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「メェーン!」
パァァァァァァァン!
薫の発した声と同時に、相手の面を捉えた竹刀の乾いた音が武道場に響き渡った。一瞬の出来事。薫と手合わせしていた二年生は、自分に何が起きたのか、即座に理解できなかった。
薫の得意技、飛び込み面。充分な間合いがあると相手が思ったのも束の間、最初の出足が動いたかと認識した次の瞬間には、すぐ眼前にまで薫の顔が迫っていた。まさに手も足も出ない状態。空白の〇.〇一秒の後、致命的な一本を奪われているのだ。
主審の手が挙がり、薫の勝ちを認めた。これで負けなしの七人抜き。いずれも相手は上級生ばかりで、しかも試合時間はどれも一分とかかっていなかった。
薫の強さは、すでに誰もが認めるところだ。琳昭館高校の女子剣道部はもちろん、男子を呼んできても、誰一人、太刀打ちできないだろう。
しかし、今日の薫は、いつもにも増して動きが切れていた。第一、立ち合いの瞬間から、相手は薫の気に呑まれる。防具の面越しに殺気すら覚えるほどだ。
薫は部活動でストレスを発散して、ようやくスッキリした気分になっていた。相手をしてくれた先輩たちには申し訳ないが、ここまで立て続けに痛快な勝ちを収めると、つかさに対して抱いていたモヤモヤが吹き飛んだような気がする。薫は防具を脱ぐと、ふーっと大きく息を吐き出した。
「さすがだな。やんや、やんや!」
絶賛というよりもからかいの響きが強い調子で、歓声と拍手が薫の耳に届いた。せっかくの爽快な気分が台無しになる。そちらを見るまでもない。声と拍手の主はアキトだった。
長身のアキトは武道場の高い位置に作られた格子窓から、薫の部活を覗いていた。思えば、薫が初めて会ったときも、アキトはこうして覗いていたものだ。薫は無視を決め込んで、自分のタオルが置いてあるところまで移動した。
「おい、薫。かおるちゃん」
アキトは気安く声をかけてきた。薫の神経を逆撫でする。
それでも、薫がなおも無視し続けていると、今度は「おーい、外泊女」とか「不純異性交遊」とか挑発し始めた。これには、さすがの薫も黙っていられない。
「ちょっとぉ、部活の邪魔をしないでよ!」
薫はアキトが顔を覗かせている格子窓に、竹刀の切っ先を問答無用に突っ込んだ。アキトはそれをひょいっと首を引っ込めて回避する。薫の竹刀には、常日頃、散々、叩かれてきた口だ。いいかげん、慣れもする。
「おめえが無視するからだろうが」
手荒な薫の返答に対し、アキトもやや強く言い返した。
薫はタオルを手にして、顔の汗を拭った。
「アンタがいると、気が散るのよね」
「だから、勝負が決まるまで待っていてやっただろう」
一応、気は遣っているつもりらしい。薫は少しアキトを見直した。
「で、何よ?」
「つかさ、見なかったか? 帰りに《末羽軒》でラーメンを食う約束だったのに、どこにもいねえんだ」
よりにもよって、今、出して欲しくない人物の名前だった。薫は手にしていたタオルをクシャクシャにする。
「何で私が?」
「だって、お前、つかさの保護者だろ?」
「誰がぁ!」
薫はタオルを投げつけた。もちろん、格子に阻まれて、アキトには届かない。その向こうでは、アキトがいささか辟易したような顔をした。
「お前もいいかげんにしろよなぁ。つかさのヤツだって、悪気があったワケじゃねえんだろ?」
「そ、それは……」
確かに、つかさは下心を持っていたわけではない。一緒にベッドで寝たのだって、アキトの妹、美夜の頼みを断りきれなかったからだ。ある意味、つかさらしいことの成り行きだったと言える。
そんなことは、つかさとの付き合いが長い薫にとっては分かっていることだ。充分に分かってはいるのだが。
アキトは大袈裟にため息をついた。
「はぁ、これだから男に免疫のない処女は困るんだよ」
竹刀を持つ薫の手にグッと力が入った。武道場の壁で隔たりがなければ、薫は即座にアキトを八つ裂きにしていただろう(苦笑)。
そんな気配を知ってか知らずか、アキトは再度、ため息を漏らした。
「つかさのヤツもつかさのヤツだよな。『据え膳食わぬは男の恥』っていうのに」
普段、バカなクセに、こういう言葉だけは知っているらしい。すると、アキトは急に何かに思い当たったように、ポンと手を叩いた。
「あっ、そうか! お前、奥手のつかさが何もしなかったんで怒っているんだな? それならそうと、早く言ってくれればいいのに。つかさの代わりに、オレが手取り足取り、愛の手ほどきをしてやるぜ」
アキトはウインクまでして、薫にモーションをかけた。
対して、薫は──
「け・っ・こ・う・よ!」
ドスッ!
完全にトサカに来た薫は、竹刀を壁に突き立てた。信じられないことに、竹刀は壁を突き抜け、危うく、その向こう側にいたアキトを貫きかける。アキトの額から滝のような冷や汗が流れた。
「おおおお、お前、オレを殺す気か!?」
「チッ、しくじったか」
薫の呟きは、妙に口惜しそうに聞こえた(苦笑)。
ちなみに、それを目撃していた女子剣道部員たちが一様に凍りついたのは言うまでもない(笑)。薫は、また新たな伝説を作った(苦笑)。
「とにかく、つかさなら、もう学校にいないと思うわ! 生徒会長の伊達さんに連れられてどこかへ行ったから! だから、アンタも──」
とっとと帰りなさい、と怒鳴りつけようとした薫だったが、急にアキトの様子が豹変し、ガバッと格子窓にしがみついてきた。薫は、逆にビックリしてしまう。アキトはいつになく怖い顔をしていた。
「伊達に連れられてっただぁ!?」
「えっ、ええ……」
アキトの迫力に気圧されながら、薫はうなずいた。アキトの眼が鋭さを増す。
「あの野郎。あくまでもオレと張り合おうってのか」
「ちょ、ちょっと、何の話?」
「つかさが危ねえ」
「はぁ?」
「こうしちゃいられねえぜ!」
「ちょっとぉ、何なのよぉ!?」
薫はアキトを呼び止めようとしたが、すでにどこかへ走り去ったあとだった。つかさが危ないとはどういうことか。鍛錬と称して、いじめを日常化している空手部の先輩たちならともかく(その彼らも入院中)、生徒会長の伊達がつかさに危害を加えるとは思えないが。
薫は急につかさの安否が気になった。
「ん……うーん……」
混濁する意識の中から、つかさは目を覚ました。猛烈な眠気は、依然、引きずってはいるが、意識を失うほどではない。つかさは今の状況を把握しようと、懸命に重たい瞼を開けようとした。
「気がついたかい、武藤くん」
「だ、伊達さん……?」
それは伊達の声だった。つかさは伊達の姿を捜そうとしたが、体の自由が利かないことに気づく。手も足も、大の字になって仰向けになったまま、まったく動かすことが出来なかった。
「こ、ここは……?」
つかさは眩しさに目を細めた。どうも伊達と入った喫茶店ではないようだ。強烈なライトの光が真っ正面からつかさに浴びせられており、そのせいで周囲がはっきりとしない。つかさはイヤな予感がした。
「心配する必要はない。キミはもうすぐ生まれ変わるんだ」
「ボクが……生まれ変わる?」
突然、モーター音と共につかさの体が起こされた。寝ているベッドごと、起き上がったのだ。つかさの手首と足首はベルトで固定され、びくともしなかった。
「やあ、武藤くん」
ベッドが完全に立ち上がると、目の前に伊達と見知らぬ白衣の男がいた。伊達は喜色満面、顔を上気させながらつかさを見つめている。今までつかさには見せなかった顔だ。
「手荒なことして悪かったね。でも、これもキミとボクのためだ」
「ボクと伊達さんの……? 伊達さん、何を言っているのか、ボクにはさっぱり分かりません。どうして、こんなことをするんですか?」
つかさは手首のベルトから手を抜こうと試みたが、やはり無理だった。伊達はそんなつかさに近づく。
「だから言ったろう? キミは生まれ変わるんだ。本来、生まれてくるべきだった形にね」
つかさは意味不明のセリフを吐く伊達が怖くなった。生徒会長である伊達が、こんな異常者のような一面を見せたことにショックを覚える。悪い夢なら醒めてくれと思ったが、手首に食い込むベルトの痛みは本物だった。
すると白衣を着た男が大きな姿見を引きずってきた。それをつかさの前に置く。
「あっ!」
つかさは驚いた。鏡に映った自分の姿。いつの間にか着替えさせられている。それは琳昭館高校の制服に違いなかったが、男子生徒の開襟シャツではなく、女子生徒が着ているセーラー服だった。
「な、なんで!?」
元々、女の子に見間違われることの多いつかさに、セーラー服はあまりにも似合いすぎていた。自分の姿ながら、つかさは赤面してしまう。
伊達はセーラー服姿のつかさに、すっかり興奮しきっていた。
「これこそ、キミの本来の姿だよ! キミが男として生まれてきたのは、何かの間違いなんだ! だから、今ここで、キミは女の子に生まれ変わるんだ! 性転換手術によってね!」
「伊達さん! やめてください! ボクは男です! 女の子なんかじゃ──」
つかさは必死に訴えたが、すでに伊達は聞いていなかった。隣にいる白衣の男にうなずいて見せる。
「じゃあ、早速やってくれ」
「いいですか? 本当にやっちゃって?」
白衣の男は気乗りしていないような感じだった。しかし、伊達は重ねて命じる。
「構わん。これは彼の──いや、彼女のためなんだ。手術費だって、通常の倍を支払うと言っているんだ。アンタは黙って、手術してくれればいい」
「そこまで言うんでしたら、こちらもやりますがね」
「や、やめてよ! イヤだよ! ボク、女の子になんかなりたくない!」
「武藤くん、あと少しの辛抱だよ。我慢してくれたまえ」
「伊達さん、やめて!」
つかさの悲痛な願いも虚しく、再びベッドが横へ倒されていった。
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