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生徒会長選挙は、翌週の月曜日に公示され、その五日後の土曜日には投票というタイトなスケジュールだった。
このため、各陣営は短い選挙期間中にいろいろと準備せねばならず、授業以外の時間は忙しく立ち働かねばならなかった。
「待田さん、掲示用のポスターと配布用のチラシができたよ」
早速、月曜日の放課後に生徒会室に集まった待田沙也加の応援者たちは、前生徒会書記長だった脇屋が自宅のパソコンで作ってきた作品を眺め、一様に感嘆の吐息をもらした。
脇屋が作ったポスターは、沙也加の写真を引き伸ばしたものに、候補者名とキャッチフレーズの「We next!」の文字が入っており、まるでグラビアの表紙みたいだった。沙也加がはにかんだ笑顔を見せているのがポイントだ。
「おっ、脇屋くん。ボクの選挙のときよりも力が入っていないか!?」
沙也加の後見人を買って出た前生徒会長の伊達が、一年後輩の前書記長に皮肉を言った。伊達も一年前、脇屋にポスターを作ってもらったことがある。そのときは、口に薔薇の花をくわえてポージングしたり(苦笑)、いろいろな写真を撮ったのだが、できあがってきたものは面白くも何ともない本物の選挙ポスターみたいに堅い印象を受けるものだった。
こういったものの製作が得意で、これまでにも一手に引き受けてきた脇屋はいたずらっぽく笑った。
「そりゃ、そうですよ。やっぱり、男である先輩よりも待田さんのような美人を素材にした方が、こちらも楽しんで作れますからね」
「こいつ!」
伊達は冗談半分に脇屋をヘッドロックした。脇屋は机を叩いて、即座にギブアップをしようとする。
その脇屋が作ったポスターを見て、沙也加本人は頬を赤らめた。
「やだわ、自分の顔がこんなに大きく写っているなんて。これが学校中に貼り出されるわけでしょ? なんだか恥ずかしいわ」
「そ、そんなことないですよ。と、とてもいいポスターだと思います」
沙也加の隣で、つかさが緊張気味に太鼓判を押した。面と向かっては言えないので、目線はポスターに落としたままだ。それでも沙也加にフッと微笑まれたのが分かった。
「ありがとう」
つかさは左右の耳が真っ赤になるのを覚えた。益々、顔を上げられない。
実際、つかさはこのポスターが気に入っていた。もっとも、あこがれの沙也加が写っているのであれば、どんなものでもよかったに違いない。つかさは、こっそりと自分の部屋に飾れないものかと考えていた。
その向かい側でつかさの様子を見ていた薫は、またしても面白くない気分になっていた。つかさと同様、自分から沙也加の応援に手を挙げたのだが、こんなにデレデレしたクラスメイトを見ていると腹が立ってくる。もうちょっと、シャンとして選挙応援をしろと、今にも叱り飛ばしたかった。
結局、沙也加の選挙応援を手伝うことになったのは、伊達と脇屋の前生徒会コンビと、つかさと薫の一年生コンビだけ。寧音は新聞部として中立を保つと言い、もっぱら候補者三名の間を飛び回っている。晶は、こういう政治的なものに興味がないと、いささか冷淡とも思える反応を見せた。ありすは、お菓子でも用意してくれれば手伝おうかな、と言っていたが、元々が気まぐれな性格で、結局、顔を出していない(ひょっとすると、単に忘れているだけかもしれないが)。
「よし! というわけで、早速、手分けして、校内の掲示板にこのポスターを貼ろう! そのあと、正門のところに集合して、チラシの配布だ!」
「はい!」
伊達の指示で、つかさたちは校内に散った。
脇屋がこの土日で手早くポスター等を作ってくれたおかげで、候補者三名の中でも一番乗りで掲示できるだろうと、誰もが信じて疑わなかった。ところが――
いざ掲示板の前に立ち、沙也加の応援者たちは一様に驚いたに違いない。なぜならば、すでに他候補者のポスターが貼られていたからだ。
まず、嵯峨サトルのポスターは写真ではなく、少女マンガだった。極度に美化され、目がキラキラと輝いた当人とは似ても似つかない八頭身キャラが、豪勢な薔薇の花束をバックに背負いながら、白い歯をきらめかせている。おそらくは、この手の絵を得意とする、マンガ研究部の腐女子による作品だろう。一枚一枚がプロ顔負けの手描きであり、しかもポスターカラーで美麗に色づけされていた。
それに対し、アキトのは、ポスターとは言い難かった。ただ、毛筆で名前と一言が殴り書きされているだけで、
『仙月アキト 夜露死苦!』とか(暴走族か!)、
『仙月アキト オレに一票を入れないと半殺しだぞ!』とか(脅迫か!)、
『仙月アキト 愛してるぜ、ベイベー!』とか(………)、
なかなか判読不能ながら、枚数だけはあって、掲示板だけに留まらず、校内の至る所にいかがわしい町金融の広告みたいに貼られていた(ハッキリ言って、選挙違反です)。一見すると、単につたない習字を貼り出しているみたいで、果たしてこれが選挙ポスターとして生徒たちに認識されるか、いささか疑問に思えてくる。
「いつの間に……」
つかさは無法掲示物だらけとなった廊下を見ながら、茫然と呟いた。
嵯峨サトルに関しては、熱心なファンが多いため、このようなポスターがいち早く出来上がったことに、そんなに驚きはしない。しかし、応援する者が皆無であろうアキトの場合は、いくら手を抜いた落書きのようなものとは申せ、たった一人でこれだけの枚数を用意するとは信じられなかった。まさか、あのアキトにこれだけの根気とバイタリティがあろうとは――
このようにつかさは感心したのだったが、実を申せば、これはすべてアキトが書いたものではなかった。憐れな犠牲者、大神を拉致し、カンヅメ状態にして不眠不休で書かせたのである。それゆえ、字は乱雑であったし、どこか投げやりな印象を抱かせた。
「こうしちゃいられないな」
すでにライバル候補に先を越される格好になり、つかさは気を引き締めて、沙也加のポスターを貼り始めた。
その生徒たちの姿が少なくなった放課後の廊下に、静けさを破る足音が轟いた。
アキトと大神である。
「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!」
「勘弁してくだせえ、兄貴!」
当然、泣きながら逃げているのは大神の方であり、憤怒の形相で追いかけているのはアキトだ。大神はやっとカンヅメ状態から抜け出し、過酷な強制労働から逃れようとしているのであった。
「もう四十八時間以上、働きっぱなしっスよ! ポスターは書き終えたじゃないですか! これ以上やったら、死んじまいます!」
目に隈を作り、げっそりと頬がこけた大神は、捕まったら殺されるとばかりに必死に逃げ、哀願した。もちろん、大神に対しては徹底的に容赦のない鬼畜なアキトが、はい、そですか、と、あっさり見逃すわけがない。
「バカ野郎! ちょっとばかし寝ないくらいで狼男が死ぬか! いいか! 仕事はまだあるんだぞ! お次は配布用のチラシだ! 全校生徒分、ざっと七百枚! とにかく、時間がねえんだ! 今度はきれいに、カラフルに書けよ!」
「無理ですって! 自分にはそんな才能はありません!」
「やかましい! 何でも努力すりゃあ、下手なものも上手くならぁ!」
「だったら、兄貴が書いてくださいよ! もう、ポスターを書かすだけ書かせておいて、自分は昼寝したり、マンガ読んだりしてるだけなんだから……!」
「なんだとぉ!? てめえ、次期生徒会長のオレ様に逆らうとは、いい根性してるじゃねえか!」
「次期生徒会長って、当選すればの話じゃないでしょ! 誰が見たって、兄貴に勝ち目なんか……!」
大神は、ついぽろりとタブーを口にしてしまった。アキトの目が殺気立つ。
「言ったな! イヌ! かくなる上は、どうなるか分かってんだろうな!?」
「ひぃぃぃぃぃっ! お、お助けを!」
行くも地獄、帰るも地獄。大神は哀切の言葉を唱えながらも、逃げる足を止めようとはしなかった。
大神は転がり落ちるように階段を降りた。アキトは、ひとっ跳びで踊り場に着地し、一気に間合いを詰める。一階へ着くまでには追いつけそうだった。
二人の距離があと数センチにまで縮まったとき、アキトは待ち構える視線に気づいた。大神を追いかけていた足をゆるめる。
階段下に立っていたのは、当面の敵、嵯峨サトルだった。
「やあ」
サトルは屈託なくアキトに微笑みかけた。それを見たアキトは胸がむかつくような顔をする。大神は、これぞ天の助け、とばかりにサトルの背後に隠れた。
「何だ、今日は取り巻き連中と一緒じゃねえのか?」
アキトは険悪さも露わに、サトルに尋ねた。アキトの言う通り、いつもの女子生徒たちの姿はなく、今のサトルは一人きりである。この学校に転校してきて以来、初めてのことかもしれない。
サトルは笑みを崩さなかった。
「みんな、ボクのためにいろいろと動いてくれてね。ボクが候補者なのに、やることが何もないのさ。全部、みんながやってくれる」
肩をそびやかすサトルを見ても、アキトにはただ不快なだけだった。
「自慢話をしに来たわけじゃねえだろ?」
「ああ。用はキミにじゃない。大神くんにだ」
「えっ、オレに?」
思いもしなかったことだけに、大神は当惑した。
「大神くんとは同じクラスでもあるし、ぜひ、ボクを手伝ってほしいと思ってね」
サトルはうしろでしがみついている大神に要請した。大神はアキトとサトルの顔を交互に見交わす。
「イヤかい?」
「ええと……その……」
「ボクの他には女の子しかいないから、男手もあると助かると思って」
その途端、大神の態度が豹変した。パッと、サトルの手を取り、握手する。
「やります! やらせてください!」
大神がサトルの味方である女子生徒たちに下心を持っての翻意であることは明らかだった。これまでのやつれぶりがウソのように、目がキラキラと輝いている。サトルは快諾を受けて、うれしそうにうなずいた。
その裏切りに歯ぎしりしたのはアキトだ。
「てめえ、堂々と敵陣営から引き抜きをしやがって!」
「言いがかりはやめてください。誰が誰の応援をしようと、それはその人の自由意思でしょう。むしろ、暴力で相手を従わせようというやり方こそ問題だと、ボクは思いますが」
「そいつはオレの舎弟だ」
「そうなんですか、大神くん?」
「とんでもない! ただのいじめですよ、いじめ!」
大神はここぞとばかりにかぶりを振った。アキトは二人とも殴ってやろうかと拳を固める。だが、なんとかこらえた。選挙中の暴力沙汰は致命的だ。
「それでは、失礼します」
サトルは礼儀正しく挨拶して去っていった。大神は、アキトが追いかけてくるのではないかとびくびくしながら、サトルについていく。アキトは黙って、その場に立ち尽くした。
やがて、誰もいなくなってから、アキトは口を開いた。
「――いつまで、オレを見張っているつもりだ?」
階段の上の方で動揺する気配があった。アキトは身をひるがえして階段を登ると、上の階にいた女子生徒の手首をつかんだ。女子生徒は怯えていた。
「お前か。こいつはちょうどいいや。イヌの代わりに、ちょいと手伝ってもらおうか」
セーラー服の上からでもグラマラスな体型を隠しようもない女子生徒を見つめ、アキトはまるで悪役のようにニヤリとした。
そのアキトに捕まった女子生徒こそ、三人の候補者を探るよう命令された、《ビューティー・ビー》こと、早乙女蜂子だった。
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