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一度、キッチンへ引っ込んだ美夜は、すぐ両手に皿を持ちながら戻ってきた。
テーブルで待っているつかさたちのところまで、ふわっとした甘い香りが漂ってくる。
「お待たせ〜」
美夜はつかさと薫の前に、まだ温かいホットケーキを出した。
「うわぁ、上手に出来ているのね」
薫が美夜の作ったホットケーキを見て、感心した。きれいな三段重ねになっている。上に乗ったバターがトロッととろけているのが、これまた食欲をそそった。
「私、ホットケーキが大好物なの! だから、こうしてよく自分で作ってるのよ」
自分の分も取りに行った美夜が、はにかみながら言った。
「へえ。じゃあ、下地から自分で作るの?」
つかさが目を見張った。
「うん。卵に砂糖、溶かしバター、牛乳、バニラエッセンスを加えて、よく混ぜて、あらかじめ合わせておいた薄力粉とベーキングパウダーを入れて、粉っぽくなくなるまで掻き混ぜるの。それからフライパンにバターを薄く塗って、しっかり温め、よく馴染ませてから、一度、濡れ布巾の上にフライパンを置いて、冷ますのがポイントね。それから弱火にして、フライパンに生地を流し入れて、蓋をするの。表面がふつふつして、周りの色が変わったらひっくり返しね。裏面にも焼き色がついたら出来上がり♪」
自分のホットケーキを運んできた美夜は、つかさの隣にくっつくようにして座った。そして、片方の手に持っていたビンをジャーンと取り出す。
「それは?」
「メープルシロップ♪ やっぱり、ハチミツよりもこっちの方が私は好き♪」
そう言って、美夜はつかさのホットケーキにたっぷりとメープルシロップを垂らした。
「何か、本格的」
口の中に唾液をためながら、薫が呟く。すると美夜が破顔した。
「えへへへ。これが私のこだわりなの〜。このメープルシロップも、ただのメープルシロップじゃないのよ。カナダ産の最高級メープルシロップ、エクストラライトなんだから」
美夜は自慢げだった。
だが、メープルシロップに詳しくない二人には、どれだけ有り難いものか分からない。
「エクストラライトだなんて、まるでオリーブ油みたいね。──あっ、あれはエクストラヴァージン・オイルだっけ?」
「言うなれば、そのメープルシロップ版ってわけなの。メープルシロップはカナダで世界の八十パーセントが作られているのよ。そこでカナダ政府は、メープルシロップの品質を細かくランク分けしてて、その中でも最高級品にしか与えられない名前がエクストラライトってわけ。これは年に一度、カナダの厳しい冬の終わりである、二月の末から三月にかけて雪が溶け始める頃に、深夜から早朝にかけての二時間ぐらいの間でしか採れないのよ。この時期は、木の下の方に降りていた砂糖カエデの樹液が上にあがってきて、一番美味しくなるといわれているの。その希少さと、他のシロップでは味わえない透き通った味わいで、地元でも『幻のシロップ』と言われてるくらいなんだから」
美夜の解説に、二人は目を丸くした。
「へえ、美夜ちゃんって、メープルシロップに詳しいんだね」
「ここまで来ると病気だよ、病気」
一人テーブルへつかず、窓際に立っていたアキトが冷めた口調で皮肉った。そんなアキトに、美夜は無言で背中にあったクッションを投げつける。それをアキトは軽く身体を傾けただけで避けた。
「まあ、あんなヤツはほっといて、早くいただきましょうよ」
向かいに座っている薫が美夜を促した。全員のホットケーキにメープルシロップ・エクストラライトが行き渡る。
「じゃあ、いただきま〜す」
三人は待ちきれずといった感じで、ホットケーキに手をつけた。
驚いたのは、ナイフを入れようとすると、ホットケーキの生地に弾力があって、押し返してくるような手応えがあったことだ。切れ込みを入れると、そこへ百パーセント樹液のメープル・シロップが伝うように垂れる。切り分けたホットケーキをフォークで刺して、口へ運んだ。
「んっ!」
思わず、つかさと薫の二人は顔を見合わせた。
甘い香りが鼻腔から抜け、それでいて舌にはさっぱりした味覚が広がり、決して甘すぎることはない。
「美味しい……」
それはお世辞抜きの言葉だった。最高級というメープルシロップはもちろんだが、美夜が作ったホットケーキも素人裸足の出来映えだ。さすがは日頃から作っているだけのことはある。
「どんどん食べて。おかわりだったら、すぐに作るから」
三段重ねのホットケーキを一人で平らげきれるか心配だったが、それは杞憂だった。十分もしないうちに、ペロリと腹に収まってしまう。
「ごちそうさま。美夜ちゃん、美味しかったよ」
「ホント? 良かったぁ」
つかさに褒められ、美夜は甘えるように腕へしがみついた。
「お前ら、絶対に騙されている」
不機嫌そうな目で妹をねめつけながら、アキトは言った。それを薫が聞き咎める。
「何が騙されてるのよ? ちゃんと美味しかったわよ、美夜ちゃんのホットケーキ」
「そうだよ。アキトも食べればよかったのに」
つかさも薫に賛同した。するとアキトは胸を掻きむしるような仕種をする。
「やめてくれ。考えただけで胸がムカつく」
アキトは今にも吐き気を覚えそうだった。
「アキトって、甘い物、苦手だっけ?」
と、つかさ。アキトは首を振る。
「そうじゃない。でも、コイツが毎日毎日、朝昼晩とホットケーキをパクついているのを見てたら、誰だってそうなるぞ! コイツの場合、前菜がホットケーキで、主食もホットケーキ、トドメにデザートまでホットケーキと来てやがる! 間違いなく、人体構成の半分以上はホットケーキで出来てるぜ」
朝昼晩、ホットケーキ。その言葉に、つかさと薫は目を剥いて、幸せそうに微笑んでいる美夜を見た。
「だって、大好物なんだもぉ〜ん」
「大好物ったって……」
あまり極端なのも考え物だ。
すると、薫が真顔で立ち上がった。
「ダメよ、美夜ちゃん! あなたはまだ育ち盛りなんだから! ちゃんとした食生活を送らないと、大きくなれないわよ!」
「大きく?」
美夜は思わず、自分の平ぺったい胸を見下ろした(苦笑)。それを見たアキトが、くくっと笑う。
だが、次に薫の視線は、そのアキトへ向けられた。
「アンタも美夜ちゃんの兄貴でしょ!? 妹の食生活にもっと注意しなさいよ!」
薫に叱られても、アキトはしれっとした態度を崩さなかった。
「ウチは兄妹でも干渉しない主義だから、互いに好き勝手やって、好き勝手に食ってるよ」
「で、アキトはいつも何を食べているの?」
つかさがあまり期待せずに尋ねた。
「比較的、いろいろとバリエーションを組んでるぜ。ラーメンだろ、そばだろ、うどんだろ、スパゲティだろ、カレーだろ、ピラフにリゾットに中華丼──」
次々に挙げていくアキトだが、つかさはその共通点に気がついた。
「それって、インスタントとかレトルトじゃないの?」
「当たり! おお、いい勘してんじゃん!」
つかさと薫は頭痛を覚えた。この兄妹の食生活はすっかり破綻している。
「ちなみに、お兄さんは……?」
ムダだと思いつつ、薫は一応、訊いてみる。
「兄貴も料理しねえなあ。ほとんど外食ばかりだし。一応、生活費は置いてってくれるけど、一人で旨いモン食ってんじゃねえか?」
アキトは妬み半分に言った。つかさは肩をすくめるしかない。
話を聞いた薫は、立ったまま視線をやや天井に向け、決意したようにグッと右拳を握った。
「しょうがないわね! じゃあ、今日は私が何か作るわ!」
「ええええええええっ!?」
即座に驚きの声を上げたのは、アキトとつかさだ。薫が睨みを利かせる。
「何よ? 文句ある?」
「お前、料理なんて出来んのか……?」
アキトの素朴な疑問に、薫はカチンと来た。
「当たり前よ! これでも女の子よ、女の子! ちゃんと家庭科の授業だって受けてるんだからぁ!」
薫はアキトに食ってかかった。
その横でつかさが首をひねる。
「家庭科の成績、“2”とか言っていなかったっけ?」
薫はこう見えても(?)、勉強もスポーツもまんべんなくこなす優等生タイプだ。そんな彼女が、唯一、苦手としているのが家庭科であると、長い付き合いのつかさは知っている。
そのつかさも薫に凄まれた。命の危険すら感じる。
「それが何だって言うのよ!? えっ!?」
「い、いえ、何でもありません……」
つかさは縮み上がった。どうやら、この場はやらせてみるしかなさそうだ。
「フン! 私の実力を思い知らせてやるわ!」
薫は鼻息も荒く、気合いを入れた。
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