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琳昭館高校校舎地下、《秘密結社 悪の科学同好会》部室──もとい、アジト。
「何をしていたんだ、《ビューティー・ビー》!」
「申し訳ございません、《悪魔大使》様!」
ハチのようなコスチュームに着替えた蜂子は、悪の幹部《ビューティー・ビー》として叱責を受けた。頭を垂れ、うやうやしくひざまずく。だが、田隈太志は《悪魔大使》となって、怒りがおさまらなかった。
「《ワニ童》を見つけておきながら、取り逃がしてしまうとは!」
「お言葉ですが、あの状況ではいかんともし難く──」
「黙れ! 言い訳など見苦しいぞ!」
「ははっ!」
《ビューティー・ビー》は再び平伏した。今の《悪魔大使》は子供が癇癪を起こしたようなもので、とても手がつけられない。しかし、あんなに野次馬がいる中で逃げた《ワニ童》を捕まえろというのは、土台、無理な話だ。
「──それにしても、私の造り上げた《ワニ童》と互角に戦ったという、その男子生徒、一体、何者だ?」
《悪魔大使》は《ビューティー・ビー》からの報告により、《ワニ童》と格闘を演じたアキトのことを知った。話を聞く限り、とても人間とは思えない(その通り。なんたって、吸血鬼<ヴァンパイア>なのだから)。試作第一号とは言え、サイボーグ手術を施した《ワニ童》が人間相手に敗走したとは信じられないことだった。
《悪魔大使》の問いかけに、《ビューティー・ビー》はおずおずと顔を上げた。
「名前は仙月アキト。まだ転校してきたばかりの一年生とのことです」
そう報告して、《ビューティー・ビー》は頬を染めた。あのどさくさの中、アキトに思い切り胸をまさぐられたことを思い出したのだ。あんなことは心酔している《悪魔大使》──田隈太志にも許していない。マゾっ気のある《ビューティー・ビー》は、自分がワイルドな性格のアキトに惹かれているのを自覚していた。
そんなことがあったなどとは露ほども知らない《悪魔大使》は、アキトの情報を聞いて、歪んだ微笑を浮かべた。
「転校生か。少しばかり調べてみる必要がありそうだな。──まあ、いい。悪の組織に刃向かおうとする正義のヒーローがいてこそ、こちらも燃えるというもの! 次の怪人第二号で、その転校生を血祭りに上げてやる!」
《悪魔大使》の野望は、決して潰えることはなかった。バッと、マントをひるがえす。
「──ところで《ビューティー・ビー》よ」
「はっ」
「失敗した者は決して許さぬのが、我が組織の掟」
「………」
「分かっているな、《ビューティー・ビー》?」
「お、お許しください、《悪魔大使》様!」
《ビューティー・ビー》は後ずさったが、サディスティックな《悪魔大使》が見逃すわけがなかった。
「おしおきだ!」
《悪魔大使》は、いつの間にか手にしていたリモコンのボタンを押した。すると天井より二本のアームが伸びてきて、《ビューティー・ビー》の両腕を捉える。さらに違うボタンを押すと、羽根やねこじゃらしのようなものを先端につけた別のアームが現れ、《ビューティー・ビー》の身体をこちょこちょとくすぐり始めた。《ビューティー・ビー》は、その肉感的な身体をくねらせ、官能的に身悶える。
「ひゃーっ! あふっ! お、おやめください、《悪魔大使》様!」
《ビューティー・ビー》は目から涙をこぼしながら許しを乞うた。だが、《悪魔大使》は部下が苦しむ様を鑑賞しながら、ニタニタと笑う。まさしくサド。
「ダメだ。私がいいと言うまではな」
「ああっ、くすぐったいです! あはっ! あひぃ! もお、ダメ!」
そう口では叫ぶ《ビューティー・ビー》も、《悪魔大使》にいじめられて、まんざらではなかった(苦笑)。
こうして、《秘密結社 悪の科学同好会》の陰謀第一弾は失敗に終わった。
「元気を出して、美夜ちゃん」
すっかりしょげかえっている美夜を薫は励ました。
美夜が兄たちと住んでいるマンションへの帰り道。美夜と薫の他に、アキトとつかさもいる。
あれから美夜たちは、ゴエモンの姿を捜して八方手を尽くしたが、とうとう見つからず終いだった。都会の町中でワニを見かければ大騒ぎになるはずだが、そんな様子はまったく見かけられず、おそらくは学校近くの川から下水にでも潜り込んだのだろうという結論に至った。ペットのゴエモンがいなくなってしまったことに、飼い主である美夜はひどく落ち込み、つかさも薫も放っておけなくなったのである。
しかし、どうして一度死んだはずのゴエモンが生き返ったのか。その疑問がアキトたちに残った。ただ一人、事情を知っている美夜をアキトが問いつめると、ポツポツと謎のT氏について喋った。
学校の地下室とサイボーグ手術。すぐには信じられない話であった。それならばと、美夜はもう一度、地下室へ行くことを提案し、カメラをワニガメに壊された寧音<ねね>(「ウチのカメラがぁーっ!」)、そして大神(「兄貴〜ぃ、まだ捜すんですかい?」)の協力を得て、問題の場所にたどり着いたのだが──
「何をしているの、あなたたち」
地下への入口を見つけた一行に声をかけてきたのは、カウンセラーの毒島カレンだった。意外な人物のあまりにもタイミングの良い登場に、アキトたちは戸惑った。
「実はボクたち、学校の地下室を捜していて」
良くも悪くもバカ正直なつかさがカレンに答えた。するとカレンは、いつもの妖艶な笑みを向けてきた。
「確かに、ここが地下室への入口よ。でも、かなり前から閉鎖されていて、今は中へ入れないって聞いているわよ」
「えっ!? でも私、昨日、入りました!」
すかさず美夜が反論した。するとカレンは怪訝な顔をするどころか、益々、優しそうな表情を作った。
「そんなはずないわ。この扉は錆びついてしまって、鍵だって使えないんだから」
そう言ってカレンは、鉄扉のノブをつかんで開けようとしてみたが、それを裏づけるようにビクともしない。アキトも試しに同じことをしてみたが、カレンの言うとおり、鉄扉は完全に錆びついていた。
「ウソ……ウソよ!」
信じられないのは美夜だった。ここから地下へ入ったのは間違いない。T氏の助手という女性に案内され、T氏の研究室も見た。そこへゴエモンを運び込み、サイボーグ手術をしてもらう約束をしたのだ。
だが、美夜もまた自分で鉄扉を確かめてみたが、簡単に開けられそうな代物ではなかった。美夜は昨日のことが夢か幻だったのかと、自分の記憶を疑った。
「さあ、下校時間はとっくに過ぎているわ。みんな、気をつけて帰るのよ」
カレンに促されるまま、一行は退散するしかなかった。今ひとつ、釈然としない気持ちを抱きながら。
かくして、すべてが謎のまま、一日が暮れようとしていた。一番、納得していないのは、もちろん美夜だ。
「そんなはずないわ……そんなはず……」
マンションのエレベーターに乗っても、美夜は一人で呟いていた。そんな美夜を慰めるように、薫が肩に手をやる。
「私たちは誰も美夜ちゃんがウソをついているなんて思っていないわ」
「どうだかな」
後ろでボソッと言ったのはアキトだ。次の瞬間、薫の足がアキトの爪先を思い切り踏みつける。アキトの顔が赤くなり、次に青くなった。
「いっっっっっっってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
足の指が潰されたような痛みに、アキトは悲鳴を上げた。本日一番のダメージかも知れない。薫は何事もなかったかのように澄ました顔をしていた。
「ゴエモンはそのうち見つかるよ。だから、そんな顔しないで」
つかさも落ち込んでいる美夜を元気づけようとした。それでも美夜の表情は晴れない。
十三階で降り、四人は部屋の前に辿り着いた。アキトが鍵を取り出して開けようとする。
「あれ? 開いてら。兄貴のヤツ、珍しく帰ってるのか?」
そう不審に思いながらアキトがドアを開けると──
「キシャアアアアアアッ!」
「どわあああああああああっ!」
アキト目がけて、黒々としたものが飛びかかってきた。それを見て、一同、仰天する。
「ゴエモン!」
中でも喜びの声を上げたのは美夜だ。アキトに襲いかかったもの──それは紛れもない、学校からいずこかへ逃走したと見られていたゴエモンだった。
ゴエモンは倒れ込んだアキトにのしかかり、頭に噛みつこうと躍起になっていた。それをアキトは必死になって、口を閉じさせまいと阻止する。その上に、さらに美夜が飛びついた。
「お帰り、ゴエモン! よかった、無事で!」
「良かないわぁ! 美夜! 早くこいつをどけさせろ!」
ゴエモンに抱きつく妹に、アキトは怒鳴った。
そんな思いもしなかった展開に、茫然と立ち尽くすのはつかさと薫だった。アキトが食べられそうになっているというのに、助けようという気にもなれない。
「まったく、何が一体どうなって……」
と、薫がぼやけば、つかさが、
「あっ! ひょっとしてゴエモンの帰巣本能が働いて、美夜ちゃんの元に戻ったのかな?」
と、ポンと手を叩いて、結論づけた。果たして、ワニに帰巣本能があるのやら、ないのやら。
何はともあれ、これにて一件落着?
<第12話おわり>