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WILD BLOOD

第11話 つかさ改造計画

−9−

 アキトと伊達が期待に満ちた目で見守る中、つかさの手術は開始されようとしていた。
 つかさは、まさかアキトが伊達の味方に回るとは思ってもいなかったので、そのことにひどいショックを覚えていた。このままでは本当に女性の肉体にされてしまう。誰一人として味方がいないこの状況から抜け出すには、自分で何とかする以外になかった。
 手術台に横たわるつかさを拘束しているのは、手足を締めつけている革のベルトだ。女の子みたいな見かけ通り、非力なつかさでは、それを引きちぎることなど出来ない。しかし、つかさには祖父から学んだ古武道があった。
 死んだ祖父が教えた古武道《天智無元流》は、肉体の鍛錬よりも、体内の《氣》を自在に制御することを主眼にしたものだ。これを体得すれば、肉体の大きい小さいに関わらず、想像以上の大きな力を引き出すことが出来る。そして、祖父はつかさの中に、その素質があることを見抜いていた。
 つかさは目を閉じた。アキトたちは、ついに観念したのだろうとほくそ笑む。だが、つかさは諦めたわけではなかった。心を落ち着かせ、体の中の《氣》を練ろうとする。すぐに呼吸が静かなものになった。
 目を閉じたつかさからは、一切の恐怖が消えていった。アキトや伊達の存在や、ここが美容整形外科の手術室であることも、すべての雑念を捨て去る。今、つかさが感じているのは、自分の穏やかな呼吸と丹田に集まりつつある《氣》だけだ。
 丹田を中心に、身体がほかほかと温まってくるのをつかさは感じた。《氣》が満ちてきている。つかさはさらに集中した。
「始めるよ」
 藪医師がつかさに麻酔薬の注射を打とうとした。左腕に注射針を突き立てる。ところが──
 ピキン!
「──!?」
 注射針はつかさの皮膚に拒まれ、シャープペンシルの芯のように折れてしまった。藪医師はもちろん、アキトと伊達も驚愕する。
 次の刹那、つかさの二の腕に血管が浮き上がり、力が込められた。拘束具の革ベルトがあまりの力に伸び始める。アキトはハッとした。
「つかさ!」
 アキトはつかさを押さえ込もうとした。だが、それよりも早くつかさは両腕の革ベルトを引きちぎり、上半身を起こす。つかさに逃げられたアキトは、ベッドの上で腹這いのような格好になった。
「やっ!」
 背後にアキトが倒れ込んだのを見逃さず、つかさは身をひねりながら上半身を倒した。つかさの肘は、見事、真下にあったアキトの首を痛打する。
「ぐえっ!」
 アキトは白目を剥いて呻いた。
 つかさの一撃に、アキトは悶絶して転がり、唖然として立ち尽くしていた藪医師ともつれるようにして、ベッドから落ちた。つかさはその隙に、再び上半身を起こすと、今度は足首を締めつけていた拘束具を手早く外す。それは難なく外れ、ようやくつかさは自由になった。
「武藤くん、逃げるつもりか!?」
 伊達が怒りとも悲しみともつかない声を出した。そもそも、拘束具の革ベルトを力で引きちぎるなど、プロレスラーのような大男ならともかく、この女の子のような華奢な体つきのつかさがやってのけるとは、思いもしなかったことだ。それだけでも驚きだが、どうやら伊達はつかさが逃げようとしていることが信じられないようだった。
「伊達さん、悪いけど、ボクは女の子になるつもりなんてありません!」
「そんな! キミはこんなに可愛いのに!」
 伊達はセーラー服を着たつかさの愛らしい姿を見つめながら主張した。つかさの顔がポッと赤くなる。
「そ、それとこれとは関係ありません! 第一、ボクは生まれたときから男なんですから!」
「いや、キミは女の子になるべきだ! そして、ボクのカノジョに──」
「イヤです!」
 伊達は断固として逃げようとするつかさを捕まえようと、両腕を広げた。それはあたかも恋人を抱きしめようと、待ちかまえているかのようだ。
 そのとき、アキトが呻きながら、起き上がった。
「つかさ……あくまでも抵抗しようってのか?」
「あ、アキト! 当たり前だろ!」
「そうかい」
 立ち上がったアキトは、痛めつけられた首に手をやり、そっと動かした。だが、その視線はつかさを見据えたまま。目が据わっていた。
「じゃあ、しょうがねえ。力ずくでも手術を受けてもらうぜ」
 アキトは両拳を軽く握って構えた。本気だ、と、つかさは直感する。アキトと伊達がジリッとにじり寄り、つかさは手術室の隅に追いつめられようとした。
 アキトとやり合ったのは、空手部の稽古のとき以来だった。あのときは、つかさをしごいていた先輩の坂田たちを情け容赦なく叩きのめしたので、思わずアキトに対してカッとなってしまったのだが(詳しくは「WILD BLOOD」第2話を参照)、今日はそのときほど怒りの沸点が達しているわけではない。ただ、自分を守るための戦いだ。それに、前回、つかさが勝てたのは、アキトが手加減していたから、ということもある。今、まともにやり合って勝てるかどうか、つかさは自信が持てなかった。
 アキトは慎重に間合いを詰めていた。つかさも本気を出さざるを得ない。でなければ、吸血鬼<ヴァンパイア>であるアキトにやられてしまうだろう。
 だが、テニス部の元エースで、いくら運動神経がいいといっても、伊達は格闘に対して素人である。逃げ場を失ったつかさに対して、不用意に動いた。
「武藤くん!」
「あっ、バカ!」
 つかさに抱きついて捕まえようとした伊達を罵ったのはアキトだ。つかさはそれを好機と捉える。伊達が抱きしめようとする寸前、つかさは目の前の手術台を蹴り、ふわりと身体を浮かせた。
「おっ!」
 スカートがひるがえり、思わず伊達は──ついでにアキトも──目を奪われた(しかし、つかさはまだ男なんですけど)。つかさはそれに構わず、伊達の右肩に左脚を着地させ、同時に蹴る。踏み台にされた伊達は前のめりにつんのめった。
「うわぁ!」
 体勢を崩された伊達はアキトに突っ込む形になった。すっかり、つかさのスカートに気を取られていたアキトも伊達の身体を避けられない。二人はぶつかった。
「ごめんなさい!」
 アキトと伊達に痛い思いをさせて、つかさはつい謝ってしまった。どこまでもお人好しのようだ。
 つかさは二人が絡み合っているうちに──途中、アキトが「バカ野郎!」と伊達を吹っ飛ばしているような気配がした──手術室のドアからロビーへと出、さらにアキトによって壊された出入口をくぐって、藪美容整形外科を出た。一瞬、ここがどこだか確認する。目の前にエレベーター、左手に階段があった。この造りには何となく見憶えがある。そうだ、伊達に連れてこられた喫茶店の入っている雑居ビルと同じだ。二階の喫茶店で一服盛られたつかさは、そのさらに上の階にある藪美容整形外科へ運ばれたのだと気づいた。
「待て、つかさぁ!」
 予想通り、追っ手が掛かった。エレベーターは待っていられない。つかさは階段を選択した。
 つかさが一階分を下りると、アキトのものらしい足音が聞こえた。つかさは焦る。すぐアキトに追いつかれてしまうのではないかと。つかさは転びそうになりながら、懸命に階段を駆け下りた。
「逃がさねえぞ!」
 次の瞬間、ダーンという大きな音がつかさの頭の上でした。どうやらアキトは駆け下りるのも面倒らしく、一気に階段を飛び越して、踊り場まで着地したらしい。普通の人間ならマネできない芸当だ。
 再び、ダーンという音がした。追ってくる。つかさは、いつアキトに捕まるかとビクビクした。
 振り返る余裕もなかったが、つかさとアキトの差は次第に詰まっているようだった。焦るつかさは、足がもつれて、階段を踏み外しそうになる。ヒヤリとしたのも、しばしばだ。しかし、だからといってスピードを緩めるわけにはいかなかった。
 六階。とうとうアキトがつかさの後ろ姿を捉えた。
「ハッハッハッ、ここまでだな、つかさ!」
「──っ!?」
 より大きなダーンという音とアキトの声に、つかさは思わず振り向いてしまった。すぐ上のところまでアキトが迫っている。あとひとっ飛びでジ・エンドだ。
「観念しろ!」
 アキトが跳躍した。つかさはちょうど、踊り場に到達したところだ。アキトの手がつかさに伸びた。
「──っ!」
 間一髪、つかさは身をかわすようにして、アキトの魔手から逃れた。アキトは空振り。次の瞬間、すっかりつかさに気を取られていたアキトは、まともに壁へ激突した。
 ドゴッ!
「だぁーっ!」
 着地にバランスを崩したアキトは、踊り場でもんどり打って倒れた。激突した壁は大きく陥没している。アキトが受けたダメージも決して小さくなかった。
 つかさはアキトのことが心配になったが、すぐにそれを振り払うようにして逃走を続けた。アキトは吸血鬼<ヴァンパイア>だ。あの程度では死なないだろう。
「くっ……つ、つかさぁ……!」
 アキトは踊り場で転げ回りながら、苦しげに愛しい名を呼んだ。
 どうやら逃げ切れそうだと、つかさは追ってこないアキトに安心した。慌てて駆け下りてきた階段に目を回しそうになりながら、ようやく一階が見えてくる。そこに驚いた様子で見上げている人物がいた。
「ウソ……つかさ?」
 そこにいたのは薫だった。アキトのただならぬ様子に、薫もつかさを捜しに出たのである。そこでちょうど、相変わらず駅前の繁華街をブラブラしていた寧音<ねね>たちと出会い、アキトがこちら方面に向かったという情報を得て(これはさすがにタダだった)、たまたまこの雑居ビルの下を通りかかったのだった。
「か、薫ぅ……」
 つかさは薫の顔を見てホッとしたのか、半ベソをかいた。それでようやく、薫はこのセーラー服の女の子がつかさに間違いないと確信する。それほど、薫と同じ制服が似合っていた。
「どうして、そんな格好を!?」
「実は……」
 かくかくしかじかと、つかさは事情を話した。薫は呆気に取られ、それから憤慨し、そして、お腹を抱えて笑い出した。
「笑い事じゃないよぉ」
 つかさは情けない声で抗議した。そして、途端に周囲の目が気になってくる。行き交う人々に女装しているのを見られて、急に羞恥心が湧いてきたのだ。つかさは腕を交差し、恥ずかしそうに内腿をすり合わせた。
「よく女の子は、こんなスカートなんてものを穿いていられるね。ボク、足下がスースーして、落ち着かないよ」
 そんなつかさを見て、薫はくすくす笑った。もう、つかさに対して腹を立てていたことなど忘れてしまっている。それくらいセーラー服姿のつかさは笑えた。
「結構、似合っているじゃない? これなら誰もつかさのこと、本当は男の子だって気づかないわよ」
「薫ぅ……」
 つかさは泣きたくなった。早く着替えたい。早く家に帰りたい。
「行こ」
 薫はそんなつかさの手を握った。つかさは思わず赤くなる。傍目には仲良しの女の子が手をつないでいるようにしか見えなかった。
「ねえ、つかさ。どこかのお店でアイスクリームでも食べて帰ろうか?」
「ヤだよ、薫。真っ直ぐ帰ろうよぉ」
「いいじゃない、せっかくの女の子同士なんだから!」
 グイッとつかさの腕を引っ張る薫の顔は、心底、楽しそうだった。

<第11話おわり>



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