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チッ チッ チッ チッ チッ……
目覚まし時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
部屋の電気を消してから、どのくらいが経っただろうか。きっと一時間も経過していないに違いない。
案の定、眠れない夜を過ごすつかさは大きなため息を吐き出し、寝返りを打とうとした。しかし、それを寸前に思い留まる。つかさはベッドの端っこに寝ているのだ。ちょっとでも動いたらベッドから転落してしまう。
つかさは体を動かさないよう気をつけながら、隣にいる美夜と、その向こうにいる薫の様子を窺った。
美夜はつかさの予想に反して、特にこれといったいたずらを仕掛けてくるわけでもなく、すでにすやすやと眠りについていた。つかさの胸に頭をもたれるようにして、ギュッと着ているパジャマを握っている。アキトの妹だけに、いろいろとつかさと薫の貞操を狙ってくるのかと警戒していたのだが、これには拍子抜けだった(何か期待していたのか?)。やっぱり、まだ子供なのかもしれない。
一方、薫は寝ているのか、それとも起きているのか、さっぱり分からなかった。美夜の背中にしがみつくような格好で寝ている。
つかさは頭だけを持ち上げて、薫の顔を覗き込んでみた。普段は男勝りな性格だが、こうして大人しく寝ていると、息を呑むほどハッとする美少女だ。そんな同級生が美夜を挟んで、一緒のベッドに寝ている。つかさは改めて、薫が異性であることを意識した。
布団の下は、影人から拝借したワイシャツ一枚という、まるでグラビア・アイドルのセクシー・ショットだ。先程、チラリと見た薫の胸元や太腿を思い出し、つかさはカッと顔が火照るのが分かった。
(ああ、もお、何を考えているんだ、ボクは!)
薫をそのような対象として見てはいけないと、つかさは心の中で叫んだ。薫はアキトが転校してくるまで、唯一の友達だったと言えるだろう。お節介なところに辟易したこともあったが、今思えば、有り難いことだったと感謝できる。学校中のみんなにからかわれるつかさに味方してくれたのは薫だけだ。薫だけがつかさを理解してくれた。薫がいなかったら、今頃、登校拒否をして、引きこもりにでもなっていたかもしれない。
そんな薫を他の女性と同じように見てしまったら、もう二人の関係は壊れてしまうように、つかさには感じられた。つかさは友人としての薫を大切に想っている。それを失いたくない。
つかさは必死に、そこに寝ている薫は男なのだと思い込もうとした。そんなことを薫が知ったら、逆に激怒しそうなものだが。
しかし、一度、頭に浮かんだ煩悩はなかなか消え去るものではなかった。他のことに気を逸らそうとしても、部屋の電気は消されているため、ほとんど真っ暗。適当に注意を引きそうなものなど何もない。頭の切り替えなど不可能だった。
──と。
いきなり、胸の辺りがモゾモゾしたような気がして、つかさは煩悩を振り払うことが出来た。だが、次の瞬間、ホッとするどころか心臓が飛び出すくらいビックリした。
寝ていたと思われた美夜が、つかさのパジャマのボタンをひとつひとつ外し始めたのだ。
つかさが美夜の顔を見ると妖しい笑みを浮かべていた。どうやら美夜は寝てしまったのではなく、薫が眠るまで機会を窺っていたのだ。
薫がいる以上、つかさと二人だけで寝ることは許されない。そこで美夜は薫と一緒に寝ることによって、つかさを引き込んだのである。すべては美夜の作戦だったのだ。
ボタンすべてを外され、つかさは胸をはだけた。一応、下にTシャツを着ているが、グッと美夜の体温が間近に感じられるような気がする。美夜は淫蕩な表情を浮かべると、つかさの首から胸、そしてヘソへと人差し指をつーっと滑らせた。
「──っ」
美夜の指戯に、つかさは危うく声を漏らすところだった。今、声を出したら、薫に気づかれてしまう。二人が淫らな行為に及んでいると知ったら、まず──つかさは──半殺しにされるに違いない。
しかし、美夜の大胆さはエスカレートした。ヘソまで降りた指が、パジャマのズボンにかかったのだ。
美夜はつかさのズボンを降ろそうとした。さすがにそれはマズイと、つかさが美夜の手を押しとどめる。
そのとき、天井裏からドーンと大きな音がした。
「な、何っ!?」
ガバッと薫が起き上がった。布団がめくれる。胸がはだけているのを見られたらヤバいと思ったつかさは、慌てて身をよじった。だが──
どすん!
つかさはベッドから床に転落した。したたかに顔面を打ちつけ、苦鳴を漏らす。
「痛ててて……」
「何やってんの?」
薫がつかさを覗き込もうとした。それを美夜が遮る。美夜も薫に知れるのは得策ではないと思ったのだろう。
「もお、兄貴のヤツったら、まだ懲りないんだわ!」
薫の注意を先程の音へ逸らす。
「じゃあ、さっきから天井で音がするのは、あいつの仕業?」
睨むようにして、薫が天井を見上げた。その隙につかさは慌てて、パジャマのボタンをとめる。
「きっと、ここへ忍び込もうっていう気だわ。まったく、油断も隙もないんだから」
どっちが油断も隙もないんだか。つかさは白々しい美夜を振り返った。
「でも、大丈夫。兄貴は絶対にここへは入れないから。私の罠<トラップ>すべてをかいくぐってくるなんて不可能よ。──さあ、だから安心して寝よ」
美夜はそう言って、横になった。薫もそれにならう。
つかさはとりあえずの危機を脱し、安堵のため息をついた。
吸気口の蓋を蹴破り、アキトはようやく天井裏から脱出した。
槍ぶすまの罠<トラップ>をツイスター・ゲームのような身体のひねりでかわし、ボウガンが雨あられと発射されるのを手足の指と口で受け止め、ニセの出口では爆弾に引っかかりながらも、アキトは何とか無事だった。しかし、これ以上、天井裏を進むことは困難だ。何しろ、天井裏は狭く、いざというときに回避が思うように出来ない。ならば、さらなる罠<トラップ>を承知で、正面から挑んだ方が良さそうだとの結論に達したのである。
「ここは……」
適当なところで天井裏から出てきたので、アキトは自分がいる場所をまず確認した。ひんやりとしたタイルの感触が足裏から伝わる。
アキトが降り立ったのは真っ暗なバスルームだった。当然のことながら誰もいない。アキトはすぐに出て行こうとした。しかし、ドアに触れようとすると、いきなり照明が点いた。
カシャン!
照明といっても普通のものではない。非常灯といった方がふさわしいか。赤くケバケバしい色がバスルームを染め上げた。ただならぬ雰囲気に、アキトは警戒する。
「今度は何だよ?」
どうせ美夜の仕掛けた罠<トラップ>が作動したに違いない。案の定、バスルームのドアはロックされていた。
どこから来るか。アキトはドアを背にし、危険に備えた。すると──
ちゃぷん……
水音がした。バスルームで水と言えば、まずバスタブ。
アキトはそちらへ注意を向けた。
ぺちゃっという濡れた音と同時に、何か黒いものがバスタブの淵に現れた。バスタブの中に何かがいる。
アキトは嫌な予感がした。
「シュウウウウウ……」
まるで蛇のような呼気が聞こえた。
次の瞬間、その正体が明らかになる。
「なぬっ!?」
さすがの吸血鬼<ヴァンパイア>たるアキトも凍りついた。バスタブの中から現れたのはワニ──アリゲーターだ。
長い吻<ふん>に凶悪な歯が並び、角質化した丈夫な鱗が背面を覆っている。体長二メートルくらいはあるだろうか。アリゲーターとしてはそんなに大きくないのかも知れないが、狭いバスルームの中ではその存在感は決して小さいとは言えない。アリゲーターはのっそりとバスタブから上がった。
「世のペット・ブームもここに極まれりって感じだな」
アキトは軽口を叩いた。そうでもしないとやっていられない気分だ。
バスタブから上がったアリゲーターは、アキトの方を向きながらも目をつむった。どうやら、今すぐアキトを食べようと言うつもりはないらしい。アキトはホッとした。
しかし、この隙に入ってきた吸気口から出ようかと考えていると、どこからか温風のようなものが吹きつけてきた。段々とバスルームの中が温まってくる。アキトはまた嫌な予感がした。
ワニは爬虫類。寒さに弱いが、気温が高くなると活発に活動し始める。
アリゲーターの目が見開かれた。どうやらアキトをエサだと認識したらしい。
「冗談だろ!?」
「シャアアアアアアアッ!」
アリゲーターが口を開けた。アキトを威嚇する。そして、さっきの緩慢な動きがウソのように、猛然と襲いかかってきた。
「美夜、ペットを飼うなら、ちゃんと自分で世話をしろ!」
アキトは一人で怒鳴りながら、跳躍でアリゲーターをかわそうとした。
ところが、バスルームの天井は低い。そこまで計算に入れていなかったアキトは、したたかに頭を打ちつけた。
ゴン!
そのせいでアリゲーターの背後に着地するはずのジャンプは中途半端になってしまった。アキトはアリゲーターの背中を踏みつける格好になる。
踏まれたアリゲーターは激怒した。狂ったように身をよじらせ、尻尾を振り回す。この尻尾の一撃も強烈だ。アキトは慌てて飛び退いた。
アリゲーターと格闘するには、あまりにもバスルームは狭すぎた。アキトはアリゲーターの尻尾を長縄跳びのようにかわしながら、どう対処すべきか考えた。
しかし、またしてもアキトを不運が襲った。バスルームの床にお約束の石鹸が落ちており(苦笑)、アキトは誤ってそれを踏んづけてしまったのである。
つるり!
アキトは石鹸をスケート靴代わりにして滑った。大きく口を開けて待ち受けるアリゲーターへ。
「うわああああああっ!」
バスルームにアキトの悲鳴が響いた。
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