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WILD BLOOD

第9話 あぶない夜は眠れない

−5−

 軽い足音と共に、苦しげにネクタイを緩めながら、長身の青年がリビングへやって来た。そして、リビングでババ抜きを楽しんでいたつかさたちを見やる。
「お客さん? こんばんは」
 柔和な笑みを漏らしながら、青年はつかさたちに挨拶した。つかさも薫も、姿勢を正す。
「こんばんは。お邪魔しています」
「えーと、アキトの友達?」
「美夜のお兄ちゃんだよ!」
 すかさず美夜が隣のつかさの腕にしがみついた。屈託のない美夜に、つかさは赤くなる。
「あっ、いや……武藤つかさです。アキトくんと同じクラスです」
「同じく忍足薫です。初めまして」
 二人は立ち上がって挨拶した。すると青年は軽くうなずいた。
「アキトと美夜の兄、仙月影人<せんづき・かげひと>です。よろしく」
 影人は物腰の柔らかな動作で、スッと右手を差し出した。握手を求められているのだと気づくのに一瞬かかり、薫は慌てる。手を握られながら微笑みを向けられると、少し薫は照れくさそうな顔をした。
「おや、そちらの指はどうされたんです?」
 影人は薫の左手に気がついた。
「あっ、これはさっき、包丁で切ってしまって……」
 薫は恥ずかしそうに言った。
「自分の指を料理しようとしたんだよ」
 アキトがチャチャを入れたが、薫は影人に手を握られたまま陶然としていて、反撃の気配すら見せない。それほどに目の前の影人に気を奪われていた。
「そう。女の子なんだから、気をつけて」
「はい……」
 こりゃ、ダメだ(苦笑)。
 影人はアキトに似て、長身で色は白いが、持っている雰囲気は全然違った。アキトは目つきが悪く、不良じみた感じだが、影人は黒縁の眼鏡をかけているせいもあるのか、根は真面目そうな印象を受ける。それでいて、決して堅物というわけでもない。どこか社会人とは思えないくらい茫洋とした人柄を漂わせ、大人の余裕のようなものを持っているように思えた。
 続いて、影人は横にいるつかさとも握手を交わした。薫のときと同じように、優しい表情を崩さない。なのに、つかさの表情はわずかに曇った。
「……キミ、何か武術をやっているね?」
「え?」
 影人に言われ、つかさは戸惑った。影人は手に力を少しだけ込める。
「この手が教えてくれているよ。キミは強い。──でも、もっと強くなれるよ」
「………」
「キミは強くなることに不安を持っているのかな?」
「………」
 答えないつかさに、影人は軽く微笑み、その手を離した。
「ようこそ。まだ引っ越してきたばかりで散らかっているかもしれないけど、ゆっくりして行ってください」
 影人はそう言うと、自分の部屋へ引っ込もうとした。その背中へ、アキトが声をかける。
「兄貴、メシは?」
「いや、シャワーを浴びたら、また出掛けるから。いつものように勝手に済ますよ」
 アキトに振り返りもせずに返答した影人は、リビングから立ち去った。その背中をずっと見送っていた薫が、ストンとソファに座る。
「何か想像してたのと違うわ」
「何が?」
「美夜ちゃんのお兄さん。コイツのお兄さんでもあるから、もっと違うイメージを持っていたんだけど、意外に普通って感じ」
「お前、オレにどういうイメージを持ってんだよ?」
 アキトはすかさず突っ込んだが、その答えはなかった。というより、ちょっと考えれば誰でも分かる、というところか。
「ああいうお兄さんだったら、私も欲しいなあ」
 薫は羨望の眼差しで、天井を見上げた。
「薫には元気くんがいるでしょ」
 つかさが言った。元気は薫の弟で、まだ小学五年生だ。一人っ子のつかさは、弟のいる薫を時折、うらやましく思う。それは妹を持ったアキトに対しても同様だ。
 しかし、薫は不服そうだ。
「元気なんて、まだ子供じゃない。私は優しいお兄さんが欲しいの! 影人さんなんて、ちょっと頼りなさそうに見えるけど、すごく優しそうでしょ?」
「そうかな?」
 つかさは思わず呟いてしまい、慌てて口をつぐんだ。
「どういう意味? つかさにはそう見えなかったわけ?」
「いや、そういうわけじゃ……」
 つかさは言葉を濁した。影人の弟妹であるアキトたちを前にした発言はためらわれたのだ。
 影人と握手をしたとき、つかさは感じた。
 ──怖い人だ、と。
 アキトの兄であるということは、影人もまた吸血鬼<ヴァンパイア>であるということだ。それは美夜にも言えるのだが、つかさに対して本当の妹のように甘えてくるせいか、あまり吸血鬼<ヴァンパイア>だと強く意識したことはない。アキトにしても同様で、学校ではほとんど一緒にいることが多いものの、彼が人間ではないことなど日常では忘れてしまっている。
 しかし、影人は別だ。目の前で握手をしたときの戦慄。これが人外の怪物、吸血鬼<ヴァンパイア>なのだと、初めて意識した。そして、少しでも意識すると、つかさは自分が恐怖に萎縮していくのを感じた。
 影人の外見、仕種などは、すべて彼の演技であると、つかさは看破していた。その本性がさらされたとき、影人は人間の敵にすら回るのではないかと思える。それを想像すると、つかさは膝が震えた。



 それからしばらく、四人がトランプで遊んでいると、再び影人がリビングに現れた。
 シャワーを浴びて、小綺麗にし、別のスーツに着替えている。影人がやって来ると、つかさは居心地が悪そうに緊張した。
「じゃあ、出掛けてくる。お二人さん、ごゆっくり」
「ありがとうございます」
 愛想良く振る舞ったのは薫だ。すっかり、影人が気に入ったらしい。
「──そうだ、アキト」
「ん?」
 またジョーカーを手札に残して眉根を寄せているアキトが、影人の方に振り向いた。
「お前たち、夕飯、まだだろ?」
 さっき、つかさのライスピザを食べ、その前にも美夜のホットケーキを食べたが、あれからかなり時間が経っている。そろそろ小腹も空いてきた頃だ。
「今日はお客さんもいるし、これで何か出前を取れ」
 影人はそう言うと、内ポケットから財布を取り出し、アキトに一万円を渡した。
「やったーぁ!」
 アキトはふんだくるようにして、影人から一万円を受け取った。
「ムダ遣いすんなよ」
 一言クギを刺してから、影人は出掛けていった。もちろん、アキトがそんなことを聞いているはずもない。
「よし! 今日は寿司だ! 特上にしようぜ!」
 アキトは一人で決めると、電話のところへダッシュした。
「兄貴! 私のはサビ抜きね!」
 辛いものが苦手な美夜は、電話をかけようとするアキトに注文するのを忘れなかった。
 つかさと薫が顔を見合わす。
「い、いいのかな、ごちそうになっちゃって」
「まあ、せっかくだから、お寿司くらいはいただいて、それから帰りましょうよ」
 つかさも薫も図々しい方ではないが、寿司を取ると言われては、やっぱり食べたくなるのが人情だ。二人とも寿司は好物のひとつである。
 すると、美夜が不満げな顔を見せた。
「えーっ、食べたら帰っちゃうの?」
 時計は夜の七時を回っていた。出前がどのくらいで到着するのか分からないが、寿司を食べ終わったら八時は過ぎるだろう。明日は日曜日で学校はないが、いつまでもお邪魔するのは悪いし、家の者たちだって心配する。
「お兄ちゃんたち、今日、泊まっていけばいいじゃない」
 美夜はあっけらかんと提案した。
「いや、さすがに、それは……」
 つかさが渋る。薫も苦笑した。
「美夜ちゃん、気持ちは嬉しいけど、私たちが泊まっていくわけにはいかないわ」
「どうして?」
「どうしてって……この家には私たちだけじゃなく、アイツもいるのよ! 一晩同じ屋根の下で寝ていたら、大変なことになるわ!」
 薫は真顔で言った。二人が泊まると言ったら、アキトはあらゆる手段を使って、どちらかの──いや、両方の布団に潜り込んでこようとするだろう。まさに貞操の危機だ。
 だが、それでも美夜は諦めきれないらしい。
「えー、大丈夫だよ。美夜の部屋に泊まれば。お兄ちゃんも一緒に寝よ?」
「えっ!?」
 つかさの思考が硬直した。
 美夜の部屋に泊まるということは、そこには薫もいるということだ。女二人の寝室に男が一人。つい想像してしまい、つかさは赤面した。
「み、美夜ちゃん、無理だよ!」
「どうして?」
「その……つまり……若い男女が一つの部屋にってのは……昔から男女七歳にして同衾せずって言うし……」
「“どうきん”って?」
 真っ赤になって説明しようとするつかさに、美夜はあくまでも素朴な疑問をぶつけた。
 赤面しているのは薫も同じだった。美夜ばかりじゃなく、つかさとまで一緒に寝るはめになったら大変だ。思わず、先週の日曜日の出来事を思い出す(「WILD BLOOD」第7話を参照のこと)。
「み、美夜ちゃん、わがまま言っちゃいけません!」
 薫は、このときばかりはお姉さん口調で美夜を叱った。美夜はしゅんとなる。
「くすん……」
 悲しそうな顔をしている美夜を見ていると、薫もついつい悪いことをした気分になってくる。慰めるつもりで、美夜に言葉をかけた。
「ごめんね、美夜ちゃん。お泊まりは出来ないけど、その他のことなら聞いてあげるから」
「……ホント?」
 このとき、美夜の目がキラリと光ったことを薫は知らない。
「ホントよ。約束する。ウソじゃないから」
 すると美夜はパッと顔を輝かせた。
「じゃあ、私、お姉ちゃんと一緒にお風呂入りたい!」
「──えっ!?」
 美夜の願いに、薫の表情はたちまち引きつった。

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