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屋外プールで被害を受けた女子水泳部員たちが発見された頃、本校舎二階にある理科準備室にて、電気も点けずに、一人せっせと鶏肉をちぎっている男子生徒がいた。
「どーら、腹が減ったろ? よーしよし、もうちょっとだからな」
「先輩、本当に大丈夫なんですか?」
その悦に入っている男子生徒の背中を後輩の生徒があきれながら見つめていた。すると鶏肉をちぎっている生徒は、うるさそうにチラッと振り返る。
「何がだ?」
「それですよ、それ。そんな危険なもの、学校に持ち込んだりして」
「うるさい。オレたちは生物部だ。動物を飼育して何が悪い」
二人はこれまた琳昭館高校の部活動の中でもマイナーな生物部の生徒たちだった。先輩の方が部長の波多六梧郎<はた・むつごろう>、後輩部員が富良野将則<ふらの・まさのり>だ。かつては十名前後いた部員も今年は彼ら二人だけで、部活動の存続が危ぶまれている。
波多は無類の動物好きだが、富良野は別にそう言うわけではない。出身中学が波多と同じだったせいで、入学直後、部員の頭数を揃えるためとの名目で、強引に入部させられたのだ。入部といっても実際には名前を貸しているだけで、現在は幽霊部員に近い存在となっている。
正直なところ、富良野は部長の波多についていけなかった。波多は単なる動物好きというわけではなく、そのジャンルが爬虫類などのゲテモノに限定されているからだ。波多の話によれば、家にはヘビやらトカゲといったものが数多く飼育されているらしい。小学生の頃から興味があったそうだ。
「爬虫類はいいぞ。触るとひんやりと冷たくて、うるさい鳴き声も上げやしない。イヌのように散歩させる必要もないし、糞の後始末だって簡単だ。知ってるか? アイツらの糞って臭わないんだぜ。」
以前、そうやって波多が爬虫類の魅力を語ってくれたことがあるが、無論、富良野はそういったものが苦手で、できるならお近づきになりたくないと思っている。
しかし、今日は珍しく波多に呼び出された。それもなぜか放課後の理科準備室に。そこで断れば良かったのだが。
「やっぱり、まずいですよ、先輩。誰かに見つかったら、絶対に大騒ぎですって」
富良野は波多が持ち込んだ大きな段ボール箱の中にいる生き物を見て言った。実際には、その生き物を入れた水槽をさらに段ボール箱へ入れて覆っているのだが、何しろ人間一人が悠に入れるほどの大きさなので、目立つことこの上ない。よくもまあ、こんなものを学校の中へ持ち込めたものだと、逆に感心してしまう。
「だからって、どこへ持って行けと言うんだ? コイツは、もうオレの家にいられないんだぞ」
波多は愛しのペットを嫌悪されて傷ついた。富良野はため息を漏らす。この目の前にいる凶暴な生物は、あまりに大きくなりすぎたため、波多の両親から処分するよう言い渡されたのだ。家族も我慢の限界だったのだろう。富良野は同情を禁じ得なかった。だから、波多は仕方なく、学校へと持ち込んだのである。それは小学生が拾った仔ネコをどうするか困り果てたのと次元は似ているが、とにかくその対象があまりにも違いすぎた。
「そーら、パックン。食事の準備が出来たぞぉ。たーんとお上がり」
パックンと名付けられている波多の愛玩ペットは、首を伸ばすようにして、ちぎられた鶏肉を食べた。それを見ていた富良野は、波多の指まで食べられてしまうのではないかと思い、心臓が縮み上がる。だが、波多は平然としたもので、鶏肉を咀嚼しているパックンを眺めながら、すっかりなごんでいた。やっぱり、こんな怪獣みたいなヤツを学校で飼うのは無理だ。
そのとき、パックンが何かの物音に気づいたかのように、食事を中断させた。
「どうした、パックン?」
するとパックンは居心地が悪そうにもぞもぞと動き出した。どうやら狭い箱の中から出たいらしい。
「よし、今、外へ出してやるからな」
波多の言葉に、富良野は目を剥いて飛び退いた。
「じょ、冗談やめてください、先輩! そんなことしたら、こっちが食われちゃいますよ!」
「大丈夫だ。パックンはオレに懐いている。そんなことはしない」
そりゃあ、アンタには懐いているかも知れないが、こっちは身の危険を感じるんだよ、と富良野は言ってやりたかったが、その前に波多は、よっこらしょ、と馴れた手つきでパックンを外へ出してしまった。富良野は壁一杯にまで後退し、身を硬直させて張りつく。
そのとき、理科準備室の扉が何者かによって激しく叩かれた。
「誰か来た!」
富良野は真っ青になった。こんなところを誰かに目撃されたら、波多と一緒に危険な生き物を校内に持ち込んだと見なされるだろう。悪くすれば停学処分だ。
再び、バンと理科準備室の扉が叩かれた。ノックをしているという感じではない。誰かが足で蹴飛ばしているように思えた。
「誰だ、まったく。そんなに叩いたら、ドアが壊れちまうだろうが」
「ちょ、ちょっと、先輩!」
扉を開けに行こうとする波多を富良野は止めようとしたが、その間にパックンがいたために、近づくことが出来なかった。万事休すかと目をつむる。波多は叩いているヤツを注意しようと、扉をガラリと開けた。
「うわっ!」
その瞬間、波多が仰け反って驚いた。
最初、富良野は廊下に誰もいないのかと思った。波多の肩越しに姿が見えなかったからだ。だが、そこには先生や生徒よりもヤバい存在がいた。
なんと信じられないことに、扉の前にいたのは体長二メートル近いワニだった。
さすがの波多も本物のワニの出現に仰天した様子である。しかし──
「か、カワイイ!」
波多の口を衝いて出た言葉は、とても富良野には理解しがたいものだった。どういう感性をしていたら、凶暴そうなワニを可愛いと言えるのか。
「見ろ、富良野! アリゲーターだぞ! こいつはクロカイマンだ!」
波多は興奮気味に言った。クロカイマンとは、アリゲーターをさらに分類化した名前らしい。もちろん、そんなことを教えられても、富良野にとってはワニということさえ分かれば充分だった。
「せ、先輩……!」
富良野は今にもアリゲーターが波多に襲いかかるのではないかと気が気ではなかった。アリゲーターは目の前の波多を見上げるようにしている。
「はっはっはっ、何をビビっているんだ、富良野。このクロカイマンは、ほんのまだ子供だ。大きいものでは六メートル・クラスになるんだぞ」
そんな知識をひけらかしている暇があるなら、少しでもアリゲーターから離れたらどうだと富良野は思うのだが、むしろ波多は大好きな大型爬虫類の登場に嬉々としていた。手を触れんばかりの近さである。まったくもって神経を疑う。
すると、今まで動きを見せなかったパックンが、アリゲーターに向かって歩み始めた。こちらは体長一メートル二十センチほど。アリゲーターには劣るが、富良野からすればどちらも怪獣みたいなものだ。
「あっ、コラ、パックン! 止まりなさい!」
近づくパックンに気づき、波多が命じた。しかし、パックンはそれに従わず、のっそのっそと接近する。と、いきなりダッシュした。
「パックン!?」
さすがの波多も焦った。突如、パックンがアリゲーターに襲いかかったからだ。
パックンは主人を取られた腹いせか、それとも攻撃的な野性に目覚めたのか、鋭い歯を持つ口を大きく開け、アリゲーターに噛みつこうとした。
アリゲーターも黙ってはいない。太い尻尾をムチのようにしならせ、パックンに叩きつけようとする。
「おおっ!?」
二大怪獣大合戦を間近で観戦していた波多は、思わず感嘆の吐息を漏らした。アリゲーターの尻尾にパックンが噛みつき、見事、攻撃を受け止める格好になったからだ。
「見たか、富良野! これがワニガメの顎の力だ!」
パックン──すなわちワニガメは、カミツキガメに似た大型のカメだ。甲羅に鋸の刃のような突起が並び、性格はカミツキガメよりも大人しいが、大型なだけに怒らせるとこちらの方が危険で、見た目よりも素早い動きを見せることがある。通常は八十センチ程度の大きさだが、波多が育てたパックンは二回り以上も大きいので、その迫力は怪獣にふさわしい。
「ワニガメは『大怪獣ガメラ』のモデルにもなったと言われているんだ。五十年という長寿でもあるんだぞ」
波多はこの期に及んでも、得意げにうんちくをたれた。富良野はこんな先輩を心配するのがバカらしくなった。
「先輩、こういうのって飼育するのに許可が必要なんじゃないですか?」
「………」
後輩に尋ねられた波多は、急に黙り込んで、そっぽを向いた。案の定、違法飼育らしい。これで生物部も一巻の終わりだなと、富良野はせいせいした。
アリゲーターとワニガメのパックンとの死闘は激しさを増した。尻尾に食いつかれたアリゲーターは、パックンを振りほどこうとのたうち回る。パックンは理科準備室の扉や壁に叩きつけられた。それでもパックンはアリゲーターの尻尾から離れようとはしない。一度噛みついたら、それを噛み砕くまで放さない、ワニガメの恐ろしさだ。
「おおっ、何という迫力のスペクタクル! こういうとき、ビデオカメラがあったら!」
ガラスの破片等が近くに飛んでくるというのに、波多はあくまでも楽しんでいた。富良野はできれば逃げ出したいが、出口で二体の怪獣が暴れていては、それも不可能だ。
やがて、近くの廊下を通りかかった生徒の一人が、アリゲーターとパックンの取っ組み合いを目撃し、瞬く間に騒ぎが広がっていった。
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