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WILD BLOOD

第8話 ひとりぼっちの神隠し

−13−

「どひーっ! うひゃーっ! もう堪忍してーな!」
 アキトの腕の中で、寧音<ねね>は悲鳴を上げ続けた。何しろ、襲い来るアヤネの魔の手から、アキトはアクロバットのように飛んだり跳ねたりして、逃げ回っているのである。それはあたかもシートベルトをしないで絶叫マシンに乗っているような感覚だった。
 おまけに、寧音<ねね>はメガネがないせいで、何がどうなっているのかまったく分からず、アキトの動きを事前に予想できない。従って、いつ地面に激突するかとハラハラし、恐怖心を倍増させた。
 もっとも、目が見えないお陰で、彼女に襲いかかろうとしている、この世のものとは思えない恐ろしい化け物の姿も知らないで済んでいるのだが。
 一方、災難なのはアキトである。
「ああー、うっせーぞ、お前! ギャーギャー騒ぐな!」
 喚き続ける寧音<ねね>に対し、アキトは大声で制した。これでもアヤネの攻撃を回避しながら、異界の出口を探そうと、超感覚を研ぎ澄ましているところだ。その集中力を寧音<ねね>によって、完全に奪われてしまっている。
 だが、状況を把握できていない今の寧音<ねね>に、それを分かれというのは無理だ。寧音<ねね>はなおも喚き散らす。
「だったら、今すぐ降ろさんかい! だいたい、何のつもりで──えぐっ!」
 いきなりセリフが途絶えた。どうやら、着地の衝撃で舌を噛んだらしい。寧音<ねね>は痛そうに涙を流している。だから言わないこっちゃない。
 その隙に、アキトは異界の出口を探した。本当はここへ最初に辿り着いた場所こそがそうなのだが、公園の風景は消え、灰色一色の空間ではもうどこだか分からなくなってしまっている。おまけにアヤネの執拗なる攻撃だ。
「イヤよ! イヤ、イヤ! 帰っちゃ、イヤァァァァァァァァァァッ!」
 黒い不定形の物体と化したアヤネは、灰色の空間を圧するような大きさにまで膨れ上がり、アキトたちを呑み込もうとしていた。もう逃げ続けるのにも限界がある。さすがのアキトも焦りを禁じ得なかった。
 だが、そのとき──
“兄貴!”
 聞き覚えのある声がアキトの耳に届いた。アキトは声が聞こえた方向に顔を向ける。
「美夜か!?」
 それはアキトの妹、美夜の声だった。
 吸血鬼<ヴァンパイア>同士では、ある程度の距離であればテレパシーが通じる。次元が違うのに、ここまでハッキリと聞こえるということは、二つの世界をつなげる穴が近いという証明でもあった。
「どこだ、美夜!?」
 アキトは妹にテレパシーを飛ばした。
“こっちだよ、バカ兄貴! まったく、帰り道も分からなくなっちゃったの? 妹に手間かけさせないでよね!”
 普段からアキトを兄として尊敬していないのか、美夜のテレパシーは呆れ返っていた。だが、これでようやく出口の位置をつかむ。
「クソッ! 兄貴をバカ呼ばわりしやがって! 帰ったらただじゃすまないぞ!」
 アキトは妹へのおしおきを決めつつ、出口へと方向を転じた。
 そうはさせじと、アヤネが行く手を塞ぐ。
「行っちゃ、イヤァァァァァァァァァァッ!」
 黒い壁が上から降りてきた。アヤネだ。ここを死守されたら、万事休すである。
 アキトは寧音<ねね>を小脇にかかえると、右手でズボンのポケットを探った。一か八かの賭け。
 同時にアキトはジャンプし、前を塞ごうとする壁に向かって、ポケットの中の物を叩きつけた。その刹那、アヤネの動きが止まる。
 ニヤッ、とアキト。
「これが本当の切り札──なんてな」
 黒い壁に貼られた一枚の紙──それはミサが持っていた呪符だった。ありすの手から奪い取ったとき、クシャクシャに丸めたのだが、その辺に投げ捨てるとまた使用されかねないので、ポケットの中に突っ込んでおいたのである。まさか、それが役立とうとは。
 呪符の効果は強力で、アヤネの時間だけ止まってしまったかのようだった。
 着地したアキトは、行く手を塞ぎかけていた黒い壁を見上げた。
「あばよ、ひとりぼっちの化け物。もう淋しさなんて感じねえだろ。あとは夢の中で遊んでな」
 アキトはそう言い残すと、寧音<ねね>を抱え直して、壁の下をくぐり抜ける。
 そこが出口だった。



「出てきてわ」
 おもむろにミサが呟いた。
 すると、つかさたちの目の前に、突然、アキトと寧音<ねね>が現れた。
 オカルトめいた現象に驚きつつも、ミサと美夜以外の全員が諸手をあげて二人へ駆け寄っていく。
「アキト!」
「寧音<ねね>!」
 二人の無事な様子に、つかさたちは喜んだ。寧音<ねね>には、彼女の安否を心配していたクラスメイトの晶とありすが抱きつく。
「もう、このバカ! 心配させやがって!」
「良かったぁ、ねねちゃん、帰ってきて!」
 二人は涙をこぼしそうになるほど、安堵の表情を浮かべていた。
 だが、寧音<ねね>一人だけ事情を把握していない。
「は? 何がや?」
 晶からメガネを返してもらいながら、寧音<ねね>はキョトンとした顔をしていた。
「だから、お前はさあ、神隠しに遭ってて──」
 晶が説明してやろうとすると、寧音<ねね>はいきなり吹き出した。
「神隠し? 晶はん、何を藪から棒に言い出すねん。そんなもん、迷信や、迷信。そんなん、科学的にあるはずないやないか」
「だって、お前は今まで──」
「今まで? そやそや! それが聞いてえなあ! このメガネなくしてしもうて、難儀しておったんや! ここの近所の女の子にも探してもろうたんやけどな、これが見つからへんねん。そのうち、何か眠とうなって、ベンチに寝てたら、いつの間にか仙月はんに抱え上げられていて、ビックリしたわあ。ウチが気絶でもしてる思うたんかいな? そう言えば、あの女の子、どこへ行ったんやろ?」
 あまりにも都合のいい寧音<ねね>の解釈に、晶たちは言葉を失った。とにかく、寧音<ねね>は自分の目で見たことしか信じないタチだ。メガネがなかったことによって、異界での体験はすべて存在しなかったことになってしまっている。
 まあ、それはそれで幸せなことかも知れない。とにかく、こうして無事に戻って来られたのだから。
「アキト、よくぞ無事で」
 つかさもホッとしたのか、うっすらと涙が浮かんでいた。そんなつかさの頭をアキトはクシャクシャにする。
「へっ、あれくらい何でもねえよ。心配すんな」
 アキトは笑った。
 だが、そんなアキトに疑わしそうな視線を向けてくる人物がいた。妹の美夜だ。
「兄貴。私がたまたまここを通りかかったから良かったものの、そうじゃなかったらまだ帰ってこられなくて、吠え面かいてたんじゃないの? まったく、いつも大口を叩く割には情けないんだから。この賢くて可愛い妹に感謝してよね」
 そう言いながら、美夜はつかさの腕に自分の腕を絡めた。美少女の突然で積極的な行動に、つかさは思わず赤くなる。
 当然、アキトとすれば面白いはずがない。
「誰が『賢くて可愛い妹』だ? まったく、オレのことを兄貴だと思ってないクセして。──それに何でつかさに引っついているんだよ、おめえは?」
 すると美夜は、益々、嬉々としてつかさに擦り寄った。
「さすがは兄貴が目をつけただけのことはある彼ね。私も気に入っちゃった! ──ねえ、『お兄ちゃん』って呼んでもいい?」
 美夜は甘えるようにして、つかさにねだった。こんな可愛い女の子にせがまれて、否を言える男はいない。
「え? う、うん、いいけど……」
「やったぁ! じゃあ、これからは私の『お兄ちゃん』ね!」
 とうとう美夜はつかさに抱きついた。
 黙っていられないのはアキトだ。
「ふざけるな! つかさはオレのモノだ! 後からしゃしゃり出てきて、泥棒ネコみたいなマネすんな!」
 アキトはつかさから美夜を引き離そうとした。だが、美夜は頑として離れない。
「そんなの誰が決めたのよ!? お兄ちゃんだって、私の方がいいに決まってるもん! ──ねえ、お兄ちゃん?」
「え、あ、いや、その……」
「そら見ろ! つかさだってオレの方がいいって言ってんじゃねーか!」
「……それは言ってない」
「絶対に、ワ・タ・シ!」
「オ・レ・だ!」
 吸血鬼<ヴァンパイア>兄妹は、つかさを巡って睨み合い、火花を散らした。
 それを傍目から見ていた薫がため息をつく。
 つかさは薫に助けを求めるような視線を送ってきた。それに気づいた薫は、またしても顔を赤らめてしまう。どうしてもつかさの顔を見ると、この前の日曜日の出来事(ムフフ)を思い出してしまい、意識過剰になってしまう薫だ。当分はこのままだろう。
 グゥ〜ッ!
 そこで大きな腹の虫が鳴った。寧音<ねね>だ。
「ああ、何や、腹減ったなあ。目が回って死にそうや。なあ、どっかで何か食べて帰れへん?」
 寧音<ねね>が空腹なのも無理はなかった。神隠しに遭った昨日から今日まで、何も食べていないのだ。
 その提案に異議を唱える者はなかった。
「賛成!」
 八人は連れだって、歩き出そうとした。だが、その前にアキトが回り込む。
「ちょっと待った!」
「何よ?」
「お前ら、一番の功労者であるオレにちゃんと感謝しているだろうな?」
「は?」
「まあ、オレは心の広い人間だ。今日のことは、お前ら全員のおごりで勘弁してやろう! どうだ? それくらいしてもらってもバチは当たらないだろ? な?」
 勝手にほざくアキトへ、薫がスッと進み出た。そして、いきなりアキトの額をぴしゃりと叩く。
「あー、それ!」
 ありすが声を上げた。見れば、叩かれたアキトの額にはミサの呪符が。
「さっき、黒井さんからもう一枚もらったの。さあ、うるさいのもいなくなったことだし、みんなで行きましょう。──美夜ちゃんも一緒においで」
「わーい」
 こうして、児童公園に硬直したまま立ち尽くすアキト一人を残し、薫たちはファミレスへ向かった。
 この後、アキトがどうなったかは誰も知らない……。

<第8話おわり>



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