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WILD BLOOD

第12話 ゴエモンの逆襲

−11−

「なに、ぼさっとしてるのよ!」
「──っ!」
 不意に薫からの叱咤が飛び、アキトは身構えた。肉体に残っているダメージを気にしているうちに、ゴエモンが襲いかかってきたのだ。気づいたときには、ゴエモンの鋭い牙が眼前に迫っていた。
 アキトは慌てて身を引いて、ゴエモンの攻撃から逃れた。あと一瞬遅れていれば、頭から囓られていただろう。そうなれば、いくらアキトでもお陀仏だ。
 しかし、ゴエモンは攻撃の手を緩めなかった。無論、ゴエモンはワニの姿なので、繰り出してくるのは尻尾と牙だが(苦笑)、──アキトの動きが鈍いと見るや、間断なく攻め込む。アキトはそれから逃げ回るのに忙殺された。
「何をチンタラやってんのよ、兄貴!」
 ゴエモンの飼い主である美夜は、兄のアキトが情けなくも逃げ回る姿に幻滅した。吸血鬼<ヴァンパイア>であるアキトなら、ゴエモンほどのワニを取り押さえることなど、造作もないはずだと思ったからだ。
 だが、今のゴエモンはただのアリゲーターにあらず。《悪魔大使》こと田隈太志によってサイボーグ手術を施された怪人《ワニ童》だ。パワーもスピードもアップしている。さしものアキトも苦戦を免れなかった。それに──
「アイツ……!」
 防戦一方になったアキトを見ているうちに、薫は異変に気がついた。アキトの目が正常でないことを。
 アキトが攻撃に転じられないのは、ゴエモンの強烈な一撃を受けたショックで、一時的に視力が弱っているせいだった。まったく見えないということはないが、周囲がぼやけ、余程の至近距離にでもならない限り、何がなんなのか判然としない。アキトは勘を頼りに、ゴエモンの攻撃をかいくぐるしかなかった。
「左よ!」
 薫の指示が鋭く飛んだ。気配だけで相手を読もうとしていたアキトはハッとし、右へ身体を流す。
 次の刹那、アキトは左頬の近くで空気が切り裂かれる音を聞いた。空を薙いだゴエモンの尻尾だ。薫の声がなければ、まともに喰らっていただろう。
 なおも薫は、ゴエモンの動きをアキトに伝えた。
「すぐに足下! 噛みついてくるわ! 下がって! ──後ろに壁! 右に!」
「うるせえ! 分かっているんだよ!」
 アキトは忌々しげに、指示を出してくる薫に言い返した。もちろん、それは照れ隠しだ。今のアキトにとって、薫の誘導は非常に有り難い。
「跳んだわ! かがんで! ──正面! そうそう! ──左へ! ──そのままバック!」
 さすがは女子剣道部の猛者。薫の指示は素早く、しかも的確だった。おそらく、薫自身がゴエモンと戦っているようなつもりになっているのだろう。アキトは薫の言うとおりに動けば良かった。
 こうしてゴエモンの攻撃を回避し続けているうちに、アキトの視界が元通りになってきた。見える。真正面にゴエモンだ。
「そりゃあ!」
 アキトは反撃に移った。真っ向から噛みつこうとしたゴエモンの頭を払いのけるようにキックを浴びせる。尻尾のお返しだ。
 バキッ!
 二メートルの躯がもんどり打って転がった。ゴエモンは初めて、白い腹を天井にさらす。すかさず跳ぶアキト。体重を右のエルボードロップに乗せた。
 どすん!
 起死回生の一撃が決まった。アキトの右肘がゴエモンの腹部に深くめり込む。ゴエモンは目玉が飛び出んばかりに苦しみ、四肢と尻尾を引きつらせた。
「やったぁ! ──あっ」
 つい我がことのように喜んだ薫であったが、すぐ隣で今にも泣きそうになっている美夜を見て、慌てて口を押さえた。ゴエモンは美夜のペットである。それが痛めつけられるのを見て、どんなにつらいか。
 だが、アキトの活躍によって、今まで暴れ回っていたゴエモンをようやく止めることが出来たのだ。二階の廊下は被害甚大だが、怪我人が出なかったのは幸いである。
 ゴエモンはしばらく悶絶していたが、アキトが立ち上がった隙に逃げ出そうとした。アキトはすかさず、その背中にのしかかる。
「待て! 逃がしゃしねえぞ!」
 アキトは馬乗りになったまま、両手をゴエモンの顎下へと回した。そして、そのまま自分の身体を後ろに倒そうとする。プロレス技でいうキャメルクラッチだ。ゴエモンの背が反り返った。
「兄貴! もうやめてよ!」
 美夜が苦しそうなゴエモンを見て懇願した。目には涙一杯だ。
 しかし、アキトは聞く耳を持たなかった。自分に刃向かった相手は、徹底的に叩きつぶす。それが妹の可愛がっているペットであっても。
「どうだ!? ギブアップか!?」
 アキトはなおも苛烈に攻めた。ゴエモンの前肢が床を叩く。ギブアップの合図かと思いきや、ゴエモンはアキトを乗せたまま、ジリジリと前進した。この期に及んで、まだ逃げるつもりのようだ。
「このぉ! 往生際が悪いヤツ──ぐえっ!?」
 アキトがさらに限界まで身体を反らせた途端、背後からゴエモンの尻尾が大蛇のように首へ巻きついた。もっとも、あまりにも太いので、首というよりは頭全体を包み込むといった方が正しいかも知れない。これで再び形勢は分からなくなった。
「ご……ごどやどお……!」
 ゴエモンの尻尾は万力のようにアキトの頭を締めつけた。アキトは息も出来ず、頭蓋骨が割れそうな痛みにひたすら耐える。負けじとゴエモンの背を折りにかかった。
 どちらが先に降参するか。もはや我慢比べの様相を呈してきた。両者の対決に、誰も近づくことが出来ない。ただ手に汗を握り、固唾を呑んで見守るしかなかった。
「ぐぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅぅぅぅ……!」
 アキトは最後の力を振り絞った。すでに意識が遠のき始めている。早めに決着を着けないとマズイ。
 そのとき、ゴエモンの目から、またしてもビームが発射された。ゴエモンの頭がアキトによって真上に向けられていたため、ビームは廊下の天井を破壊する。爆発が起こり、破片が降り注いだ。
「わあああああっ!」
「きゃああああっ!」
 たちまち白い煙がもうもうと立ちこめ、辺りは逃げ惑う生徒たちの阿鼻叫喚が響いた。



 すっかりアキトたちから引き離されたつかさは、這々の体で、ようやく校舎の昇降口へ辿り着いた。窓ガラスが割れている二階を見上げると、酸欠気味の頭がクラクラする。
「はあはあ……もう少し、身体を鍛えなきゃダメかな……?」
 自分の体力のなさにヘコみながらも、つかさはよろよろと校舎へ入ろうとした。
 ところが、その瞬間、頭上から小さな爆発のような音が聞こえ、つかさをギクリとさせた。反射的に、もう一度、校舎を見上げると、先程と同じところから粉塵が舞い上がっている。そこから多くの悲鳴も上がった。
「な、何……?」
 どうして爆発が起きたのか見当もつかず、つかさはとりあえず現場に駆けつけようとした。あそこにはアキトはもちろん、薫や美夜もいるはずである。みんなの身が心配になった。
 中へ入り、階段を上がろうとしたつかさの前を、突如、巨大な黒い物体が横切った。それは爆発に紛れて二階から逃走してきたゴエモンだったのだが、何よりつかさを驚かせたのは、そのスピードである。ゴエモンはまるでゴキブリのようなすばしっこさで、たちまちつかさの視界から消えてしまう。目で追おうとしたときは、すでにどこへ行ったのか分からなくなっていた。
「わ、ワニって、あんなに早く動けるんだ……」
 ゴエモンがサイボーグであることを知らないつかさは、半ば感心しながら、茫然と立ち尽くすしかなかった。
 それから程なくして、大勢の生徒が二階から非難してきた。その場に突っ立っていたら押し潰されそうな身の危険を感じ、つかさは慌てて壁際に避ける。一団は一目散に校舎から外へと出て行った。
 何が何やら分からないまま、つかさは呼吸を整えながら階段を登った。白い霧のように、煙が立ちこめている。つかさはそれを手で掻き分けるようにして進んだ。
「アキトー! 薫ーぅ! 美夜ちゃーん!」
 三人の名を呼ぶと、割と近くからケホッケホッという咳き込む声が聞こえた。
「お兄ちゃん!?」
 まず煙の中から抱きつくように現れたのは美夜だった。半ベソで、つかさに泣きつく。
 つかさはそんな美夜の頭を撫でてやりながら、優しく声をかけた。
「どうしたの? アキトや薫は?」
「つかさなの? ちょっと手伝って!」
 美夜が答える前に、これまた近くから薫の声が聞こえた。
「薫? どこ?」
「こっち! 早く!」
 声を頼りに、つかさはさらに進んだ。
 廊下の窓ガラスが破壊されていたおかげで、爆煙は次第に換気されていった。それにともなって、無惨にボロボロになった辺りの様子が見えてくる。その中にうずくまっている薫を見つけた。
「薫! 大丈夫!?」
 つかさは薫がケガでもしたのかと思ったが、そうではなかった。崩れた天井の瓦礫を一人で取り除いていたのだ。
「この下にアイツが」
「アキトが!?」
 つかさは薫を手伝った。やがて、アキトの頭が瓦礫の合間から発見される。
「アキト! アキトぉ!」
 つかさはアキトの頬をぺしぺしと叩いた。ううーん、とアキトの顔がしかめられ、反応する。特に外傷らしき者は見当たらず、どうやら無事らしいと安堵した。
「よかった」
 薫がホッと息をついた。その表情をまじまじとつかさが覗き込む。いつもアキトのことを忌み嫌っている薫が本気で心配していたことに目を見張ったのだ。つかさに見つめられた薫は顔を赤らめた。
「こ、こんなヤツでも、死んだら寝覚めが悪いじゃない?」
「ふーん。そうだね」
 つかさは意味ありげに笑って答えると、それ以上は何も言わず、埋もれたアキトを掘り出してやった。

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