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不意を突かれた格好になったアキトだが、かろうじて相手の攻撃を避けることが出来た。
耳元で唸る拳の音。それだけで敵の実力が分かった。
「やるな」
キツネのお面などというふざけたものをつけているが、今のパンチを見る限り、かなりの使い手に違いない。アキトは気を引き締めた。
続けて、相手は仕掛けてきた。間断のない、鋭い攻撃。あまりのスピードに、常人にはパンチが幾重にも見えたことだろう。
しかし、アキトの動体視力もまた並ではない。キツネ面が繰り出す拳を見切り、的確にさばいた。
パシッ!
アキトの右手がキツネ面の右腕をつかまえた。そして、自分の方へ引き込むようにし、体を反転させる。相手は流れるような動きに抗うことは出来ない。アキトはキツネ面の男背負うようにして、力の限り投げ飛ばした。
宙を舞うキツネ面の男の身体。
そのまま地面──といっても、ここは灰色の世界で、上下の感覚などないのだが──に叩きつけられると思いきや、キツネ面の男は身をひねるようにして華麗に着地してみせた。ネコ科の俊敏な動物を思わせるしなやかな動きに、さすがのアキトも言葉を失う。
キツネ面の男は、ゆっくりと振り返った。再び対峙する両者。
アキトは目の前のキツネ面の男を見ているうちに、不思議な錯覚に陥った。
どこかで見覚えがある構え方。キツネのお面さえ除けば、琳昭館高校の制服を着ているせいもあってか、まるで鏡に映っている自分を見ているかのようだ。
そう言えば、キツネ面の脇からはみ出している髪は、虎縞のように黒と茶がまだらに混ざっている。
アキトは舌打ちした。
「チッ、オレかよ」
アヤネがアキトの相手として用意したのは、アキト自身だった。
二人のアキトが戦えば、一体どうなるのか。力も技も互角なら、おそらく思考も同じに違いない。となれば、おそらくは決着をつけることなど不可能だろう。
アヤネの目的は、遊び相手を得ることだ。それも永遠に遊んでくれる相手。だから、アキトにアキトをぶつけて、いつまでも着かぬ決着を目論んでいるのだ。
「そういうことかよ。考えたな」
「………」
キツネ面のアキトは、本人に反して無口だった。アヤネのように舌足らずな言葉を吐くこともしない。無言のまま、アキトへの間合いを詰めようとにじり寄る。
このキツネ面のアキトは、アヤネが姿を変えたものなのだろうか。何しろ、アヤネには公園そのものを再現させる力があるのだ。そんなことは造作もないだろう。
果たして、自分を相手にどこまでやれるか。ピンチかもしれないというのに、アキトはこの状況を楽しんでいた。こんな対決は絶対に普通では有り得ない。そう思うと、面白さの方が先に立った。
久しぶりに全力を出して、暴れられそうだと思うと、嬉しくて堪らないアキトだった。
「さあ、来な!」
アキトは手招きした。するとキツネ面の男は、待ちかねたように、猛然と突っ込んでくる。
キツネ面の男は、三メートルほど手前で前転するように上半身を振った。弾性のある痩躯が反転し、開脚した足先がアキトの脳天を襲う。それをアキトは身を逸らすだけで避けた。そして、着地したキツネ面と至近で打ち合う。
「はあああっ!」
今度はキツネ面の男が防御する番だった。アキトのラッシュを、ひたすら耐え凌ぐ。
それは完璧なガードと言えた。アキトのパンチは一発もクリーンヒットしない。すべて阻まれた。
やはり、自分の手の内は向こうにもバレているのか。
キツネ面はガードをしながら、そのまま体ごとぶつけてきた。アキトの攻撃が緩む。そこを向こうは突いてきた。
ガッ!
アキトは両肩を強くつかまれた。これではパンチを繰り出しようがない。そこへキツネ面の男の頭突き。ちょうど鼻の付け根の弱いところだ。
「ぐわっ!」
さすがのアキトもこれには堪らずよろめいた。慌てて、キツネ面から離れようとする。
だが、相手はアキトを逃がしはしなかった。肩はガッチリと押さえ込まれたまま。今度はアキトを引き寄せるようにして、鳩尾へ膝蹴りを浴びせた。
「ぐっ!」
くの字に身体を折るアキト。息が詰まり、胃の中の物を戻しそうになった。
それでもキツネ面の攻めは続く。すっかり抵抗が弱くなったアキトへ、二発目の頭突き。アキトは脳震盪を起こして、全身の力が抜けた。
その場にくずおれ、ぐったりとしたアキトをキツネ面の男は見下ろした。
「もう終わり?」
アヤネの声が嘲るように響く。それはキツネ面の男が発したものではなく、位置の特定が難しいものだった。
「もっと遊んでよ。ねえ、お兄ちゃん」
キツネ面の男は、倒れたアキトを容赦なく蹴った。二度、三度、四度……。気を失いかけていたアキトは、キツネ面が加える虐待によって、意識を呼び戻された。
「こ、こ、この野郎……」
身体を丸めるようにして耐えながら、アキトは怨嗟の言葉を漏らした。そして、唇に伝ってくる鼻血を舌で舐め取る。
その瞬間、アキトの眼がカッと見開かれた。全身の筋肉と血管が脈打ち、乱杭歯が剥き出しにされる。
なおもキツネ面は蹴りを喰らわせようとしてきた。が、その足はアキトの手によって、いとも簡単に止められる。それどころか、そのまま押し返された。
自らの血によって吸血鬼<ヴァンパイア>の力を解放させたアキトは、ゆっくりと立ち上がった。その全身には、これまでにはなかった殺気と邪気が満ち満ちている。それを感じたのか、キツネ面の男はわずかに後ずさった。
「よくもやってくれたな。この礼は百倍にして返してやるぜ!」
アキトは邪悪な笑みを見せた。瞳孔が猫の目のように細まり、金色に変化する。
「まさか──吸血鬼<ヴァンパイア>なの?」
アキトが人間ではないと見破っていたのは間違いないが、よもや吸血鬼<ヴァンパイア>だったとは、さすがのアヤネも予想していなかったようだ。それに気づいたときはもう遅い。アキトはキツネ面の男に躍りかかっていた。
そのスピードもパワーも、今までの比ではない。それはアヤネの見立て違いでもあった。同等の力を与えたはずのキツネ面の男は、アキトの動きに反応できず、あっさりと押し倒された。
今のアキトの前では、アヤネが創り上げたキツネ面のアキトに為す術はない。実力が違いすぎた。
馬乗りになったアキトは、その残虐性に火がついたかのように、キツネ面の男の喉を絞めにかかった。
キツネ面の男は苦鳴を漏らすことはなかったが、それでももがくように暴れ、アキトの手を引き離そうとする。だが、アキトの手は外れない。爪が皮膚に食い込んだ。
アキトは首を絞めるというよりも、むしろ引きちぎろうとしているかのようだった。吸血鬼<ヴァンパイア>が持つ殺戮の衝動がアキトを突き動かす。
キツネ面の男は自らの仮面を外した。果たして、どんな顔をしているのか。やはりアキトと同じなのか。ふと興味を覚えた刹那、キツネのお面はアキトの顔に向かってかぶせられた。それはピタリとアキトに吸いつく。
「何ィ!?」
お面は覗き穴もなく、アキトの視界は閉ざされた。おまけに呼吸さえも妨げるのか、空気がまったく吸えず息苦しい。アキトはお面を外そうとしたが、まるで接着剤でもついているかのように剥がれなかった。
アキトがお面と格闘しているうちに、のしかかられていた男はうまく逃げおおせた。アキトは慌てて捕まえようとするが、目も見えぬのでは無理な話だ。
「くそっ! どこへ行った!」
アキトは悔しそうに喚いた。おまけに、お面は一向に取れそうもない。
そんなアキトの周囲に複数の気配が現れた。アキトは視界を奪われたまま、警戒して構える。気配はアキトの周りを回り始めた。
すると、またどこからともなくアヤネの声が聞こえてきた。今度は歌声だ。
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いつ いつ 出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面 だあれ
それは童歌。その歌声は物悲しく、何人の心を締めつける。
唄い終わった刹那、アキトの背後で凄まじい殺気が膨らんだ。
「──!」
アキトは振り向きざまに、拳を振るった。
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