←前頁]  [RED文庫]  [「WILD BLOOD」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



WILD BLOOD

第8話 ひとりぼっちの神隠し

−6−

 とおりゃんせ とおりゃんせ
 ここはどこの細道じゃ
 天神様の細道じゃ
 ちょっと通してくだしゃんせ
 御用のないもの通しゃせぬ
 この子の七つのお祝いに
 お札を納めに参ります
 行きはよいよい 帰りはこわい
 こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ


 アヤネは寧音<ねね>の手を引きながら、一人で童歌を歌っていた。
 寧音<ねね>はメガネがないので、アヤネに手を引かれるがままに歩いている。だが、アヤネはただ歩いているようにしか思えず、歌が終わったところで口を開いた。
「なあ、ちゃんとメガネ探してくれとるんやろな?」
「うん」
 アヤネは歩きながら即答した。
「そうかぁ。それならええんやけども……」
 釈然としないものを感じつつ、寧音<ねね>はアヤネの言葉を信じた。というか、今、寧音<ねね>が頼れるのは、この幼い少女しかいない。
 それにしても、どれくらいの時間を歩いたのか。寧音<ねね>の足はすでに棒のようになり、疲れがピークに達していた。アヤネの歩調に合わせて、ゆっくり歩いているというのもあるが、それ以上にかなりの距離を歩いたような気がする。また、腹の虫もグーグー鳴っていた。
 しかし、寧音<ねね>のぼやけた視界は、この児童公園を訪れたときと変わらぬ明るさの夕暮れで、そんなに時間が経過したようには思えなかった。何だか感覚のズレがある。それとも麻痺しているのか。
「ちょっと休憩しよか」
 たまらず寧音<ねね>はタイムを入れた。そして、アヤネに誘導してもらいながら、近くのベンチに腰掛ける。
「よっこらせっと」
 年寄り臭い掛け声をして、寧音<ねね>は一息ついた。そして、ポケットから財布を取り出す。
「喉乾いたやろ? その辺の自動販売機で何か買うてき。おごってやるさかい。ウチは冷たい紅茶がええな。レモンティーやのうて、ストレートな」
「うん、分かった」
 アヤネは五百円玉を受け取ると、一人で缶ジュースを買いに走った。
 寧音<ねね>はアヤネがいなくなったのを見計らってから、携帯電話を手にした。
 どうもメガネ探しを年端もいかないアヤネに頼むのは心許ない。ここは恥を忍んで、晶かありすに来てもらった方がよさそうだ。暗くなってからでは、余計にメガネを見つけられなくなってしまう恐れがある。
 寧音<ねね>は目が見えないので、記憶だけで携帯電話を操作した。だが──
「……電波が届かへんのか?」
 携帯電話はうんともすんとも言わなかった。こんな住宅街の真ん中で、そんなことが有り得ようか。
「何かおかしいなあ」
 寧音<ねね>は首をひねった。
 真下に落としたはずなのになくなってしまったメガネ、麻痺した時間感覚、つながらない携帯電話。ここへ来てからというもの、すべてがおかしい。それに──
 辺りが静かすぎた。あんなに鳴いていた蜩<ひぐらし>はどこへ行ってしまったのか。いや、それどころか、いくら耳を澄ましても、近くを車一台通った気配すらないし、近所に住む人々の声も皆無だ。まるで、この公園が隔絶されたかのように感じられた。
「………」
 黙っていると、余計に不安が襲ってくる。ベンチに座りながら、一人そわそわした。
 アヤネはどこまで買いに行ったのだろう。寧音<ねね>は、ふと心配になった。
 いや、心配になったのは自分のことの方かも知れない。このままアヤネが戻ってこなかったら。そんな考えに襲われ、寧音<ねね>はアヤネを呼び戻そうと立ち上がった。
 その刹那──
「ひゃっ!」
 突然、手に冷たい感触が当たり、寧音<ねね>は悲鳴を上げた。驚いた拍子に腰を抜かし、ストンとベンチに座る格好になる。
「お姉ちゃん、買って来たよ。はい、午後ティー」
 それはアヤネだった。寧音<ねね>の手に冷えたアルミ缶を押し当てただけだったのだ。
「あ、あ、ありがとさん」
 驚いたやら、恥ずかしいやらで、どぎまぎしながら、寧音<ねね>は礼を言いつつ、アヤネから午後の紅茶ストレート・ティーを受け取った。いつもなら、買ってきてもらった品物よりも先に釣り銭を要求する寧音<ねね>だが、それを一言も口にしなかったところを見ると、かなり動揺しているらしい。
 アルミ缶は痛さを覚えそうなくらいキンキンに冷えていた。とにかく喉の乾きを潤そうと、寧音<ねね>はプルタブを引き、そして、一気に流し込んだ。
「んぐんぐんぐ……」
 アヤネはそんな寧音<ねね>の隣にちょこんと座った。そして、まるで真似でもするかのように、買ってきたオレンジジュースをグイッと飲み始める。
「はあ〜っ、生き返ったわ〜ぁ!」
 先に飲み干した寧音<ねね>が大きく息をついた。そのリアクションは決してオーバーなものではなく、心底からのものだ。まるで何十時間かぶりに水分補給をしたような気がする。それくらい喉がカラカラだったのだ。
 ところが、飲み終えてホッとした途端、寧音<ねね>は突然、眠くなった。自然に瞼が降りてくる。イカンイカンと頭を振ってみるが、すでに思考は鈍く、身体も意志に反して動かない。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
 隣のアヤネが尋ねてくる。
「いや、ちょっとな……」
 答えようとした寧音<ねね>だが、それきり続きを言えなくなってしまい、とうとう猛烈な睡魔がすべてを奪ってしまった。寧音<ねね>は、こてん、とアヤネの方に倒れ込む。
 アヤネは寧音<ねね>を膝枕する形で、その頭を優しく撫でた。そして、まるで母親であるかのように微笑む。
「お姉ちゃん、おねむになっちゃったの? いいよ、アヤネがずっとそばにいてあげるから。ずっと、ずっとそばにいるから。だから目が覚めたら、アヤネと一緒に遊んでね。いっぱい、いっぱい遊んでね。約束だよ、お姉ちゃん。約束だからね。ふふふふふ……」
 アヤネは寧音<ねね>の小指に自分の小指を絡ませて歌い始めた。
「指切りげんまん、ウソついたら針千本呑〜ます♪ 指切った♪」
 歌い終わりにアヤネが小指を外すと、寧音<ねね>の腕は力なく垂れ下がった。

<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「WILD BLOOD」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→