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神隠し。
昔、山里で子供たちが行方不明になると、天狗や山の神の仕業とされ、そう呼ばれてきた。そして、人間の世界とは違う異界へ連れ去られてしまうのだという。こういった伝承は、日本の各地に数多く残されている。
神隠しに遭った子供は、そのまま戻ってこなかった場合が多いが、中には無事に帰ってきた者もいた。あるときは行方不明になった場所からはるかに離れたところに、あるときは滅多に人が足を踏み入れないような山奥で、あるときはいつの間にか元の場所に何事もなかったかのように。そして、その証言も様々だ。天狗と山の中で生活したという者もいれば、神隠しに遭っていた間の記憶がすっかりなくなっている者もいる。どうして神隠しに遭うのか、その原因や理由はまったく謎とされてきた。
だが、今は天狗のような人間を超越するような存在はいないと断じられ、神隠しも悪人によるかどわかしによるものだった、というのが大方の見解だ。実際、血の通った人間が身の毛もよだつような行為に手を染めることは、周知の事実である。それを昔の人々は、超常現象のせいだと自らを納得させるため、神隠しという作り話をしたのだというのが、現在の定説となっているようだ。
しかし、本当にそうなのだろうか。本当にすべての神隠しは悪意ある人間の仕業なのか。
とはいえ、この現代に、それも多くの人々が生活する住宅街の真ん中で、神隠しの言い伝えがあるとは。
薫と晶は、菅谷の言葉を聞いても、すぐに鵜呑みにはできなかった。
「まさか、こんなところで?」
「出た! 得意のホラ話だろ? 人を騙すんなら、もうちょっとマシな作り話をしたらどう?」
最初からウソだと決めつけて、二人はまったく相手にしない。
一方で──
「ええ〜、神隠し〜ぃ? ありす、こわ〜い!」
と、ありすが両拳を口許で握りしめながら、いやいやと身体をくねらせば、その横でつかさは引きつった顔で怖じ気づくという、対照的な反応を見せていた。
そんなありすの肩を晶は叩いた。
「そんなの信じんなって! こんなところで神隠しだなんて。誘拐事件が多いとか言われた方が、もっと現実味があるってもんさ。──おい、武藤。アンタもびびってんじゃないよ。男だろ?」
ありすを励ましつつ、晶はつかさを侮蔑したように見た。よそのクラスなので、噂くらいしか聞かないが、実際に見かけどころか態度や性格も女っぽいつかさを見ていると、何だか晶の方がイライラしてくる。
「う、うん」
逆に男っぽい晶に気圧されながら、つかさは平静を装うとした。
高校生四人を相手にする菅谷も苦労していた。これが小学生相手だったら、もうちょっと話を信じてくれただろうに。菅谷は頭をぼりぼり掻いた。
「そんな、オレが君たちを騙して、何の得があるって言うんだい? オレは情報を元に話しているんだぜ。この坂時町ってところは、明治の頃までちょっとした森が残っていてね、昔から神隠しに遭った人がいっぱいいたそうだよ。ちゃんと文献にも載っているんだから。──で、今はこうして拓かれているわけだけど、実は最近、近所のイヌやネコなどのペットが姿を消しているんだ」
「イヌやネコ!?」
真顔で話す菅谷に、薫と晶は吹き出しそうになった。
「まさか、それが神隠し?」
「あー、バカバカしい。付き合ってらんないよ」
二人の女子高生にバカにされ、菅谷は顔を真っ赤にした。
「オレは真面目に話しているんだぞ!」
「だって、イヌとネコでしょ?」
「どうせ、ペット泥棒の仕業だよ」
「神隠しだなんて、大袈裟な」
「まったく、何を取材しているかと思えば、そんなくだらないことだとは」
二人の言いぐさに、菅谷は大人しく引っ込んでいられなかった。
「くだらないだって? 君たちは知らないんだ! 散歩に連れてきたイヌが、ちょっと目を離した隙に消えたり、夜中、たむろしていたネコたちが、ある晩、一斉に姿を消していたり、とてもただのペット泥棒の仕業とは思えないようなことが頻発しているんだぞ! こんなの、神隠し以外で何が考えられる!? そりゃあ、オレだって天狗がさらっていったとは言わないさ。でも、神隠しとは何かの拍子で異次元へ迷い込んでしまう現象のことだったら? この公園のどこかに、異世界への入口があったとしたら? そのうちイヌやネコだけでなく、人間が犠牲者になるかも知れないんだぞ!」
菅谷は一気にまくし立てた。さすがの薫と晶もからかっていられなくなる。
「じゃあ、ねねちゃんも──もごっ!」
不安そうな顔で呟きそうになったアリスの口を、今度は薫と晶の二人がかりで塞いだ。菅谷の話を聞いて、ありすばかりでなく、薫たちもその考えがちらついたところである。もし、菅谷に知られたら、どんな突っ込んだ取材をされるか分かったものじゃない。
三人の様子がおかしいのを不審に思った菅谷だったが、そこで携帯電話の着信音が鳴った。
「はい、菅谷です。──あっ、デスク。──はい。──はい。分かりました。今から社に戻ります」
菅谷は電話を切ると、薫たちに向き直った。
「それじゃあ、オレは社に戻る。君たちも妙なことにならないうちに帰った方がいいと思うよ」
そう言い残して、菅谷は去っていった。
その場に残された四人は、まるで申し合わせたように顔を見合わせた。
「どう思う? 今の話」
晶が口火を切った。
「やっぱり、ねねちゃん、神隠しさんに遭っちゃったのかな〜ぁ」
ありすがぽつりと言った。
「ま、まさか。そんなことあるわけ……」
否定しようとした晶だが、思わず言い淀む。
四人の間に沈黙が降りた。
───
「不吉だわ」
「うぎゃああああああっ!」
いきなり、背後でぼそりとした呟きが聞かれ、四人は跳び上がらんばかりに驚いた。
そこにいたのは無表情な美少女。
「黒井──」
「ミサちゃん?」
晶、ありすと同じ一年C組のクラスメイト、黒井ミサは、驚かせたのを悪びれもせず、あたかも最初からそこにいたかのように立っていた。
「今の人が話していたように、この公園の空間は少し歪んでいるみたいだわ」
ミサは公園の上空を見上げるように言った。見ただけで、そんなことが分かるのか。いや、彼女は人の運命を言い当てる魔女。不思議な力を持ち合わせていても当然かもしれない。
そんなミサに晶が指を差す。
「アンタ、一体、いつからいたんだ?」
しかし、ミサはそれに答えず、おもむろに右手に持っていたものを差し出した。
「あっ」
それは──
「ねねちゃんの──」
メガネだった。
晶はミサからメガネを受け取って、つぶさに調べてみた。
「うん、寧音<ねね>のだ。間違いない」
晶が認める。
「どこにあったの?」
薫がミサに尋ねた。
「そこのベンチの下」
ミサの答えは、常に無味乾燥だ。
「寧音<ねね>って、メガネがないと、ほとんど見えないんじゃなかったっけ?」
晶が言うと、ありすがコクンコクンとうなずいて見せた。
「じゃあ、寧音<ねね>はやっぱり……」
心配を口にしかけて、薫は途中でやめた。
神隠し。天狗の仕業であろうと、異次元に迷い込んだのであろうと、普通なら信じがたいことだ。それを認めたくない気持ちがある。
もし、寧音<ねね>が神隠しに遭ったのなら、どうやって助けたらいいのか。
生暖かい風が吹いてきて、つかさたちの頭上の枝葉をざわざわと揺らした。
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