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影人と魔物が着地した中間点に、切断された尻尾が落ちた。それはまだ生きているかのように跳ね回る。影人は悠然と振り向いた。
「さて、三枚に下ろしてやろうか」
影人の表情がサディスティックに歪んだ。影人は人間ではない。闇の眷属、吸血鬼<ヴァンパイア>だ。昼間は茫洋とした青年の仮面をかぶっているが、夜には血と闘いを好む本性を現す。
尻尾を切断された魔物は、口をパクパクさせながらもがき苦しんだ。黒い血のようなものがコンクリートの床を濡らす。
影人はトドメを刺すべく、手刀をかざし、魔物へと躍りかかった。殺気を感じた魔物は再び跳躍する。柱から柱へと飛び移りながら逃走した。
魔物が逃げた方向から、微かに川の臭いがした。おそらく水の中に逃げ込むつもりに違いない。そうなれば影人に不利になる。
影人は即座に追った。魔物と同じように、柱を蹴りながら、ジグザグに飛び移る。吸血鬼<ヴァンパイア>ならではの身の軽さだ。その差はすぐに詰まった。
魔物の背中を捉えたと思った刹那、影人の目の前で信じられないことが起こった。切断されたはずの尻尾がいきなり再生したのだ。まるでトカゲである。否、トカゲでもこれほど急激に再生はしない。
ビチッ!
魔物は追いすがってきた影人に尻尾を振るった。影人はまともに喰らい、コンクリートの支柱に叩きつけられる。川へ逃げるものとばかり思っていた影人の油断だった。
普通の人間であれば、その一撃で終わっていただろう。しかし、吸血鬼<ヴァンパイア>たる影人は不死身だった。口からこぼれた自らの血をペロリと舐め取る。
「やってくれたな」
久しぶりの強敵に、影人は思わず笑みをこぼした。半人半魚の異形に、トリッキーな動きを伴った攻撃。相手にとって不足はない。
だが、魔物は影人と闘うよりも、川への逃走を選んだ。一目散に逃げていく。影人の耳には川の音が聞こえた。
影人は走って追いかけた。やがて貯水槽は行き止まりになっていて、頭上に排水口──正確には給水口──のような穴が見える。おそらくは、それが川への出口。魔物はそれに飛びつこうとした。
「逃がすか!」
影人は跳躍した。魔物の巨体が穴の中へするりと潜り込む。影人の手がのたうつ尻尾に触れた。
あと一歩というところで、影人の手から魔物の尻尾がすり抜けた。影人は舌打ちする。だが、ここであきらめるわけにもいない。影人はさらに追いかけた。
穴は急な勾配がついていて、とても滑りやすかったが、影人は何とか這い上がった。二十メートルほど進むと、半開きになった鉄扉がある。川が増水した場合、ここから水を取り込むのだろうが、それは魔物によってこじ開けられてしまったようだ。影人は鉄扉をくぐり抜けると、外の河川敷へと出た。
すでに川へ潜ってしまったのか、魔物の姿はいずこかへ消えていた。さすがの影人も、この川の中を捜せというのは無理な話である。気絶している詩織のところへ戻ろうかと思った。
魚が跳ねるような水音を聞いたのは、影人が川に背を向けた刹那である。影人は反射的に振り返った。
川岸より十メートル先に、魔物が頭だけを出していた。その顔が影人に向けられる。
次の瞬間、魔物が口を尖らせたかと思うと、そこから何かが吐き出された。それは物凄い勢いで影人を襲う。影人は慌てて横に飛び退いた。
魔物が吐き出したものは、給水口の入口に当たると呆気なく飛び散った。影人は、それが高圧で発射された水だと看破する。多分、消防車の放水くらいの威力はあっただろう。女子供が直撃を受ければ、骨折や内臓破裂を起こしてもおかしくない。
テッポウウオという魚がいる。口から水鉄砲のように水を噴き、水辺にいる昆虫などを射落として食べるという淡水魚だ。魔物が見せたのは、まったくそれと同じだった。
魔物は顔を沈めては出し、水鉄砲を発射した。影人はその砲火をかいくぐる。
水鉄砲の乱射に、影人は身を低くした。何とか反撃できないものかと思案する。しかし、相手は川の中。飛び道具でもなければ届かない距離だ。
そんな影人の手に何かが触れた。地面に落ちていた石である。それは丸く、平べったかった。
影人はやおら石をつかむと、腕を横に振り、渾身の力を込めて投じた。石は水面上をホップしながら、一直線に魔物へと飛ぶ。ちょうど魔物が水面に頭を出したとき、石が当たった。
石は魔物の頬を切り裂いた。水鉄砲も発射せずに、水中へ没する。影人は急いで他の石を探し、次の浮上を待った。
ところが、それきり水面は静かになった。影人は投擲の姿勢を保ったまま、川を凝視する。まさか、あの程度の一撃で撃退できたとは思えないが。
影人は魔物の姿を探そうと、さらに川へと近づいた。
ザバッ!
「──っ!?」
影人はあまりにも不用意に川へ近づきすぎた。魔物の尻尾が影人の足を絡め取る。影人が気づいたときはもう遅い。影人の身体はアッと言う間に川へ引きずり込まれた。
ゴボゴボゴボッ……!
いかに吸血鬼<ヴァンパイア>といえども、水の中では魔物に主導権を握られた。凄まじいスピードで引っ張られ、バンザイの格好のまま、まったく体勢を整えられない。せめて息を堪えるのが精一杯だった。
何とか尻尾を振りほどこうと、影人はジリジリと手を伸ばした。魔物はそれを察知したのか、縦横無尽に泳ぎ、影人の思惑を邪魔しようとする。影人は手刀を振るってみたが、やはり水中では威力半減、まったく効果がなかった。
やがて呼吸も限界に近づいてきた。影人は必死にもがく。その手がとうとう魔物の尻尾にかかった。
が、次の刹那、影人の全身を凄まじい電撃が貫いた。これも魔物が持っていた能力なのだろう。まるで電気ウナギのように放電した。
呼吸を堪えていた影人には痛烈な攻撃だった。思わず、すべての酸素を吐き出してしまう。全身の力が抜け、影人は気を失った……。
影人を引きずったまま、魔物は巣である貯水槽へと戻ってきた。まだ気絶している詩織の隣に、影人をどさりと落とす。そして、どちらから食べようかという風に、吟味を始めた。
ところが、影人の眼が不意に開けられた。魔物はギョッとして、わずかに後ずさる。影人はまるで眠りから醒めたかのように、自然に起き上がった。
「陸の上に上げてくれてありがとよ。正直、水の中はヤバかったぜ」
影人は額に張りついていた濡れた髪を掻き上げながら言った。
仙月影人は吸血鬼<ヴァンパイア>である。仮死状態になることなど造作もない。
まんまと影人の演技に引っかかった魔物は逆上した。体を反転させて尻尾のムチを叩きつけようとする。
ビチッ!
だが、しかし、その一撃は影人によって受け止められていた。影人は魔物の尻尾を抱え込み、ガッチリと離さない。
「同じ手は食わないと言ったはずだぜ」
影人は両腕に力を込めた。魔物の体が持ち上がる。そのまま影人は回転をつけて、魔物を振り回した。ジャイアント・スイングだ。
「そらそらそらそらーぁ!」
今までの仕返しとばかりに、影人はさらに回転数を増していった。魔物は抵抗できない。為すがままだ。
スピードに乗りきったところで、影人は手を離した。魔物の巨体が宙を飛び、コンクリートの支柱に叩きつけられる。魔物は息が詰まったかのように、一瞬、動けなくなった。
床に伸びた魔物へ影人は近づいた。魔物はグロッキー状態だ。しかし、吸血鬼<ヴァンパイア>である影人に容赦の二文字はない。
影人はおもむろに右手を魔物のエラへ突っ込んだ。左手も同様に反対側のエラを貫く。魔物は悶絶した。
そのまま影人は魔物の頭を持ち上げた。その顔には残忍な殺戮者の笑みが浮かぶ。
そのとき、詩織は意識を取り戻した。まだ半分眠っているような中、グロテスクな魚の化け物を虐待している青年の後ろ姿が見える。
(仙月さん……!?)
詩織には、その後ろ姿が同僚の仙月影人に見えた。だが、あのいかにものほほんとした青年が、こんな恐ろしいことをするだろうか。詩織はにわかに信じられなかった。
グチャッ……ビチャッ……
影人はエラに手を突っ込んだまま、魔物を引き裂きにかかった。魔物の目が飛び出す。尻尾が苦しげに跳ね回った。
ブチュッ!
やがて限界が訪れた。影人の手によって魔物の頭が引きちぎられる。血のような黒い液体が吹き出し、それを直視していた詩織は、ショックのあまり、再び気絶してしまった。
影人が頭をもぐと、魔物の体はすーっと霧散し始めた。不浄なるものが浄化されたのだ。影人はそれを眺めながら、首のネクタイを緩めた。
「やれやれ」
影人はどっと疲れが襲ってくるのを感じた。このまま横になってしまいたいくらいである。しかし、そうもいかなかった。気絶している詩織の方を振り返る。それに源六の遺体も運び出さねばならなかった。
影人は少しだけ昼間の青年の顔に戻って、困ったように頭を掻くと、すぐに詩織を抱きかかえた。
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