネ、生きていやがった!」
どうやら寧音<ねね>を轢いたのは確信犯だったらしい(苦笑)。
「後は任せた! じゃあな、つかさ!」
アキトはそう言うと、身を翻して、その場から逃げ去ろうとした。
もちろん、それを許す寧音<ねね>ではない。すぐに追いかけようとした。
「今日という今日は、ウチの取材を受けてもらうで!」
寧音<ねね>はカメラを構えて、シャッターを押そうとした。だが、その瞬間、何者かに両腕を押さえられる。
「どこへ行こうと言うのかね?」
それは寧音<ねね>に仕事を与えた、遊技場のスタッフだった。表情こそ、客の手前、にこやかに振る舞ってはいるものの、こめかみは青い血管を浮かび上がらせ、ピクピクと痙攣している。
「あ」
寧音<ねね>の額からは冷や汗が垂れた。
「まだ、キミから事故のときの詳しい説明を受けていないんだが?」
「なは、なははははは……」
「是非とも、じっっっっっっっっっっっくりと聞かせてもらいたいものだな、バイト君」
そう言うスタッフの口許は引きつっている。それは寧音<ねね>も一緒だった。
「いや……その……あれは偶然に偶然が重なった不可抗力っちゅうもんで……」
「連行!」
バッ!
寧音<ねね>は両脇をそれぞれのスタッフに固められ、後ろ向きのまま、ずりずりと引きずられて行った。
寧音<ねね>は両足をバタバタさせる。
「堪忍や、堪忍や! ウチはなんも悪ぅなーい! あれはただの事故やねん! ──薫はん、ただ見とらんと、助けてえな!」
しかし、誰一人、寧音<ねね>を助けようとする者はおらず、そのままスタッフルームへと連行された。
その後、寧音<ねね>への責任追及は苛烈を極めたという……。ああ、無情。
「わあっ、きれい!」
外の景色を眺めた薫がはしゃいだ声を上げたので、つかさは思わず苦笑してしまった。
あの騒動から二時間後。すっかり夕闇が迫り、灯される街のネオンが鮮やかに浮かんで見える頃。二人は遊技場スタッフから感謝の印ということで、無料で乗せてもらった観覧車のゴンドラの中にいた。
先程、同じような高さから落下したにも関わらず、まだこうして観覧車からの眺望を楽しめるのだから、薫も大したものである。その楽しげな表情に、つかさはまるで子供みたいだと思った。もちろん、そんなことを口にしたら、ただでは済まないだろうが。
「薫、ホント、この場所が好きだよね」
つかさはほんの少しだけ揶揄するような口調で言った。
「まあね。子供の頃から、よくここへは来たから」
窓の景色から目を離さず、薫は答える。
「中学の頃、クラスの何人かとここへ来たときも、薫はこの観覧車に乗ろうと言い出したっけ」
つかさは懐かしそうに振り返った。
薫はようやく景色からつかさへ視線を戻す。
「ああ、あった、あった。ダブルデートっていうか、トリプルデートだっけ?」
「そうしたら、みんな、子供っぽいからイヤだって言って、ボクだけ強引に連れ込まれたんだよね。でも、あのときも薫はここから楽しそうに外を眺めていた。だから、そのとき、思ったんだ。薫が好きな場所はここなんだろうなって」
つかさは苦笑するように話した。
「それで私を追って、ここへ来たのね?」
薫が納得したように言った。道理でタイミングが良かったわけだ。
「うん」
つかさはうなずいて見せた。
「でも、それにしちゃ、駆けつけるのが遅かったんじゃない?」
わざと意地悪するように流し目を送り、薫はつかさを見た。つかさは少し顔を赤らめる。
「ああ、それがさ、薫を追いかけようとしたら、またさっきのスカウトの人に捕まっちゃって……」
「ええーっ!?」
一度ならず二度までも。どうしてつかさは男のくせに、こうまでどんくさいのだろうと薫は思ってしまう。
しかし、つかさはすぐ、かぶりを振った。
「でも、今度はちゃんと説明したんだよ。ボクは男ですって。芸能界にも興味ありませんって。相手はビックリしてたけど、何とか分かってくれたみたい。だがら、ちょっと遅れちゃったんだ」
「ふーん」
二週間ほど前に転校してきたアキトの影響なのか、少しはつかさも男として成長しているようだと、薫は認めた。今までは頼りない弟のように思っていたが、今日、助けてくれたのもつかさだ。こうして、いつかは一人前の男になっていくのだろうか。ちょっと今は想像できないが、それが楽しみでもあり、淋しくもある。薫の想いは複雑だった。
帰りの電車、二人は幸運にも座席に座ることが出来た。
座った途端、つかさは疲れが出たのか、居眠りを始めた。薫の肩に頭をもたれてくる。いつもなら、「重いでしょ!」と跳ね返してやるのだが、今日はつかさに助けてもらったこともあるし、薫はそのまま寝かせてやることにした。
とにかく今日は、薫にとってもつかさにとっても大変な一日だった。一歩間違えれば、こうして五体満足に帰ることもできなかっただろう。
ひょっとすると、ミサのタロット占いは、このことを告げようとしていたのかも知れない。結局、その占いの内容を聞くことは出来なかったが、とりあえず無事に一日を終われて、ホッとする薫であった。
そんなことを考えているうちに、そろそろ降りる駅が近づいてきた。薫は起こそうかと思い、隣のつかさをふと見た。
さっきは、少しばかり男らしくなったかと思ったが、つかさの寝顔を盗み見ると、可愛らしい女顔のせいもあって、まだまだあどけない。この分では、つかさが一人前の男になるのは、まだまだ先のようだ。
「まったく、子供なんだから」
薫はいたずら心を起こして、つかさのぷにぷにした頬を指先でつついた。
「う、うーん……」
つかさは呻いた。それでも起きない。
「ふふふふ」
薫は面白がって、さらに鼻をつまんだりして、つかさの顔で遊んだ。
そのとき──
キキキキキキキキキキィ!
耳障りなブレーキ音と強烈な反動が薫を襲った。つかさの顔に自分の顔がぶつかりそうになり、目をつむる。
「──!」
唇に柔らかく暖かな感触。
薫は慌てて、つかさから離れた。
「ふに?」
突然の衝撃に目を覚ましたのか、つかさは眠そうな顔で起きた。そして、無意識に手の甲で口許をこする。
それを見た薫は、バッと顔を赤らめた。同じように唇に手をやる。
「ふにゃ?」
つかさはまだ寝ぼけている。何が起きたのか分かっていないようだった。
そこへ、
「失礼致しました。停止線を越えてしまいましたので、急ブレーキをかけました。ご乗車の皆様には、お詫び申し上げます」
と、ちっとも悪びれていないアナウンスが流れ、電車は少しばかりバックした。そして、ドアが開く。
「着いた?」
つかさはあくびを噛み殺しながら、周囲を見回して、薫に尋ねた。
その薫といえば、顔を紅潮させ、体を震わせている。
「薫?」
つかさは怪訝そうに尋ねた。
「お、お、降りるわよ!」
薫は言い放つようにして、足早に電車を降りていった。その様子に、つかさは呆気に取られる。
「?」
だが、いつまでもそうしてはいられなかった。乗り込んでくる客を避けながら、つかさは薫の後を追うように下車した。
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