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アキト、美夜、薫、大神の四人が二階の理科準備室近くへ到着したとき(一人足りない? どうやら、つかさは途中でリタイヤしたらしい)、まだ帰宅していなかった多くの生徒と教師たちが人だかりを作っていた。そこから様々に発せられる悲鳴やわめき声。それに続いて、校舎すらも震わせるような激突音が響いた。
「な、なんだぁ〜? どうなってやがる!?」
野次馬の壁が邪魔になり、ぴょんと跳んで様子を窺おうとしたが、長身のアキトでも何の騒ぎかまで覗き見ることは出来なかった。
「何? ケンカ?」
薫が口にしたように、何となく雰囲気としてはそんな感じだ。しかし、それにしては激しい。たまに野次馬たちがどよめき、人だかりの輪が一斉に崩れそうになる。
「ちょっくらゴメンよ!」
そんな中、アキトは強引に分け入った。すると美夜も、その背中にぴったりくっつくようにして続く。たちまち二人の姿は人混みの中に見えなくなった。
一方、薫と大神は躊躇した。そこへ後ろから走ってくる足音が。
「アカン、出遅れてもうた!」
駆けつけて来たのは新聞部の徳田寧音<ねね>だった。水着を強奪された女子水泳部員を取材しようと粘っていたせいで、いつもなら真っ先に事件を嗅ぎつけて来るところを、珍しく今頃になって現れたというわけだ。寧音<ねね>の顔には、焦りと悔しさがにじんでいた。
「はいはい、ごめんなさいよ〜! 悪いけど、通してぇな!」
寧音<ねね>もまた厚かましく、野次馬の中に潜り込んでいった。なんたる取材根性。見ていた薫は呆れた。
その頃、アキトと美夜は、ようやく人だかりを抜けた。その瞬間、アキトの鼻先を巨大なものがかすめる。
「おおっ!?」
野次馬たちは一斉に後ずさった。
アキトが見ると、そこにいたのはアリゲーターと凶暴そうな巨大なカメ。しかも、カメはアリゲーターの尻尾に噛みつき、その体ごと振り回され、何度も叩きつけられている。さっき、アキトの鼻先をかすめたのは、この振り回されている巨大なカメであった。
「……ワニばかりか、こんなモノまで?」
アリゲーターは美夜のペット、ゴエモンだと分かる。しかし、カメのことまでは知らないアキトであった。
「おい、このカメもお前のか?」
「違うよ。そんなカメ、知らない」
美夜はかぶりを振った。アキトは疲れたように、眉間を指で揉む。
「まったく、なんて学校だ」
アキトのぼやきはもっともだった。
ワニとカメの激闘は壮絶だった。ワニを捕らえて離さないのはカメ。だが、そのカメを振りほどこうと、ワニは容赦なく尻尾を振り回し、壁や床に叩きつけている。激突の痕跡となったクモの巣状のヒビがあちこちに走っていた。
「頑張れ、パックン!」
理科準備室から顔を出して応援している男子生徒がいた。アキトの知らない顔だが、学年も違うのだから、それも当然。美夜のゴエモンと格闘を演じているワニガメの飼い主、生物部の波多六梧郎である。その波多の背中をもう一人の生物部部員、富良野将則が懸命に引っ張っていた。
「せ、先輩! ヤバいですって!」
ワニガメを持ち込んだのが波多であることがバレたら厳重注意どころか停学になりかねないと、富良野は顔を出さないよう説得しているのだが、このゲテモノ・マニアの先輩はまったく聞く耳を持たない。
そのワニガメのパックンは、波多の檄に発憤したのか、さらにゴエモンの尻尾へ深く歯を立てた。耐えきれず、ゴエモンの口が苦しげに大きく開けられる。
「ゴエモン!」
可愛がっているアリゲーターの窮地に、心配でならない美夜。
するとゴエモンはさらに狂ったように尻尾をジタバタさせた。これまで以上に激しく、あらゆる場所にパックンの体を叩きつける。そのアクションは次第に大きくなり、遠巻きにしている生徒たちにぶつかりそうになった。
「キャーッ!」
野次馬たちは危ないと悟り、散らばるようにして逃げた。そのおかげで、人混みを押し分けていた寧音<ねね>は邪魔者がいなくなり、ゴエモンとパックンの死闘を目の当たりにできるようになる。その瞬間、メガネがきらーんと光り、口角が怪しく吊り上がった。
「明日の見出しは『放課後の大パニック! 校内で二大怪獣のガチンコ勝負!』やな! これは迫力のあるいい記事が書けそうやわ!」
寧音<ねね>は嬉々としてシャッターを切った。凶暴な爬虫類二体を前にしながら、身の危険を感じるどころか、スクープを激写できる満足感の方が完全に上回っているらしい。うひょひょひょひょ、という、まるで妖怪のような薄気味悪い笑いを漏らしながら、バシャバシャと写真を撮りまくった。
野次馬が散ったことによって、その外にいた薫と大神も奇怪な戦いを目撃することが出来た。薫など、アキトたちからワニが出たという話は聞いていたが、さすがに実物を見ると驚きを隠せない。そもそも、それと戦っている巨大なカメという存在も学校内では考えられなかった。
「こりゃ、ヘタに手出しできねえな」
ゴエモンがパックンを振り回している暴れている間、迂闊に近づくこともできなかった。アキトは思案する。
そこへ一人の女子生徒が、アキトたちとは反対側の廊下からやって来た。その女子生徒は、ゴエモンとパックンを見て、ハッとする。だが、不用意に近づきすぎた。
「危ねえ!」
尻尾の回転軸がずれ、前に出た女子生徒の方へとパックンが叩きつけられようとした。アキトは素早く行動し、女子生徒をかばおうとする。
ベキッ!
「うわあああああああっ!」
わずかにタイミングが遅れ、アキトの背にパックンが激突した。ゴエモンの尻尾の威力とパックンの重くて硬い甲羅がミックスされた一撃である。さすがのアキトも吹き飛ばされた。
「キャッ!」
アキトは助けようとした女子生徒に覆い被さるようにして倒れた。妹の美夜、それに薫が青ざめる。
「あ、兄貴っ!」
「う、ウソ!? ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」
しかし、アキトはピクリとも動かなかった。
反対にアキトの下敷きになった女子生徒の方がすぐに身じろぎした。メガネを直し、身を挺して自分を守ってくれたアキトを揺さぶる。
「あの……大丈夫ですか?」
アキトに助けられたのは、早乙女蜂子だった。彼女はゴエモンこと怪人第一号《ワニ童》を追ってきたのだ。
蜂子の声に、アキトは呻いた。
「うっ……もうダメだ……」
「私のせいでケガを……?」
「うう、このまま、窒息してしまいそうだ……」
そう言うとアキトは、蜂子の豊満な巨乳に顔を埋めた。それどころか両手で挟み込むようにする。
「きゃあああああああっ!」
アキトのどさくさまぎれの行為に、蜂子は悲鳴を上げた。それを見て、アキトの無事を本気で心配した薫はこめかみの青筋がブチ切れる。
「このドスケベ! 何やってんのよ!?」
薫は竹刀で思い切りひっぱたいてやりたかったが、行く手をゴエモンとパックンに阻まれているせいで、それは不可能だった。その隣にいた寧音<ねね>は、ついでにアキトたちも写真に撮っておく。
「裏一面はコレや! 『白昼堂々! 飢えた男子生徒の青い衝動!』なんて見出しはどないやろ? ひっひっひっ、これは売れるで!」
どうやら、記事になれば何でもいいらしい(というか、校内新聞を販売しているのか?)。薫は嘆息した。
薫からの攻撃がないことをいいことに、蜂子の胸の柔らかさを充分に楽しんでいたアキトだが、いつまでも続けているわけにはいかなかった。ゴエモンとパックンの戦いがもつれ合い、再びアキトたちの方向へと近づいてきたからだ。
「人の楽しみを邪魔しやがって!」
アキトは舌打ちすると、蜂子を抱きしめたまま横に転がって、難を逃れた。そして、蜂子を助けながら、すぐさま立ち上がる。
「くーっ、離れるのが名残惜しいぜ」
スケベったらしい顔を隠しもせず、アキトは蜂子を安全な場所まで下がらせた。蜂子はもみくちゃにされた胸を抱えながら、上気した顔を見せる。マゾっ気のある蜂子は、衆人環視での破廉恥行為にもまんざらではなかったのだ(笑)。
アキトはゴエモンに向き直った。
「さて、そろそろ行きますか」
「さっさと行け!」
ヤケクソ気味に命じたのは薫だ。アキトはちっとも悪びれた様子もなく、取っ組み合い中のゴエモンとパックンへ突っ込む。そのあまりにも無謀と思える行動に、まだ逃げずに残っていた野次馬たちが目を剥いた。自殺行為だと思ったのだろう。
ブゥゥゥゥゥン!
案の定、ゴエモンとパックンが対になった巨大ハンマー攻撃が、再度、アキトを襲った。どんなに頑強な男でも、これをまともに喰らえばひとたまりもない。ペシャンコだ。
しかし、アキトはドッジボールをしているかのように、それをガッシリと受け止めた。身体はくの字に折り曲げられはしたものの、足はびくとも動かない。呼吸を止めていたアキトはフーッと息を吐き出した。
「おっと、意外に強烈だったな。受け止め損なっていたらヤバかったか?」
そんな言葉とは裏腹に、アキトはしっかりとゴエモンの動きを封じていた。ゴエモンはもう尻尾を振り回すこともできない。
盛んにフラッシュが焚かれた。寧音<ねね>がアキトを激写しているのだ。
「やっぱり、ウチが見込んだ通り、仙月はんは只者やないと思うてたんや!」
それもそのはず。アキトはただの人間にあらず、闇の眷属たる吸血鬼<ヴァンパイア>だ。この場でそのことを知っているのは、妹の美夜と狼男の大神の二人。
否──
「現れたわね、仙月アキト」
廊下の片隅からは、すべての仕掛け人、毒島カレンが妖しい眼差しを向けていた。
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