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WILD BLOOD

第9話 あぶない夜は眠れない

−6−

 影人のお金によって注文された特上にぎり寿司が届くと、四人は再びダイニング・テーブルに集まった。
 鮨桶には新鮮なネタを使った大トロ、中トロ、ウニ、イクラ、真鯛、ヒラメ、赤貝、蒸しエビ、イカ、ネギトロ、卵焼きが入っている。食べ盛りな四人は、そろって喉を鳴らした。
 一緒についてきたインスタントのお吸い物をお湯で溶くのももどかしく、四人は銘々に席へ着いた。つい弛みがちになる頬を互いに見合わせ、合掌しながら一礼する。
「いただきまーす!」
 言うが早いか、勢い良く割り箸が割られ、それぞれの好物に手が伸びた。アキトはいきなり大トロから、つかさはイカ、薫と美夜は赤貝だ。大トロを醤油につけると、パッと脂が浮かび上がる。アキトは自らの口を持っていくような格好で大トロを食べた。
「んんっ! うんんんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 アキトが声に出して言ったのは決して大袈裟ではない。イカを食べたつかさも、赤貝の薫と美夜も思わず目を見開き、顔をほころばせる。
「美味しい。寿司なんて、いつ以来かなあ」
 つかさは記憶を遡ってみたが、回転寿司を含めても、ここ一年くらいは食べていない気がする(作者も同様)。
「どうだ、今日はオレん家に来て良かったろ?」
「まあね」
 自分で金を出したわけでもないのに恩着せがましく言うアキトに、つかさは苦笑した。
「おい、美夜。卵焼きやろうか?」
 アキトは箸で自分の卵焼きを挟んで、美夜に与えた。
 美夜は辛い物が苦手なので、一人だけわさび抜きである。だが、卵焼きならばわさびはついていない。
 アキトが兄らしい気遣いを見せたので、つかさも薫も驚いてしまった。しかし、美夜は喜ぶ素振りを見せない。なぜなら──
「その代わりにお前の大トロをくれよな」
 と、アキトは美夜の大トロに箸を伸ばした。やっぱり、そういうことか(苦笑)。
「させるか!」
 カッ!
 兄の思惑など、最初からお見通しだ。美夜の大トロを巡って、二つの箸が激突した。ギシギシと箸が軋みをあげる。どちらも譲るつもりはなかった。
「卵焼きと交換だ。よこせ」
「イヤ! 私だって大トロ食べたいもん!」
「お前はホットケーキだけ食ってりゃいいんだよ!」
「兄貴こそ、こんな高級品を久しぶりに食べて、胃がひっくり返るんじゃないの?」
「何をぅ!?」
「何よぉ!?」
 兄妹は至近距離でバチバチと火花を散らせた。
 呆れ返っているのはつかさと薫である。
「まったく、食い意地が張っているって言うか、行儀作法がなってないって言うか……」
 薫はそう言いながら、アキトのウニに手を伸ばした。
「あっ!」
 アキトは美夜と大トロを争っていたので、完全に無防備だった。薫は一口で放り込む。
「ボクも大人げないと思うよ」
 と言って、つかさまでがアキトの寿司に手をつけた。こちらは薫よりも、幾分、遠慮したのか、ネギトロをひとつだけ。
 だが、二人に自分の寿司を取られ、アキトはショックを受けた。
「お、お前ら!」
「隙あり!」
 アキトの箸の力が緩んだ瞬間、美夜は自分の大トロを奪い返し、素早く食べてしまった。勝ち誇ったように満面の笑みを見せながら咀嚼する美夜。
「あああああっ、オレの大トロを……」
 アキトは今にも泣きださんばかりの顔で嘆いた。ただし、その大トロは、元々、美夜の物だけど。
「意地汚いマネをするからよ」
 薫がにべもなく言い、これ見よがしに自分のヒラメを食べた。
 一方、つかさはそこまでアキトを無碍に出来ない。
「これに懲りて、人の物を盗ったりしちゃダメだよ、アキト。──はい、ボクのネギトロ返すから」
 つかさはあっさりと、アキトにネギトロを返してやった。
 そんなつかさを薫はお人好しだと思う。薫は年の差こそ離れているが、弟がいるので、食べ物のことに関してもめることが多々ある。一応、姉として譲るようにしてはいるが、大事にしまっていたケーキを黙って食べられたりすると、さすがに堪忍袋の緒が切れて、つかみ合いのケンカだ。兄弟姉妹がいる家庭では、食べ物の争奪戦は日常茶飯事なのである。つかさのように一人っ子で育ったのでは、その厳しさは分からないだろう。まあ、それがつかさの良さでもあるわけだが。
「ありがとう、つかさ。──チラッ」
 泣いて──もちろんウソ泣きだろうけど──感謝するアキトは、次に薫を見た。そして、何かを言いたげに薫の分の寿司へと、繰り返し目線を往復させる。無言の抗議に、さすがの薫もたじろいだ。
「分かったわよ。返せばいいんでしょ、返せば。ホント、食べ物の恨みは恐ろしいんだから」
 薫はあきらめたように言うと、自分のウニをアキトの鮨桶に返した。アキトがニンマリとする。
「おお、よくぞ帰ってきたな、オレのウニちゃん!」
「自分が最初に仕掛けたくせに……」
 薫はボソッと言っておくことを忘れなかった。
「お兄ちゃん、私のネギトロ食べる?」
 卑しい実兄を無視して、美夜がつかさに言った。すかさず、
「オレが食ってやろうか?」
 と、アキトが身を乗り出すようにして申し出た。美夜はそれをむぎゅっと手で押し返す。
「私はつかさお兄ちゃんに言ってるの! ──はい、お兄ちゃん、アーンして」
「え?」
 美夜に言われ、つかさは戸惑った。美夜はネギトロを箸でつまんで、つかさの方へ伸ばす。
「早くぅ。アーン」
 つかさは恥ずかしくなった。自分よりも年下の女の子──本当は美夜は吸血鬼<ヴァンパイア>なので、実年齢はつかさよりもはるかに上だろうけど──に、子供みたいに食べさせてもらうなんて。アキトはアホ臭いという顔で、薫はニヤニヤしながら、つかさの方を見ている。
「どうしたの、お兄ちゃん。お口開けて。アーン」
 美夜まで口をアーンと開けて、つかさに要求した。
「うっ……あっ……」
 美夜はつかさが口を開けるまで、ネギトロを差し出し続けるだろう。つかさは耳まで真っ赤になりながら、おずおずと口を開ける。
「あ、アーン」
 ぱくっ。
「良くできましたぁ。美味しい?」
 美夜は嬉しそうにはしゃいだ。
「う、うん……」
 つかさは口を動かしたが、恥ずかしさのせいで味もロクに分からない状態だった。
 そんなつかさと美夜のやり取りを見ていたアキトが、ふとひらめいた。そして、薫の方へ向き直り、
「アーン」
 と、口を開けた。どうやら、オレにも食べさせて、というつもりらしい。
 薫は冷めた視線をアキトに向けたが、当人はそれに気づかないといった様子で、口を開け続けた。薫は嘆息する。
「まったく。──どれどれ」
 薫はアキトの口の中を覗き込んだ。
「見たところ、虫歯はないようね」
 と、診断を下す。アキトは口を閉じ、さっさと食事に戻った薫を見た。
「そういうことじゃねえだろう」
 なんやかんやのうちに、四人は楽しい食事を終えた。
 すると、すかさず美夜が、待ってましたとばかりに椅子から立ち上がった。
「じゃあ、お姉ちゃん! お風呂入ろ!」
「ブーッ!」
 美夜の言葉に、思わず飲んでいたお茶を吹き出したのはアキトだった。薫と美夜が一緒に風呂へ入るいきさつを、寿司屋に電話していたため中座していたアキトは知らない。
「ふ、風呂だあ?」
 このとき、アキトに邪な考えが浮かんだのは言うまでもない。
 薫は困った顔をしていたが、すでに約束してしまったことだ。それに薫はそれを反古に出来るような人間ではない。
「うん、じゃあ、入ろうか」
 薫も椅子から立ち上がり、美夜と一緒にバスルームへ向かった。
 ダイニングから出る寸前、美夜が後ろを振り返った。
「そうだ、お兄ちゃんも一緒に入る?」
「ブーッ!」
 今度はつかさがお茶を吹き出す番だった。美夜がおかしそうに笑う。
「一緒に洗いっこしようよ」
「み、美夜ちゃん……」
 つかさは狼狽した。考えただけでのぼせてくる。
「冗談、冗談♪ ──さあ、行こ♪」
 美夜はいたずらっぽく笑うと、薫を促し、ウキウキしながら姿を消した。

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